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最終話 旅路

本日二話目

「剣姫殿、山神様のことはくれぐれも、くれぐれもよろしくお願いしますぞ」


「わかってますって。フェンリルは私にとっても恩人ですから、粗末な扱いはしません」


 村長が泣きそうな顔をして訴えると、クリスは困った顔をして答える。すでにこれで二桁を越える同じやり取りをしているのだからそろそろ落ち着いて欲しいと思うが、今まで信仰していた神様が出て行くのだから仕方ないかと諦めている。


 あれからクリスは村の人達と和解した。それというのもあの子供のフェンリルが山神様そのものだと村に知れ渡ったからである。

 山神様の子供ならば守らねばならないが、山神様本人が決めたことなら我々にとやかく言う資格はないとは村長の弁である。クリスにはよくわからない感覚だったが、本人達が納得しているのならいいのだろう。

 村人達総出での見送りを前に、再び小さい姿となってじゃれついてくるフェンリルの頭を撫でる。


 結局クリスはフェンリルを殺すことを決めた。他の全ての材料を揃えてから最後にフェンリルの心臓を貰う。

 それはあまりに不義理な決断。

 命を救われながら、命を奪う忘恩の行為。

 それでも為すと決めたことがある。

 足は止めない。

 代わりに、全てが終わったときクリスも死ぬことを密かに決めていた。

 そんなことで罪は消えないだろうしフェンリルも望まないだろうが、少なくともそれぐらいはしないと気が済まない。

 固い決意を胸に潜めながら最後の挨拶を交わす。


「それじゃ、私達はそろそろ行きますので」


「山神様のことはくれぐれもお願いします」


 村長は最後まで壊れたレコーダーみたいに同じことを繰り返していた。クリスは苦笑し、見送りの人達に会釈して歩き出す。泣いている人ばかりでその事実が心に痛かった。

 同行者はフェンリル一匹。彼にとっては死出の旅路だ、笑顔で送り出す者はいなかった。


「本当に付いてくるのね」


「ウォン!」


 村の人達が見えなくなった頃に呟くと、当然とばかりの返事。

 もっとも、呟いたクリス自身付いてくるのだろうなと確信していたのだが。

 一人の旅に同行者が増えて顔を綻ばせ、荷物から使い古された本を取り出す。

 そしてフェンリルに見せるようにしゃがみ込んだ。


「次はこの天宝山に咲く魂仙花か、響楼湖のグランドタートルの甲羅にしか生えない黒耀苔か、どっちがいい? ここからだと同じぐらいの距離なのよね」


 本には古い原本を傷めないため古語を書き写し、その下にクリスの翻訳が乱雑な文字で書かれていた。

 訳を指さして訊ねられたフェンリルは思わず目を丸くする。


(あれ? 魂仙花と黒曜苔? 上のが原文だよな、全然違うんだけど……)


 フェンリルは今の時代に使われている文字は読めないが、かつて覚えた古語が原文として書かれていたので内容はわかる。わかるが、古語とクリスの口にした内容がまるで違っている。

 しかもこの違いは単に間違えているというだけで済まない間違いだ。

 魂仙花と黒曜苔は手に入れようと思えばAランク相当の難易度を必要としているが、原文をそのまま読むとCランク相当。


(しかも病気のことまで詳しく書かれてるけど、悪化してもせいぜい失明と使役炎術が使えなくなるだけ……命に関わるんじゃなかったの?)


 ここしばらくでクリスの状況を聞いていたフェンリルの脳裏に、いくつものクエスチョンマークが浮かぶ。

 病気を間違えているのじゃないかと思ったが、紫の瞳が白くなっていくという聞いていた特徴は見事に一致している。

 段々と嫌な予感がしてくるフェンリル。


「あ、コラッ!」


 フェンリルは器用に本を奪うと前足でページをめくる。


(ない……フェンリルの心臓が、ない……)


「もう、急にどうしたのよ」


 全部を見たわけではないが、クリスが本を取り返したときにはもう全て悟っていた。


(これ、誤訳だわー……。絶対誤訳だわー……。俺、死ななくて良かったわー……)


 なんという虚脱感。

 色々覚悟して付いてきたが、ちょっと旅行に行くような軽い気分で全然よかった。下手に死ぬのだと考えていたせいで色々と面倒臭くさえなる。


(でも、誤訳のおかげで赤いのと会えたのも確かだしなー……。そういや、まだ赤いのの名前知らないなー……。俺のことも名づけしないまま、フェンリルって呼ぶしなー……)


 空を見上げながら物は言いようだと自分を慰めようとしたが、不遇な現状が次から次へと浮かんできてますます落ち込む。

 そもそも、薬の作り方が三通りもあるというのもおかしい。フェンリルの心臓を必要とするのならまず間違いなく難病に値する病気で、そんな病気を治すための調薬が三通りも見つかっているものだろうか。

 もちろん効能の強弱にもよるだろうが、今となってはどうにも不自然に思える。


「おーい、フェンリル?」


 目の前で手を振るクリスに気づきハッとする。たそがれている場合ではない。


「ウォン!」


 正しい材料を集めさせるべく、こっちにこいとばかりに咆えて道を進んだが。


「そっちじゃないわよ。こっち」


 まるで無視して正反対に進み始めるクリス。


(そっちじゃない! そっちじゃない!)


 想像以上に大変な旅路になりそうだ。

 テイム能力に気づいてくれないかなと、今では儚くなった願いを抱きながらフェンリルはクリスを追いかけた。


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