第6話 はじめてのありがとう
世間はみんな夏休み ゴキブリも夏休みなのかよく出てくるね
彼女は普通の人間だった。特にどことない少女であり、それがずっと続くと思っていた。
しかし、彼女に才能があるとわかると周りは騒ぎ出した。
「木こりの娘に才能があると」
「これは凄いことだ」
両親も少女も。その才能を伸ばそうと、無理をして彼女の才能を伸ばしていった。少女はそれを誇りだと思い、一層の努力を繰り返した。
しかし、彼女の才は木こりの子供としては優秀でも、他の天才の前には特になんということはない能力であったゆえに。
他の才能ある人間を見る度に心が冷えるのがわかった。最初はチヤホヤしていた人たちも離れ、彼女の両親もいなくなり、彼女は人を愛することが出来ないブリキの人形となった。
ブリキだから人の心も愛もわからない。だから自分の身体を傷つける。
彼女が覚えている最後は首を吊られる最中に見える、人々の侮蔑の視線だったという。
聖心教会経典より
冒険者が迷宮に潜るにあたって1番必要なものはなにか? 食料はもちろん、武器や心構え。臭い人は勇気なんてことを言うかもしれない。だが1番必要なのは信頼出来る仲間である。
「アンナちゃん!! 改めてよろしく!! アンナちゃんだよババア!!」
「……」
「うんごめん。無言であたしの方を見られてもあたしにだってどうにも出来ないよ」
「……役に立たないな」
「お願いだから聞こえないように言おうよ。傷つくからさ」
最初からぶっ飛ばしている2人に既に胃を痛めているババア。特にアンナに関しては彼女自身が人と関わろうとしないため、ババアも正直、対応を決めかねている。ここは自分が1番大人なのでなんとかしようとはしているのだが。
「ばばあ」
「…………」
「ババアはお前だろ、返事しろよ」
「知ってるよ!! アンナちゃんがいきなりあたしをババア呼ばわりしてきたから驚いてただけで。っていうかあたしの名前はババアじゃないって!!」
ここでアンナにまで屈してしまったら、ババアはもう立ち直れないことを知っていた。というより、ここで折れてしまったらこれから先、ずっとアンナに上をとられるような気がしてならない。それは嫌だと。
「ババアはババアだろ」
「確かに」
「しーは黙ってろ」
うんうんと首を縦に振るしーくんを一蹴するババア。ここで負けるわけには……
「ババアがババアじゃなかったらなんだんだよ。ツインテールが予想以上に痛い馬鹿女か?」
「もうババアでいいです」
肉体ではなく心が屈した瞬間だった。これはもう駄目かもしれない。
「じゃあ早速、鉄の森に行こうか」
「その前にパーティ組もうぜ」
「パーティ?」
ババアが慣れた手つきで自分の手に装着されている携帯端末を操作する。
「端末に表示されてる”Party”ってのを選択すると、自分から半径10mにいるプレイヤーの名前が表示されるからパーティに入れたい仲間を選択してボタンを押すとパーティ結成だ」
「なにかメリットでもあるの?」
「経験地の分配と迷宮に入ったときに同じ”エリア”に入れることかな」
「ふ~ん」
特に興味なさそうにしているアンナ。そんな時、アンナの端末から小気味良い音が鳴る。確認してみると、そこにはしーくんの名前が出ている。
「一応、申請した人間がリーダーになるから。しーが今申請を入れたからしーがリーダーってことで」
「拒否と」
「なんで!?」
