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3話 嫉妬

(ああ、クソッ! これだから炎術師って奴は!)


 少女の呟きと共に現れた紫炎に、かつての光景がダブって苦々しく思うフェンリル。

 地獄に灯る炎を連想させるその紫色の炎は、少女と同じぐらいの大きさで、さながら鬼火のように漂っていた。


 その紫炎は一度脈動するように震えた後、地面に落ちて大きく形を変える。

 生物のように蠢き現れたそれは、蜘蛛。巨大な、紫の炎でできた蜘蛛だった。

 ギチギチと動くそいつは、親愛の情を示すように少女へ寄り添い、大きく魔力を減らして若干疲れた様子の少女も愛しげに撫でる。


(うん、殺そう。あいつは殺そう)


 フェンリルは嫉妬の炎で燃えていた。

 こちらが名前さえ知ることができないというのに、仲の良さそうな炎の蜘蛛に強い嫉妬を感じ、本気の殺気を放ち始める。

 少女と蜘蛛の動きが止まる。蜘蛛は主を守るように移動し、少女は冷や汗を流しながらも震える声で指示を出す。


「ムラサキ、あいつの動きを止めて。普通の魔術は効かないって話だけど、使役炎術なら効くって話だから、あなただけが頼りよ」


 ギチギチと口を鳴らす炎魔に対し、フェンリルはさらに殺気を強くした。

 使役炎術は炎術師と呼ばれる一族だけが使える、特殊な炎だ。普通の魔術に必要な詠唱や道具を何も必要とせず、意思だけで生み出すことができる。

 紫色の炎で生物ということは共通だが、形は炎術師それぞれ千差万別。鳥だったり、狼だったり、強力なもので龍さえも形取る。どういうものになるのかは炎術師本人にもわからず、一度決まったものが変わることはない。


 また、炎術師によっては名前を付けることも多い。これは「術ではあるがパートナーである」という考えからのものだ。

 つまり、あのムラサキと呼ばれる蜘蛛をパートナーと思うほど、少女は信頼しているということだ。


 ギチギチと口を鳴らすムラサキに対し、フェンリルはさらに殺気を強くした。


(親しげな上に頼りにされている、だと……? 絶対許さん。幸運にもあの蜘蛛は使役炎術、殺したところで三日ほど召喚できなくなるだけだ。あの娘の俺に対する好感度は下がらない!)


 問題は如何にしてムラサキだけを殺すか。

 惨たらしくか、じわじわと真綿で締めるようにか、一瞬での蹂躙か。フェンリルの脳裏に様々な選択肢が浮かんでは消えていく。

 そして、決めた。


(初手は譲ってやる。お前の攻撃を正面から踏みつぶして、蹂躙だ!)


 一番相手のプライドを傷つけるやり方を選び、ムラサキの攻撃を待つフェンリル。

 しばしの睨み合いが続いた後、ムラサキが動いた。

 ムラサキを中心とした蜘蛛の巣状に紫炎が勢いよく燃え広がり、やがて氷雪の上に直径二十メートルほどの、炎でできた蜘蛛の巣が出来上がった。


(ぐっ、さすがに炎術師の炎! 少し熱ぃけど、それだけだ。問題ない。あるとすれば、あの娘の指示が『足止め』だったこと。ならダメージは副次効果、本来の狙いは別にあるはずだ。

 それとも、この炎でまた雪崩でも起こすつもりか? ……いや、紫炎は攻撃対象を選べるほどの高等魔術。俺を対象にしているだけ、か)


 フェンリルは焚火にちょっと近づき過ぎたぐらいの熱さを感じながら、円を描くように蜘蛛の巣の上を移動する。

 まるで挑発するように、その程度かと言わんばかりに。

 時々炎が足に絡み付くのも無視して、歩いて行く。


 その様子を見ながら、少女は改めて感じるフェンリルの実力に奥歯を噛み締めていた。


(ムラサキの炎はそこらの火魔術なんて比較にならないくらい、強い。なのにフェンリルは全然気にしてない。これでダメージにならないなんて……。やっぱり伝承通り、あいつを倒すには物理攻撃が有効ということね)


 しかし物理攻撃と簡単に言っても、行うことは難しい。

 ムラサキの援助を受ける前に繰り出していた連撃は、少女の出せる最高速度のもの。なのに一切掠めることさえできず、翻弄されただけ。

 動きが速すぎる。

 舐めていたつもりはないが少女一人では決して追いつけないと、あの一連のやりとりで理解してしまっていた。

 だから頼る。

 自身のパートナーであるムラサキに。


 ギチ、とムラサキの足が不気味に鳴った。


 途端にフェンリルの周囲にあった蜘蛛の巣から、一斉に紫色の炎の糸が飛び掛かる。それはさながら蜘蛛の糸。敵を絡め取るための、炎の鎖。

 フェンリルは咄嗟に避けようとした体を無理に押しとどめる。不意を突いた一撃さえ、フェンリルからすれば十分避けられるものだった。


(なるほど、この地面の炎は自分に有利な場を作っただけってことか。本命はこの無数の炎の糸。太さ的に綱って言った方がいいか? これで動きを止める作戦だったみたいだな)


