12話 クリスの暴走
前を人間にしてはかなり速く走るクリスの背を、フェンリルは少し距離を開けつつ余裕を持って追いかける。
このときフェンリルの中にあったのは、クリスのお人好し振りに対しての仕方ないなぁという呆れともつかぬ思い。こんな命の軽い世界で、己を危険に晒してまで人助けなんて。
そんな風に思いながらも、クリスが責められても助けようとする性格をしていたことに、心が温かくなる。今更どんな性格をしていてもフェンリルは気にしないが、それでも優しい子だとやはり嬉しいのだ。
ここまではいい。
何の邪念もなく、仕方ないから手伝ってやろうとフェンリルも考えていたのだ。
しかし、後を追いかけながらふと思ってしまった。
(この娘に、ちょっとでも好かれたい――)
誰もが至る自然な感情。好きな相手に好かれたい。例え嫌われようが邪険にされようが、命を狙われようがクリスに対する想いを変えることのないフェンリルでも、そんな想いを抱いたとしても何ら不思議なことはなく、罪もない。
もちろん、そこで止まれば。
そろそろ魔物が見え始めた頃、フェンリルは前世の創作物を思い出してしまったのだ。
(ヒロインが危ないってところで颯爽と現れる……いいんじゃないか、これ! 今はこんなナリだし恋に発展するとは思えねえけど、好感度上昇イベント間違い無し! よっしゃ、そうとなれば!)
思考が暴走するまま、フェンリルは物陰に隠れて様子を窺っていたのだ。相手は数が多く、クリスが不利になるのは間違いなかった。
何もしていなかったわけでもないが、ピンチを待ちドラマを演出したのは間違いない。
フェンリルは後ろめたい気持ちを抱きながら、ゆっくりと振り返りクリスの顔を見た。
納得いかなさそうな表情をしているが、危機をくり抜けたことで安堵もしている。そんな顔だ。おそらく、フェンリルの演出には気づいていない。
が、疑っている。
「……ねえ? 何で今になって出てきたのかしらね?」
フェンリルの体中から嫌な汗が沸く。
好感度上昇イベントどころか、今まさに好感度低下中。なんとか挽回せねば。苦し紛れにフェンリルが吠える。
「ウォン!」
吠えたことに特に意味はない。何かを勝手に勘違いしてくれと、そう思っただけだ。
「何を誤魔化そうとしているの?」
(やべえ! 疑惑が深まった!)
こんなときに限って誤魔化せないことに内心酷く焦っていたが、それも唐突に終わる。
魔物達が襲ってきたのだ。
(っと、こんなときに!)
フェンリルは後ろに跳んで避け、クリスは避けざまに一閃。二体目の魔獣が血潮を撒き散らして息絶える。さっきまでクリス一人に集中していた魔物が、フェンリルにも分散されたことで攻撃の余裕ができたのだ。
勝敗はフェンリルが来た時点で決まっていた。
背後に女性を抱えて自由を抑えられているというのに、クリスは襲い掛かる魔物を次々切って捨て、残るはメタルスノーウルフ一匹のみ。
ちなみにフェンリルは避けるばかりで一切手出ししていない。手伝わなかったというわけではなく、名誉挽回する機会がないかとクリスの様子を窺い、集中がそぞろになっていたため。そして、銀の狼に手出しをさせないよう、本気の殺気をぶつけ続け動きを封じていたためだ。
結果クリスに全て押し付けてさらに評価を下げているのだから世話がない。クリスの冷たい視線を浴びて尻尾が力なく垂れ下がる。
「ま、いいけどね。さて、残りはあなただけ。覚悟なさい」
今まで配下に戦わせるだけで動かなかったメタルスノーウルフへと剣を向けるクリス。
その背後にようやくキートを含めた村の男衆が武器を構えているのを認めたが、戦力になりそうもないと援護してもらう考えを掃き捨てた。そもそも、援護など必要としていない。援護してもらうぐらいなら、六体の魔物の死骸を片付けておいてもらう方が、足場ができて余程有意義だ。
メタルスノーウルフはフェンリルの本来の姿より一回りほど小さく、毛皮は白とも銀ともつかぬ色が光の具合によって輝いていた。
あの毛皮は金属そのもの。並の剣では簡単に斬れるものではない。
「でも私の『月紅火』なら斬れる。蒼い狼は当たってさえくれなかったけど、銀の狼はどうかしらね?」
クリスの持つ赤い剣が脈動し、月の輝きのような穏やかさを放つ。
名工ライアス・シルバーカートによって鍛えられた五十八の魔剣の一つ、『月紅火』。魔力を通すことにより高熱を発し、斬ったものを発火させる。もちろん鋭さも増して、ただの鉄ぐらいなら両断する程度難しくない。