まあ本当になんで拒否なのかを聞くと傷つきそうなので割愛して。しーくんをリーダーにしてこれで3人のパーティが出来上がった。そんな中、しーくんが照れ臭そうに頭を掻きながら口を開く。
「これで俺たちはこの手を通して繋がってるんだね」
「気持ち悪い死ね」
「気持ち悪くないよ!! ロマンチックでしょ!!」
「いや。これはあたしも気持ち悪いと思ったんだが」
「ババアには聞いてないよ!! もー!!」
まあ誰かさんのキモチックなセリフは捨て置いて。
鉄の森 5―20
あれから少しして。今は3人で鉄の森1階を散策していた。先頭がしーくんで次がアンナ。そして最後尾にババアがついている。これは前に敵が来たら直ぐに前衛のしーくんが対応できるようにというもので、本来ならば遠距離主体のババアを前衛2人で囲うようにしたいのだが、今日は初迷宮のアンナに配慮してこんな配置になっている。
「アンナちゃんって剣を2本使うの?」
「数が多いほうが強いだろ」
「だよねー。俺もいつも2本作るから」
ババアは別に数が多いからといっても強いわけじゃないけどなと。口には言わないが思っていた。元々、2本の利点は1本よりも複雑な動きで、手数が多くなるというものしかない。逆にどちらかに偏っていると片方が隙だらけになるなどの欠点もある。
というより、ぶっちゃけた話。1本の剣を両手で振った方が威力が高いし、特に鉄の森の魔物はアイアンコングを筆頭に防御力が高い魔物が多い。だから2本使う必要はあまりないのだが。
「……ちょっとストップ!!」
「アイアンモンキーか」
しーくんが皆を止めて前をよく見ると。10mほど離れたところでアイアンモンキーが座りながらこちらを見ていた。あれは別に舐めプをしているわけではなく、わざと自分が油断しているフリをして相手の隙を誘う。油断して近づいて来た所を別のアイアンモンキーが襲う。むしろ、そんなに多くないパターンの1つであるのだが。
「ま、とりあえずしーが突撃して――ってアンナちゃん!?」
気付けばアンナが前にいたしーくんを押しのけて突撃していた。完全な暴走なのだが、驚いているのはババアたちよりはむしろアイアンモンキーの方であった。彼もまさかここまで早く攻撃を仕掛けられるとは思わなかったのだ。が、敵も釣り士をしているだけはあり、距離もあるのを知り攻撃態勢に移る。この間、僅か1秒にも満たない時間だった。
「うきっ!?」
「止まってろ」
右手で抜刀したと同時に剣を投擲。既にその剣は10mを飛びアイアンモンキーの腕に縫い付けられていた。戦闘態勢に入っていなければ恐らく、顔面に直撃していたであろうその剣を見て背筋を凍らせている間に。
風を切る音と共にその顔に剣が突き刺さる。まるでカメラのシャッターを押したみたいに、死ぬ間際の映像が目に焼きつくのだとしたら。アイアンモンキーの眼に写ったのは嬉々として獲物を狩る”鬼”の姿であったと。
「ききーーーーっ!!」
「――っ!?」
2匹目。しかもこいつは釣り士の方と違ってかなりずる賢い。アンナは既に武器を2つとも使ってしまっている。しかも、左で持っている方の剣はアイアンモンキーの顔面に突き刺さっている。それを見越して右から襲い掛かる狡猾さ。
「……」
「きっ!?」
今にも殺されんばかりに殺気が篭った目で睨まれるが、敵が動けないならば強気に出られるのが弱者の強味である。だがそれがどうした?
