8話 村長
「剣姫さん、少しいいですか?」
クリスがそう声を掛けられたのは二時間後のことだ。
フェンリルを引きつれ再登山のための物資を相場よりも高い値段に眉を顰めながら集めているところに、村の若者達がやってきたのだ。人数は三人。うち一人は顔に大きなバンソーコーを付けて怒りの目を向けてくるキートだ。
しかし声を掛けてきたのはキートではなく、それより少し年上に見える青年だった。顔つきはどことなくキートと似ているものの、キートのような神経質さはない。
「私に何か用? さっき見た顔もあるみたいだけど」
棘のある声でクリスは対応する。何故か村中から睨まれたり、値上げされたり、最悪売ってくれなかったりと訳のわからない嫌がらせが続き、さすがに不機嫌が隠せなかった。
値上げ自体はクリスの稼ぎに比べると大した金額ではないとはいえ、おかげで登山の準備に予想外の出費を強いられている。問題ないからと気にならないわけではないのだ。
何故こんなことになったのか。理由は簡単に察せられる。
おそらくフェンリルのことで何かあったのだろう。詳細を知るため話が聞けそうな昨日の酒場に行ったものの、そこでも邪険に扱われた上マスターから疑心の目で見られた。和解したことが嘘のようだった。
三人が訊ねてきたのはその直後のことで、クリスの機嫌はことさら悪い。
そしてさすがのフェンリルもまた、この村に漂う嫌な空気を感じ取ってピリピリしており、近づいてきた三人に低く唸る。まるでお前達が原因とでも言っているようだった。
(お前らか? お前らが、赤いのを苦しめる諸悪の根源か?)
というより、実際に思っていた。八つ当たりだ。
三人はビクッと体を震わせて顔を見合わせ、キートに似た青年が意を決したように口を開いた。
「俺達は村長の使いできました。先ほどは弟のキートが大変失礼を働いたようで、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げる三人。キートの顔が憎悪に染まっているのをフェンリルはしっかりと認めた。何も反省していない。フェンリルの機嫌はさらに悪くなる。
「あなたがキートのお兄さん?」
「はい。マイク・ハイプランと言います」
「そう。謝罪は受け取るから顔を上げてくれる? 私も聞きたいことがあったし」
「ありがとうございます」
顔を上げたマイクはほっと息を吐き、三人は顔を上げた。
「それで聞きたいこととは?」
「わかっているでしょうけど、村の私への扱いね。寝て起きたら全然対応が変わっていたんだもの、村長の息子っていうなら何か知ってるんじゃないの?」
「やはりそのことですか。もちろん知ってます」
「なら――」
「しかしそれは俺の口からではなく村長から聞くことです」
「……やっぱりあなた達が来たのは謝罪だけじゃなくて、呼び出しも兼ねてってことね」
「はい」
「いいわ。応じてあげるけど、先に聞かせて。今回のことはこの子が原因?」
クリスがやや落ち着きを取り戻したフェンリルの頭に軽く触れる。
「判断が難しい所ですね。御子様のせいといえば言えますし、そうでないとも言えますから」
「あら、意外ね。てっきり、山神様の子どもを保護してるから、村の人達に嫉妬されているんだと思ってたわ」
「保護、だと……」
「キート!」
キートが憎々しげに表情を歪めると、即座に叱責が飛ぶ。兄のマイクではなく、最後の一人からだ。クリスはなぜ三人で来たのかと思っていたが、どうやらキートを止める役目を一人が負っていたらしい。マイクに止められないとは思えないので念のためだろう。
(なら連れて来なけりゃいいじゃない、と思うけど……さすがに謝罪なしのままもう一度来てほしいって言われても、絶対行かないしね)
それにしても、このキートの態度はどうなのだろうかと思う。謝罪して舌の根の乾かぬうちにこれだ。ここまで来ると余程常識がないのか、恨まれているのかの二択になるが、キートの目を見るに後者らしい。
(あ、両方って可能性もあったわね。まあ常識はともかく、恨まれている理由は私が村八分にされてる理由と同じもの。勘だけどね)
なら村長がこの理由を知らないはずはなく、招待に応じたもののまともな対応をしてもらえるかどうか。
あまり人を斬るのは好きじゃないんだけど、と思いながらクリスは三人に連れられて村長の家へと向かった。
