13話 ホワイトストーカー
「キート! 何をやってるんだ!」
男達の誰かが叫ぶ。
戦闘が終わり気の抜けていたクリス以外の全員が今の光景を目の当たりにしていた。何を考えたのか、クリスの近くにいたキートが持っていたナイフを突き刺そうとし、庇ったフェンリルへと刺さってしまったのだ。
当の刺された本人は傷が深くないこともあり、むしろ合法的にクリスの腕の中に居られる幸せを享受していたりするが、そんなことは誰にもわからない。
御子様を傷つけた。周囲にとっての事実はそれだけで、そこここで怒気が膨れ上がる。
「こ、こいつが悪いんだ! こいつが御子様を操るから!」
クリスを指さして大声で叫ぶ。手は震えていた。
この村にとって山神様という存在は絶対的なものだ。その子供を誤って傷つけてしまったキートは、じわじわとせり上がってくる恐怖と罪悪感に苛まれ、自身の罪から逃げるようにクリスを糾弾する。
「ぼ、僕は知っているんです! 御子様があなたにこれだけ懐くのは、操っているからだって!」
誰もが苦し紛れだと思った。
今朝方キートがクリスに殴られ、恥をかかされたと憤っていたのを、この場にいた誰もが知っていたからだ。
周囲の冷ややかな視線と殺気に晒され、唯一フェンリルだけが痛みを堪えどこか期待を持って見つめる中、キートは声を震わせ冷や汗を流しながら続ける。
「僕は、前に来た魔術師から聞いて知ってるんだ! 昔はテイム能力っていう力で魔物を操って戦わせていたって。だからこいつも、テイム能力で御子様を操っているに違いないんだ!」
「だからどうした、お前が御子様を刺したことに違いないだろ!」
どれほど釈明しようとも、キートの言葉は誰にも響かない。そんな本当かどうかもわからないことより、御子様を刺したという事実の方がわかりやすく、許しがたいことだからだ。
「そんなことはどうでもいいから、早くこの子の治療を!」
(キート頑張れ! 超頑張れ! 刺したことは水に流してやるから、マジ頼むって!)
味方は一人刺されたはずのフェンリルのみ。
ようやく巡ってきた、テイム能力を知ってもらう機会だ。クリスに理解してもらえるのなら、刺されたことぐらいなんていうことはない。
もちろんクリスを狙ったことに対しては腸が煮えたぎる思いだが、結果的にそこまで深く刺さっていないことと、テイム能力を口にしたことで怒りはある程度冷めている。
フェンリルが必死になって応援したとしても仕方ない。
何とか、教えてやってくれ。そんな願いは当のクリスが粉々に打ち砕く。
「確かに私にテイム能力があるのかもしれないけど! テイム能力はただ懐かれるだけの能力よ。自由に操ることなんてできないの」
(……え?)
青い顔をしながら抱きしめるクリスがとんでもないことを口にして、フェンリルの理解が遅れる。聞きたくないことを聞いてしまった気がした。できることなら耳を塞ぎたい気もしたが、この狼の体ではそれもできやしない。
「そ、そんな馬鹿な! あの魔術師は確かに」
「騙されたんでしょ。そんなことより、早く! このままナイフを抜いたら血が出るんだから、綺麗な布を」
クリスはキートのことなどすでに視界に入らないようで、役立たずの男衆へ強く命令する。ようやく動き出したのを見て、安堵の息を吐いた。
「もう大丈夫よ。絶対に治してあげるから、もうちょっと大人しくしててね」
大人しくも何も、フェンリルはあまりの衝撃に完全にやる気をなくしていた。
テイム能力を知らなかったのなら、詳しく調べて魔導回廊を繋げられるという事実に至ったはず。しかしすでにその知識があるのなら、知っていることとして改めて調べることもないだろう。つまりフェンリルが魔導回廊を繋げるチャンスを失ったということになる。
あったとしてもかなり先だろうし、余程運が良くないと無理だ。
目の前が真っ暗になるような眩暈を感じながら、大人しくクリスの腕に抱かれるフェンリル。
(お前がもうちょっとしっかりしていたら)
八つ当たりにキートへ恨みがましい視線を向ける。
奴はそんな馬鹿な、なら僕のしたことはと後悔に苛まれブツブツ言いながら頭を抱えている。キートからすれば助けようとした結果、無駄に御子様を傷つけただけに終わったのだ。罪の意識もひとしおだろう。
だがそれもすぐに終わった。
「何っ!?」
(ん!?)