「サルが人を舐めるなよ」
ガシリと。右手で死んでいるアイアンモンキーの腕に刺さっている剣の柄を掴む。そして右手で掴んでいる剣を軸にして、そのまま身体を捻り威力を殺さず頭に刺さっている剣を抜き去り、右からやってくるアイアンモンキーの攻撃がアンナに届く前に、左の剣がアイアンモンキーの身体を横一閃で切り裂いていた。死ぬ間際にアイアンモンキーが思ったのは。
『女の動きじゃねーだろ』
だそうだ。それもそのハズ。腕の力だけで身体を動かすのは簡単なようで難しい。適切な肉体運動。握力・筋力・腹筋に連なる強さ。それらを兼ね備えなければ成し得ない。
そして、それほどの動きをした直後、幾ら勘が鋭いであろうアンナが更に死角から迫っているアイアンモンキーに気付かなかったとしても仕方がないことだろう。
「エア・シールド!!」
ただしこれはチーム戦であり、アイアンモンキーに仲間がいるようにアンナにも仲間がいる。死角からの攻撃をしーくんが間一髪で防ぐ。それを見たアンナが口を開くよりも早く、しーくんが口を開く。
「アンナちゃん。これはパーティでの戦いなんだから1人で突っ走っちゃ駄目でしょ。君1人の行動で仲間が危険に晒されるかもしれないんだから」
「へぇ……」
そんなマトモな正論を吐くしーくんの姿にババアも感心していた。普段はおちゃらけているが、アンナという後輩分が入ったからだろうか。我侭放題の男が下の兄弟が出来た途端に兄としての意識が芽生えるのと同じなのかもしれない。
それにババアにしてみれば、自分はリーダーには向いてないし、アンナもそっちのタイプじゃない。ならばしーくんがリーダーでいいのではないかと、少し悩んでいたのだが、この調子なら彼がリーダーでもいいのかもしれない。ただ……
「しー。凄い良いことを言っている所、悪いんだが」
「なに? 今、アンナちゃんと大事な話をしてるんだから手短にね」
「それはアンナちゃんじゃなくてアイアンモンキーだ。アンナちゃんはこっち」
「……」
そう。先程からしーくんが説教を垂れていたのはアンナではなく、アイアンモンキーに対してだった。というより、しーくんが何故かアンナとサルを間違えていたのだ。しーくんは2人を交互に見てから、こくりと頷く。
「アンナちゃんとアイアンモンキーがそっくりだから間違えちゃった。てへぺろ☆」
「アンナちゃん落ち着け!! これ以上はしーが死ぬから!!」
「こんな奴、死ねばいい」
顔の原型がなくなるほど殴られた後。なぜか巻き込まれた残りのアイアンモンキーを尻目に、しーくんはゆっくりと立ち上がっていた。
「なんでこんな暴力を。人違いなんてよくあることでしょ」
「”人”違いじゃないからだろ」
少なくともマトモな人間ならアンナと同じ反応をするだろう。ともかく。ババアはアンナの強さに驚くと同時に、予想以上の戦力が出来たと喜んでいた。元々、冒険者だった彼女は他の冒険者を何人か見てきたが、それでもアンナ以上のポテンシャルを持つ前衛はいなかった。
と、同時にしーくんに対する不気味さも感じ取っていた。
(こいつ、普段はおちゃらけてる癖に戦闘の際には雰囲気が変わるんだよな)
まあ流石に命のやり取りを行う戦闘中にまでおちゃらけられたら彼女も困るのだが。ただ、マトモに戦ってくれるならそれでいいのだが、それだけではない。先程もアンナが勝手に飛び出した際、驚いている自分を尻目にしーくんはじっとアンナを見ていた。1匹目を殺し、2匹目に襲われそうになっている際に動き、的確に3匹目の攻撃を防いだ。
”まるで3匹目以外の攻撃をアンナが受けないのをわかっていたかのように”
それにアンナを見ていたというよりも、”観察”していたように彼女は感じられた。それがどうしたといわれれば反論も出来ないのだが。
「よし!! じゃあ気を取り直して怖い話でもしようよ!!」
「気を取り直したらどうして怖い話になるんだよ」