(きな臭い……)
クリスを守るために牙を研ぐフェンリルと一緒に。
想像していたより大きな村長の家に着くと、クリスはフェンリルと共に部屋へと通された。応接間のような部屋ではない。会議室のような部屋で、一度に十人ぐらい入っても余裕のありそうな部屋だ。
机も椅子もなく、クリスは敷物の上に座ってフェンリルの毛並を楽しみながら、家の主が来るのを待っていた。
同時に、到着したときに預けて欲しいと言われた剣を脇に置いて、いつでも戦闘に入れるよう警戒もしている。気分は敵地に一人乗り込んだ感じに近い。
(家がこれだけ大きいと、何か悪いことでもしてるのか疑いたくなるわよね。ま、ミリシードは希少な食べ物とかが取れるから、そういうのをうまくやり繰りた結果だと思うけど)
それから間もなく、初老の男が杖を突きながら入ってきた。頭には白い物が多数混じっているが、マイクによく似ている。彼が年を取ればこうなるのだろうなと思わせる風貌だった。キートのような神経質さは見られないためか、そちらとは似ているのに似つかないように感じる。
彼はクリスから三メートルほど離れて座った。
「初めまして、儂が村長のタジダ・ハイプランです。この度は倅が失礼をしたようで、大変申し訳ないことです。改めて謝罪を」
「謝罪はすでに受け取ってますから、頭を下げる必要はありません。それより聞きたいことが」
「まあ、お待ちください。剣姫殿が何を聞きたいか、十分承知しております。しかしその前に、ですな。御子様には席を外していただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
突然水を向けられたフェンリルは怪訝にタジダを見る。
(ここで俺に席を外せ、ね……。赤いのから剣を取り上げようとしたことといい、思いっきり罠だなぁ。赤いの、拒否しろよ。俺が居ればあいつらは手を出せねえんだからな)
フェンリルは拒否しろとクリスを見る。
(その強い目……まさか、わざと罠に乗れとでもいうつもり? 自分なら大丈夫だから、ここは敢えて罠に踏み込み食い破ることで一気に畳み掛けるところだと、そういうのね?
……いいわ、あなたの提案に乗ってあげる)
クリスは思いっきり勘違いした。
「いいわ。フェンリル、少し席を外していてくれる?」
「ウォウ!? (何で!?)」
驚いたようなフェンリルの鳴き声に、クリスは間違えたかもしれないと内心思ったものの、口に出してしまった手前やっぱりやめますは利かない。
そしてフェンリルは入ってきた使用人らしき人に従い、大人しく出て行った。最後まで何で、という疑問の目をクリスに向けて。
「あなたの要求通り、フェンリルは席を外したわ。そろそろ今回、私に対する嫌がらせの数々について、理由を教えてもらっていいかしら? まさか把握していないなんてことは言わないわよね?」
「もちろん存じておりますし、説明するつもりでおります。……そして、説明をしてもらいたいと思っております」
「説明? 私が?」
クリスが聞き返したのを無視し、タジダは話し始める。
「さて、どこから話すべきか……。そうですな、儂の倅マイクについてからがよろしいでしょう。
あ奴は今でこそ落ち着いておりますが、最近まではどうしようもない放蕩息子でしてな。冒険者とやらに憧れて出稼ぎに行っておったのですよ」
冒険者、という単語が出てクリスは固まる。まさか、という予感が生まれた。
「しかし剣姫殿と違い、そちらの才能はなかったのでしょうな。見た目ではわかりませんが障害を負って冒険者業を廃業しました。戦闘で負傷し肩が上がらなくなったとか。
あ、日常生活は問題ないのでご心配なく。今では陶芸家になりたいと、毎日土をいじっておりますよ。
おっと、少し話しがずれましたか。そのマイクが村に戻ってきたのが去年のことです」
話の流れに嫌なものを感じ、クリスは冷や汗を流す。思わず目が泳いだ。
始めこそ親しみやすそうな人だと思っていたが、そんなことはない。言葉で徐々に追い詰めようとしていくタジダに恐ろしいものを感じていた。
「その倅が、山神様の御子が村に来訪され剣姫と呼ばれるAランク冒険者に懐いていると耳に入れたのが、昨夜のこと。途端に顔が真っ青になっておりましたな」
タジダの強い目が、クリスを射抜く。
「剣姫殿、あなたは薬を欲しているそうですな?」