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7話 言いがかり

「お待ちしてました。では早速行きましょうか」


 待っていたのは神経質そうな青年だった。彼はフェンリル従えるクリスを不快そうに見た後、自己紹介すらしないまませっかちにそう提案した。

 いくらかのやり取りを飛ばした性急すぎる青年に、クリスは呆れた。


「私はあなたがどこの誰かすら知らないんだけど? せめて名前ぐらい聞かせて貰えないかしら」


「ああ、そうでした。僕はキート・ハイプランという者で、村長であるタジダ・ハイプランの息子です。用事があるというのは父でして、これから家の方まで行きます」


「行きますってあなたね……私は何も了承してないんだけど。それにどんな用事かも聞いてないし」


 行くことがすでに確定事項のような言い方に、再び呆れる。

 断るということをあまり考えていなかったが、こうも相手の意思を無視したような会話の進め方はどうなのだろうと思う。


「あれ? 言ってませんでしたか?」


「言ってないわね。相手が私だから怒りはしないけど、人によったらクレームものよ?」


「すみません、どうにも慣れていなくて」


 クリスの耳には「こんな雑用に慣れていなくて」というふうに聞こえた。

 それに申し訳なさそうに頭を下げるキートだが、クリスの目には嫌々頭を下げているようにしか見えない。面倒くさい奴。そんな風に考えているのが手に取るようにわかった。

 どこまでも舐めきった態度にクリスはただ呆れていただけだが、先に我慢の限界に達したものが一匹。


「ヴォウ!」


 フェンリルがキートに向かって吠えた。


(てめえ! 会って五分もしないうちに無礼千万とはいい度胸じゃねえか!

 それに何だ、その嫌々やってますって謝罪の仕方は! 調子のってんじゃねえぞ、ボケ!

 こっち来い、食い殺してやる!)


 フェンリルがこうまで怒ったのには理由がある。キートがクリスに向かって頭を下げたとき、フェンリルの位置からキートの表情がはっきり見えたのだが、そのときの憎々しげな顔が癪に障った。

 それこそ、殺してもいいかな、と思う程度には腹が立ったのだ。


「うわぁ! ちょ、ちょっと! 剣姫さん、止めさせてください!」


 今にも襲い掛からんと唸るフェンリルに恐れをなして、尻餅をつきながら助けを求めるキート。何事かと他の客達の視線を浴びる中、尻餅をついたまま怯えて後ずさるキート。そのみっともない光景にクスクスと失笑の声がどこかから聞こえた。


 クリスも思わず笑みを浮かべそうになったので自制したが、頬がひくひくと動いてしまったのは不可抗力だ。


 たっぷりその光景を楽しんでからクリスはフェンリルを止める。

「もういいよ」というたった一言で大人しくクリスの足元に控えたフェンリルだが、怒りは収まっていないのか未だにキートを威嚇している。


「ふぅ……まったく!」


 キートがクリスを強く睨みつける。まるでお前が原因だろと言いたげな目つきに、馬鹿だなぁと思っても怒る気にならなかったクリスの中で、初めて小さな怒りが沸いた。


「何かしら?」


「何かしらじゃありませんよ! あなたがやらせたんでしょうが」


「私が? 言いがかりも甚だしいわね、フェンリルが勝手に怒っただけで私はやらせてないわよ」


 それは紛うことなき真実だったが、頭に血の上っているキートには通じない。キートの中にあるのはただ一つ、恥をかかされたという事実だけだ。


「いいえ! 僕にはわかってます! あなたが御子様を操って嗾けたんでしょう、そうに決まってます!」


「はあ? 何でそうなるのよ」


「そうでなければ僕が山神様に咆えられる理由なんてないじゃないですか! 僕はこれまでずっと山神様を祀ってきたんです、なのに敵意を持たれるなんてあなたが何かしたとしか思えません!」


 あまりの飛んでも理論にクリスは開いた口が塞がらない。

 このキートという男、自身が悪いのだとこれっぽちも思っていないし、疑問さえ抱いていないのだと知れた。そもそも山に住むフェンリルを勝手に祀っているだけなのに、見返りがあって当然だと思っているのだ。


 それでフェンリルから敵意を持たれると、全ての責任をクリスへと擦り付けようとしている。昨日の酒場と同じことだ。信仰心があるから、フェンリルに矛先を向けず、余所者のクリスに向けるだけのこと。


 色々と馬鹿らしくなったクリスが重くため息を吐く。


「それとも頭を下げるだけじゃなく、僕に土下座しろとでも、――ボゲェ!」


 また何か喚き出したキートを反射的に殴ってしまったクリスだが、何故だか一切の罪悪感は沸かなかった。

 面倒になりそうだという意味で、しまったとは思ったものの、殴られた顔を抑えながらまだ何か喚いているキートを見ると、まあいいかという気分になる。

 そこへさらに追撃とばかりにフェンリルが顔を踏んづけて、楽しそうに尻尾を振った。


「あなたが何を勘違いしてるか知らないけど、この子はこの子の意思で動いてるのよ。それで咆えられたなら、キートがフェンリルに気に入らないことをしたんでしょ。

 信仰は結構だけど、たまには自身の行いを省みなさいな」


 こいつは一体何をしに来たのか。クリスは酷く呆れた。

 初めて顔を合わせて凡そ五分ほどしか経っておらず、ただの迎えの使者でしかないはずなのにここまで関係を悪化させるなど、ただの馬鹿だ。


 今のクリスはもちろんキートの乞いに応じるつもりはなく、何の用事だったのかは知らないが村長とやらに会うつもりもない。もしそれで村長とやらが気分を害したとしても、こんな人選をした村長の自業自得だ。