どうして戦闘中の真面目さの10分の1も普段の状態で保てないのかババアは頭を抱える。そもそも、ここ数ヶ月彼と一緒に迷宮に入って知っているのだが。しーくんは戦闘以外での無駄話が異常に多い。しかも、それが面白いならともかく、山なし落ちなし面白くないという非常にしょうもない話しかしないから余計に問題なのだ。だが今日はアンナがいる。
「アンナちゃんもなにか言って……って楽しみなんだ」
「……そんなことない」
仏頂面で答えるが、ソワソワと体を揺らしている姿は隠せていない。口より先に手が出るなどという言葉があるが、彼女もそれの例に漏れずにらしい。そんな2人を尻目にしーくんの話が始まる。
「数ヶ月前。僕が1人でここでの狩りに勤しんでいた時、偶然アイアンコングに見つかっちゃって逃げてたんだよ」
「1人じゃ勝てないからな」
「そりゃもう必死だったよ。あいつら体格大きいからそこそこ足も速いし全然諦めないし。どれだけ走ったのかわからないけど、必死に走ってたせいか目の前の壁に気付かずにぶつかって気絶しちゃってね」
「……」
この時点でババアはどこかで聞いたことがある話しだとわかったのだが、アンナが楽しそうな顔をしていたのでツッコミを入れるのを辞めにした。それにもしかしたら、気の利いたギャグでも言ってくれるかもしれない。
「目を覚ますとそこにはアイアンコングも壁もなかった。でも壁があった場所の先は崖で、俺はその壁に助けられたと知ったんだよ」
「その壁はなんだったんだ?」
「まあ待ってよ。俺は壁に助けられたことを感謝して帰ろうと踵を返したんだけど……なんとそこにはまた壁がいたんだよ!!」
「……」
ババアは既に飽きたのかどうでもいいものを見る目をしていたが、アンナは逆にこの後の展開にドキドキしているのか、唾を飲み込んで続きを待っている。
「でもよく見たらそれは……」
「それは?」
「アンナちゃんの胸板だったんだよ!! 胸板と壁をかけたナイスジョークでしょ? AHAHAHAHAHA!!」
「……そうか。じゃあ今度はキッチリ殺してやるよ」
「アンナちゃん!! だから腹を殴るのは辞めてやりなって! なんか出ちゃいそうだから!!」
「……チッ」
怒りが収まってないのか最後に顔を殴ってからスタスタと1人で先に進むアンナ。しーくんはプルプルと小鹿のように震えながら呆れたようにしーくんを見下ろしているババアに笑顔を向ける。
「ほら。アンナちゃん怖かったでしょ?」
「怖かったのお前だけだし、あたしの考えてた怖いと違うんだけど」
そもそもどうしてしーくんはわざわざアンナの気に障るようなことを言うのだろうか。まさか、本当にそれで笑いが取れると思っているならば、しーくんの頭は鶏並の記憶力なのだろうが。
立ち上がったしーくんはアンナの前に出て再び先頭になり、先を進んでいく。
「ところで。次に行く場所は決まってるのか?」
「とりあえず2階の階段へね。場所は大体覚えているか……ちょっと待って」
そこにはさっきと同じように離れた場所にアイアンモンキーが立っていた。しかし、今度は3匹固まっている。これはアイアンモンキーの習性なのだが、1階では基本、アイアンモンキーたちが固まって行動することは殆どない。それは鉄の森の最深部が彼らの巣であり、1階と2階は彼らの猟場でしかないため、声などで合図を送ったりはするが狩りの際に固まったりはしない。ならば集まる時は……
「来るよ! 全面に注意を――アンナちゃん!?」
「――くっ!?」
それはアイアンコングが近くにいる時である。アイアンコングはアイアンモンキーの上位種と言われている。ゆえに彼らは、自分の力を示すために下位の者たちを集めて力を誇示する。
隊列の真ん中を狙い打つように、空から降ってきたアイアンコングはアンナに向けて拳を放つが、一撃で岩をも砕く拳をアンナは二刀の剣で受け止めていた。
「すっげ。力も互角かよ」
「舐めるなよゴリラ」
下位種よりも堅くそして力も体格も大きい。そんなアイアンコングの拳をアンナは受け止めていたが……ガラスの砕けるような音と共に剣の方が先に砕けてしまう。