メタルスノーウルフはクリスにとって相性のいい相手だった。
クリスが踏み込む。
一歩でほぼトップスピードに近い速度へと達した。瞬間的に力を引き出す訓練は毎日のようにしているクリスだ、この程度訳ない。
二歩、三歩と進んで銀狼の魔力の動きを察知する。
銀狼が毛を逆立て、無数の針をクリス狙って飛ばしてきた。銀狼の金属の体は鎧であると同時に武器なのだ。硬質の針は人の体ぐらい簡単に貫く。
さすがに正面から受けることはできない。最上は避けること。しかし、クリスは逡巡する。この位置関係だと、避けたら後ろの女の人が死ぬはずだ。
ならば次善の策として迎撃をと詠唱をしようとした瞬間。
「ウォン!」
戦闘であれば咆えられたぐらいでクリスに動揺はない。しかし今回のフェンリルの声は違う。
正面の敵など大したことないと思えてしまうような殺気を背後からぶつけられ、クリスは咄嗟に避けたのだ。直後にしまったと顔を歪めて振り返るも、すぐに安堵する。
いくつもの針が分厚い三枚の氷の壁で阻まれていたのだ。
ほとんどの針は一枚目を貫通して二枚目で止まり、辛うじてそこを抜けていても三枚目で止まっている。
十分止められる防御を計算しての魔術行使。
確かにあのフェンリルの血を引いているのだと、クリスは妙に納得した。もっとも、血を引いているどころか本人なのだが。
「ウォン」
フェンリルがもう一度吠えて、クリスの口角が上がる。
「その人は任せたわ!」
これで憂いは何もなくなった。
敢えて言うなら囲んでいる男衆だが、危険を承知できたのだから怪我することも死ぬことも承知しているのだろう。少なくとも、何も分からないまま突然襲われてしまった村人達よりは。
クリスに呼応するかのように、今まで動かずにいた銀狼が飛ぶ。屋根へと着地したそいつを追いかけて、クリスも剣を振りかぶりながら跳梁する。
「はあああ!」
自身の防御力では危ないと悟ったのか、銀狼は受けずに地面へと降り立って剣を避けた。誰もいない空間を通り抜け、剣は屋根の一部を切り崩し、発火させた。
「ああ!?」「か、火事だ!」「放火魔だー!」「誰かあの馬鹿止めろ!」「それより水、水持って来い!」「けど、あの魔物が」「馬鹿、魔物がいるからってほっとけるか!」「このままじゃ村が燃えてなくなるぞ」
男達を混乱に突き落としたクリスは尚も防戦一方となった銀狼へと迫り斬りつける。
そして時々放火していた。
「ちょこまかと! これならどう?」
『朱の剣士が命じる。我が魔力を糧とし、数多の炎の弾となりて敵を滅せよ』
(ちょ、おい、それは!)
詠唱を聞いてフェンリルが慌てるが、クリスは止まらない。
【フレイムショットガン】
クリスから十数に及ぶ炎の弾が広範囲に渡って銀狼へと飛ぶ。
ほとんどは避けられてしまったが一部が命中し、銀狼の悲鳴があがった。村人達の悲鳴もあがった。
(火が! 火が!)
フェンリルは慌ててあちこちに飛び交った火種を消すべく、雪の弾を形成して飛ばしていく。一部屋根や壁ごと破壊しているが、この際目を瞑ることにした。火事になってはこの程度の被害で済まないからだ。
できることなら水を使いたいところだが、扱える魔術は雪と氷と他少々。水は使えない。雪解け水でなんとかするしかなかった。
その間にも戦闘は継続している。
フレイムショットガンでやや怯んだところを隙と見て、クリスの剣が銀狼の前足を斬り飛ばした。切断面が燃え上がった。
痛々しい悲鳴があがる。
しかしクリスに油断も容赦もない。
「メタルスノーウルフは部位欠損ぐらいなら簡単に治してしまうけど、炎が消えるまでは心配ないわね。ここが好機!」
動きが大きく鈍り逃げようとした銀狼の首へ月紅火が振り下ろされた。
銀狼の首がゴトリと地面に落ちる。切断面から燃え広がり、頭が火に包まれ解けて消えた。
復活することなく完全に死んだことを確認してから、クリスは剣を収めた。
「ふう。最後は呆気なかったわね。――わっ」
戦闘後の気の抜けた一瞬。
突然後ろからの衝撃に前のめりに倒れる。
「な、なに?」
驚いたクリスが見たのは、上に乗るフェンリル。
しまった、と思った。命を取られると覚悟をし、ついでフェンリルの脇腹に刺さるナイフが目に映る。
クリスに憎悪の目を向けながらも酷く動揺しているキートが傍に立っていた。