 前から後ろから。右らか左から。

 逃がさんとばかりに紫の炎が襲い掛かり、動けないよう絡め取っていく。

 そしてフェンリルの体に燃えていないところはないのではないかと思えるほどになったところで、少女は肩の力を抜いた。


「思っていたより呆気ないものね。熱いでしょ? 今、楽にしてあげる」


 少女の声は安堵と慈悲に満ちたものだった。

 伝承によると使役炎術でさえ効きが悪く、ダメージを与えることは可能でも決して倒せないという。しかし、こうした搦め手ならばフェンリルにも有効だ。

 もしこれで効果がなかったらいよいよ死ぬことを覚悟しなければならないと思っていた少女に、この状況を見て安堵するなと言うのは酷だろう。


「……ああ、そうだ。一応言っとく。助けてくれてありがとね。どういう思惑があったのか知らないけど、助けられたのは事実だし。

 報えないのは心苦しいけど、私には私の事情があるから。じゃあね、バイバイ」


 そう言いながら歩み寄っていた少女の動きが、止まる。

 フェンリルの全身から水蒸気が溢れ、どんどんと拘束している炎が細くなっていくのに気がついたからだ。


「まずい!」


 猛然と近づき、赤い一閃。

 切った感触はなかった。

 フェンリルが目の前から消えていた。

 一瞬たりとも目を離さなかったのに、見失ってしまった。

 少女は血の気が引いていくのを感じた。


「む、ムラサキ!」


 もう一度拘束を。

 そう意思を込めて相棒の名を呼び振り返った少女が見たものは、無残にも噛み千切られ散り散りに消えていく紫の炎の残骸だった。

 どこか満足した様子のフェンリルと、顔が真っ青になって血の気の引いた少女の目が合う。


 殺される。

 少女は疑いなくそう思い、しかしその紫の瞳には再び戦意を宿らせていた。


「例え、ここで死ぬのだとしても! 私は最後まで諦めない!」


 自らを鼓舞するように叫び、正眼に構える。


(ムラサキの拘束からは逃げられたけど、相応のダメージは負ったはず。勝機があるとすれば、もうそこしかない。……もし無傷だったら。いえ! 無傷だったとしても、私は、生き残る!)


 決して諦めることなく、フェンリルと睨み合う。

 じっと、微動だにせず。

 一分、十分。

 どちらも動かないが、疲労の色は少女に強く表れていた。周囲は氷点下を下回るというのに、後から後から汗が流れていた。

 それでも尚集中を途切らせず、フェンリルの隙を窺い続ける。

 目を逸らせば殺される。

 少女を支えていたのは強迫観念にも似た闘志のみ。


 さらにまた時間が経過する。

 少女の感覚では少なくとも十時間は経過したと思えるほどの時間。


(あいつ、何で動かないの……?)


 実際には睨み合いを始めてから一時間程しか経っていないのに、少女の疲労はピークに達しつつあった。おそらく、たった一時間でこれほど疲れたと知れば少女は驚愕するに違いない。

 少女の最長継戦時間は十時間。それと同等の疲れを感じていたのだから。


 今にも膝が崩れそうになったとき、フェンリルが動いて、身を硬くする。

 疲れるのを待っていたのか。少女がそう思った瞬間、フェンリルは身を翻し、ナイトベアの死体を咥えると軽やかな跳躍を見せて飛び去った。


 唐突に、脅威が少女の前から消えた。


「何が、起こったの……」


 ストンと腰を落とす。

 よくわからないまま、生き残った実感だけがじわじわと湧いてきて、重いため息を漏らす。


「ふぅ……。良かった。また気まぐれでも起こしたのかしら? 何にしても、生き残れたわね」


 そのまま後ろに倒れ、雪原の上で大の字に大きく広がった。少女の目には日が沈み始め、薄暗くなり始めた曇天が映る。


「このまま寝たら、せっかく拾った命をなくしそうね。夜営の準備して、明日には下山しよ」


 疲れた声でそう決めると、のそりと起き上がった。

 少女の胸には敗北感が色濃く残り、目的を果たせなかった無念を渦巻かせていた。


 一方、突然立ち去ったフェンリルだが――


(やべえやべえ! あんな長い時間見つめ合っちゃったよ! しかもどんどん呼吸が荒くなって色っぽくなってくし! 思わず照れて逃げ出しちまったけど、次どんな顔して会えばいいんだ!? 恥ずかしくて顔見らんないんだけど!)


 どうしようもなかった。


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