「ババア!!」
「わかってるよ!! ”炎の壁”!!」
しかし、アンナの方に注意が向いているのならばこちらもやりやすい。ババアは横に長い板のような炎の壁をアイアンコングの顔面めがけて投げつける。ここまで距離が近いのならば、外すことはないのだがしかし、アイアンコングはババアの攻撃を察知してギリギリのところでその壁を避ける。しかし、これは”陽動”
「しー!!」
「あいよ!!」
ババアの大して魔力も練ってない下級魔法程度ならばアイアンコングに傷一つ与えることは出来ない。しかし顔面への攻撃。そして火を恐れる野生の本能がその攻撃を回避へと導いた。そして逆からは死角を突いたしーくんの攻撃。
「エア・ハンマー!!」
これがババアとしーくんの必勝パターンだった。1人が囮兼陽動。そして隙をついてもう1人が攻撃。奇しくもアイアンモンキーたちの必勝パターンに通じるところがあるのがしーくんには不満なのだが。ともかく、この方法で何匹ものアイアンモンキーを仕留めてきた……が、これで決まるのなら彼らはここで苦戦したりはしない。
「ウホッ!!」
「受け止めた!?」
「やっぱり……」
ただ、肝心な火力が足りていない。しーくんの筋力ではアイアンコングを倒す必殺には至らない。それがこのパーティの弱点だった。今までは。
「そのまま抑えてろ」
アイアンコングが離れたことにより自由になったアンナが助走をつけて飛び上がり、そのままアイアンコングに抑えられているハンマーの”尻”を思い切り蹴り飛ばす。上から振り落とす力により拮抗していた力のバランスは、アンナの蹴りにより破れ。アイアンコングの腕を破壊し、そのまま頭を思い切り強打する。たったその一撃で、アイアンコングは泡を吹きながら倒れてしまった。
「すげぇパワー。やっぱりアンナちゃんはやるなぁ」
「触れるな。ババアがうつる」
「うつらないよ!!」
馴れ馴れしく肩に置かれたババアの手を鬱陶しそうに払うアンナ。折れた剣をそのまま鞘へと戻し、アイアンコングの死体を蹴り上げる。
「アンナちゃんの剣。折れちゃったね。女将さんの形見なのに……」
「女将さんは死んでないし剣はそこらで買った安物だ」
「ふ~ん……でも武器もないし今日はここらで帰ろうか」
「だな」
これ以上の深追いは禁物だし、アイアンモンキーならしーくんとババアで対応できるからともかく。アイアンコングがまた出てこられたら困る。だからこその退却である。
「あっ! それとババアちょっと……」
「なんだよ」
2人がなにやら内緒話をしているようだったが、アンナは自分には関係ないとさっさと来た道を歩き出した。
翌日。アンナの部屋……なのだが。彼女の性格を表すかのように何もない部屋だった。ベットとクローゼット、それに机しか置かれていない簡素な部屋である。そしてキッチリとハンガーで立てかけてある彼女の戦闘服。されとはとは違い、折れた剣はぞんざいに床に捨ててある。
冒険に出掛ける当日。服は女将さんが自分が冒険者だった頃に着ていた服をアンナ用に仕立て直してプレゼントしたものなのだが恰幅のいい女将さんの服をアンナの小柄な体型に合うように合わせるまでの苦労が滲み出ている。というか、しーくんが知ったら絶対に笑い話にされるだろう。
そして獲物に関しては女将さんもアンナの勝手がわからなかったので自分で用意をすることになった。アンナは店でずっと働き、本人は嫌がっていたが給金ももらい、それを女将さんにプレゼントを買う以外には特に使わずとってあるのでそれなりに貯金がある。だが、武器に特に拘りはないため安い剣を買っていた。それで昨日、簡単に折れたのだが。
「……今日は休みだったか」
いつもの習慣で、店が起きる早い時間に起きたアンナは冒険者になったことを思い出して、今日が始めて自分が冒険に出た翌日だから休みだと言ったあの2人の昨日の言葉を思い出していた。
『明日は休もう。アンナちゃんも疲れてるだろうしさ』
『いや、私は別に……』
『休もうよ!! 俺も疲れてるんだよ!!』