「フェンリル、もういい。行くわよ」


 御子様を操ってるだとか、山神様の怒りが降るだとか、訳の分からないことを喚き続けるキートを無視し、フェンリルに呼びかけるとタタタッと近づいてきた。よく言葉を理解し言うことを聞くフェンリルに、荒んだクリスの心が癒される。

 そのままキートを置いて宿を後にし、小さな村を廻ることにしたクリス。


「何だったのかしらね、あのキートって奴は。何しに来たのか途中で忘れてたみたいだし、最初から最後までずっと失礼だったし」


「ウォン」


 クリスの愚痴にすぐさま同意するフェンリル。


(ほんとになー。なんか思い込みが激しいというか、言動が意味不明だったな。狂信者って奴か? 気持ち悪いからもう関わりたくねえな)


 この村にはあんなのが多いのだろうかと考えて、敬われることに対する恐怖を僅かながら知ったフェンリル。自分の後ろにあんなのが大勢控えているのだと思うと、げんなりした気分になる。


「ま、あんな奴のことはとっとと忘れて、再登山の準備をしましょうか。早いけどもう二、三日したらまた登りたいしね」


 切り替えるようにクリスは今後の予定を口にしたが、何故か表情は暗くなり影が差した。


(……ん? 赤いのが、また落ち込んでるな。……ああ、あいつを殴ったせいで面倒が起こりそうだって憂鬱になってんだな。何しろあんな馬鹿でも村長の息子らしいからな、面倒になるのは間違いない。

 しかたねえな、慰めてやるか)


 フェンリルは揺れるクリスの手を優しく舐めた。


「ん、どうかしの?」


 生憎フェンリルの気持ちが通じることはなく、また構って欲しいのかなと考えるクリスだったが、ふと顔を上げてここが肉屋の前だということに気がつく。


「なんだ、お腹空いたのね」


(違う! 俺は慰めようとしたんだってば。肉なんて……欲しいけど)


 クリスの言葉を肯定するようにぶんぶん尻尾を振っているのだから世話がない。

 誰がどう見ても肉をねだっている飼い狼だった。


「しょうがないなぁ」


 苦笑してクリスは肉屋へと足を向けた。

 店番をしていた恰幅の良いおばさんに声を掛ける。


「すみません、もらえますか?」


「はい、よ……」


 始め笑顔でクリスを迎えたおばさんは、足元で尻尾を振っているフェンリルに気がつくと不快げにクリスを見る。

 明らかに敵意の籠った眼に、クリスは僅かながらたじろぐ。


「で?」


 しかもそれを隠そうともしない。

 何か失礼なことでもしただろうかと考えたものの、心当たりはない。


「あー、えっとですね。この子に食べさせるお肉をいくらか頂きたいんですけど」


「……ホントに、御子様に食べさせるのかい?」


「ええ、そうですよ」


 おばさんはしばらく考え込み、一度フェンリルを見てから「なら、いいだろう」と口にしたが、提示されたのは相場より明らかに高い値段。


(何でこんなに高いの!? この村ならフェンリルの子供に食べさせるって言えば、むしろタダで貰えるかもぐらいに期待してたんだけど……。

 それは都合が良すぎるとしても、何で値上げ? 食糧が少ないとか、私の知らない事情?)


 嫌がらせかもしれないという考えを呑み込んで、クリスは当たり前のように提示された値段を支払った。きっと止むに止まれぬ事情があるのだろうと、自身を無理に納得させた。


 無理に納得させたが、酷く落ち込んで肉屋をあとにした。


「何なのよ、一体……」


 適当に落ち着けるところを見繕い、買ってきた生肉をフェンリルにやる。喜び勇んで食いつくフェンリルを見ると、暗く沈んだ気分もいくらか癒された。


 クリスは敵意に晒されると弱かった。これが殺気でも混じるものならむしろ反撃するのだが、自分より明らかに無力な人間から向けられると、何か悪いことをしたのかもしれないという弱気が顔を出してしまうのだ。

 もちろん世の中には自分勝手な理屈で敵意を向けてくるものがいるのは承知している。それでも気にしてしまうのはクリスの性なのだろう。持ち前の実力の高さに反して、彼女の精神は強靭ではないのだ。


 そんなクリスがぼったくりレベルの値段を文句も言わずあっさり払ったため――、


(赤いのが随分落ち込んでんだけど、どうしたんだ? さっきの店の奴の態度が悪かったのは間違いねえけど、キートとかいう馬鹿と同レベルの奴だろうに。

 別に何もしてこなかった奴をいつまでも気にすんなって。どうしてもっつーんなら俺が落とし前つけてやるけどよ。

 それより先に赤いのを慰めるのが先か。

 よし、顔をペロペロしてやろう。下心なく、丹精込めて舐めまわしてやろう!)


 相場を知らないフェンリルに誤解を与えていた。

 そしてフェンリルはやはり、どうしようもなかった。


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