異変に気づいたのは二人だけ。
咄嗟にクリスがフェンリルを抱えて飛ぶ。
何かが猛スピードでやってきて、さっきまで二人の居たところを通りすぎ、キートとぶつかった。
刹那。
キートの上半身が消えた。
残された下半身が、ゆっくりと前に倒れていく。
「ホワイト、ストーカー……」
(チッ、『白銀』か。まだ俺を狙ってやがったとは……だが、これであの程度の魔物が降りてきたのも納得いった)
クリスは呆然と呟いて現れた魔物を見上げ、フェンリルは忌々しげに睨みつける。
それの大きさはそこまで大きくない。せいぜい本来のフェンリルと同じ程度。
姿は豹。
口元を血で濡らし、赤い瞳を持つ以外は白一色のしなやかな体躯。
美しくも凶悪なその獣はホワイトストーカーと呼ばれる魔獣。そしてフェンリルが固体名として『白銀』と呼ぶ白きハンター。
普段は自身の臭いを消し雪に潜ることで姿を見せぬまま獲物を一息に仕留めるが、その実力は高くSランクの魔獣として知られている。
得意な魔術はフェンリルと同じく氷雪の魔術。
(多分、俺がこの姿で山を降りるのを見つけのはこいつの方だ。で、理由がわからなかったし罠の可能性も考えたんだろうな。メタルスノーウルフの群れを村に誘導して俺の対応を見た。昔っからしつこく俺を付け狙ってきやがったが、執着しすぎだろ)
フェンリルが痛みに顔を歪めたとき、ホワイトストーカーの魔力が揺らいだ。
ホワイトストーカーを中心に地面が急速に凍って行く。
「くっ!」
フェンリルが対応するより早く、クリスが動く。
「おいで、【ムラサキ】! 援護をお願い!」
紫炎の大蜘蛛が現れてフェンリル含め男達を守るように炎の巣が形成された。氷の浸食が著しく弱まったが、ホワイトストーカーの力が上回っているらしくじわじわと押されている。
あまり時間はない。
あれはクリスには荷が重いだろう。そう考えフェンリルが立ち上がったときにはもうクリスは次の行動に移っている。
「ムラサキ、私の足に」
炎の糸がクリスの足に巻きついた。これはクリスの魔術、本人にダメージはない。
しっかりと巻きつけられたのを確認して走り出した。
ムラサキの巣から離れた途端体中がピキピキと凍り始める。
(やっべえ! 無茶し過ぎだって!)
フェンリルが対抗魔術を構成してクリスを守る。自身の得意とする氷雪魔法ならばこそ対抗できるが、今の状態では力の差が大きすぎた。じわじわとクリスが凍っていく。
そんないつ死んでもおかしくない状況で、クリスは月紅火を振るい挑む。しかし、当たらない。全ての攻撃は空を切るばかりで、ホワイトストーカーが笑っているようにさえ見える。
やばいとフェンリルの気が急く中、ギロリとホワイトストーカーがこちらを見た。そのままクリスを無視して飛び掛かってくる。
(狙いはあくまで俺、か)
まずい。フェンリルに焦燥が走る。
ホワイトストーカーの足に紫炎が絡み付いて速度は大幅に落ちたが、それでも今のフェンリルでは対応できない速度。
咄嗟に後ろに跳ぶのができた精一杯。
――殺される。
全ての速度が遅くなり走馬灯が見える中で近づいてくる牙。
クリスのために死ぬのならともかく、こんな死に方は御免だった。後少し。後少しだけ耐えられれば、封印を解くことができるのに。
間に合わない。
氷雪の魔術はクリスの防御に使っているだけで限界。だからといってクリスの防御を解けばあっという間に死んでしまいかねない。
――詰んだ。
フェンリルを諦念が包んだとき、横から紫炎が割り込んできた。クリスの使役炎術ムラサキ。フェンリルの代わりにホワイトストーカーに食い潰され、紫の炎がその顔いっぱいに纏わりつく。
聞こえてくるのは苦悶の声。
対抗魔術の【鎮火】を覚えているからこそフェンリルは紫炎もほとんど影響ないが、大抵の魔物に対抗手段はない。
ホワイトストーカーほどの魔物であれば時間を掛ければ振り払えるだろうが、その時間はフェンリルの力を取り戻すには十分の時間だった。
「はあああああ!」
クリスの裂帛の気合いと共に振るわれた剣が、白豹の後ろ脚を一本斬り飛ばした。
護られてばかりじゃいられないと気迫の篭った一撃。彼女は理解していた。今生きているのはフェンリルが対抗魔術で守ってくれていたからだと。
クリスは氷雪系の魔物に有利だが、それはあくまで武器の力。フェンリル戦を想定して装備し、残っていた耐氷雪装備は全て破壊されてしまった。それはムラサキの巣から出てすぐに凍らされてしまうことを示し、なのに無事でいたことは誰かが対抗魔術を掛けてくれたからに他ならない。
そんなことができるのはフェンリル一匹だけだったのだ。
親に助けられ子に庇われ、命を狙ったのに命を救われた――。
フェンリルを見捨てることができないと振るわれた一撃は、全ての状況を一変させるにたる時間を与えた。
村に響き渡るは狼の遠吠え。
フェンリルの封印が今、解かれる。