というしーくんの逆ギレにより食事も早々に別れてしまった。
「気を遣う必要なんかないんだが……いや」
そもそもあまり歓迎はされてないなと。口には出さなかったがアンナはそう思っていた。しーくんは言わずもかな最初から渋々といった態度だったし、ババアにいたっては突然のことに対して対処出来ていない始末。加えてアンナは無愛想で人から好かれる性格をしているわけではない。昨夜も食事も早々に解散したし、あの2人はなにかを話し合っている様子だった。この調子なら直ぐに解雇されるだろうとも。
「まあいいか。飯でも食べに行こう」
クビになったらなったで次を探せばいい。それよりも不意に訪れた休日の過ごし方を考えなくてはいけない。アンナは女将さんにまた店の手伝いをさせてもらえないか頼んでみようと考えながら食堂へと向かった。
既に朝の準備が始まり慌しい食堂の入り口で、アンナは珍しく目を白黒とさせていた。
「給仕さん! こっちお願い!!」
「はいよー!!」
「こっちもー!!」
「ちょっと待っててー」
そこにはフリフリのメイド服に身を包んだババアがせっせと給仕を行っていた。
「いやぁ、アンナちゃんも良かったけどやっぱり美人どころがいると違うよなぁ……」
「胸が違うんですよ胸が」
そんなことを言っていた客の頭を思い切りぶん殴り、ババアへと近づくアンナ。ババアはアンナに気付きどうしたのかと首を傾げるが、アンナはババアの肩に手を乗せて凄い不憫そうな顔をする。
「ババア。無理すんなよ」
「してないよ!!」
今日1番の怒声がババアから放たれた……
「まああたしたちも暇でさ。女将さんに頼んだらアンナちゃんが抜けた穴に入るって形でやれたんだよ。わかった?」
「ババア、無理だろ」
「無理じゃないよ!!」
席についても口が減らないアンナの口撃に既に心が折れかけているババア。そこでふと、アンナは今のババアの言葉にあったおかしな点に気付く。
「あたしたちって。しーもいるのか?」
「しーなら厨房に入ってるぜ。今日はいつもの料理人休ませてやるんだとさ。しー! アンナちゃんに飯!!」
「りょーかい!!」
厨房から確かにしーくんの声が聞こえてくる。途端にアンナが不安そうな顔をする。
「なあ……」
「言ってやるなよ。まずは食べてみなってね」
「ババア! アンナちゃんのー!!」
「はいどうぞ!!」
朝はあまり重いものが食べたくない。そんな人が多いだろうと考え、いつものメニューの他にしーくんが作った雑炊が出てくる。ご飯に鰹節で作った出汁で味を調え、にんじんやしその葉で彩を加え、隠し味にごま油を一滴入れた渾身の一品である。
アンナはそれを一口食べて驚いた顔をする。
「どうだい?」
「料理の良し悪しに作った人間の人格は関係ないんだな」
「アンナちゃんも大概酷いよね」
でも、手を止めないアンナに一応、アンナなりの褒め言葉だと思って受け取ったババアは少しお節介ながらにアンナの耳元に口を寄せる。
「それ実は他の客のより少し豪華になってるんだぜ。しーに感謝しろよ」
「……」
それをどう受け取るのかはアンナ次第だが、いつもより砕けた顔をしているアンナを尻目に、ババアは厨房への受け口から顔を出してしーくんを呼ぶ。
「しーもアンナちゃんにサービスするなんて良いところあるじゃねえか」
「アンナちゃんの好みとかわからないからね」
「でもまぁ、お前の愛情表現だと思えば――」
「犬用に味付けしたやつだけど。アンナちゃんに合ってくれてよかった」
ババアは頭を抑えながら、今しーくんが言った言葉を反芻する。どうやら聞き間違いではないらしい。
「あれ。犬用だったの?」
「当たり前でしょ。なに言ってるの?」
バレたら確実に殺されるだろうことがわかっているのでババアは口を噤む。今のは聞かなかったことにしようと心に留めて。
アンナはその日、一日中食堂にいたが、ババアもしーくんも特にミスをすることなく仕事をやり終えた。
「あんたたち。ありがとね。これ今日の給金」
「「ありがとうございまーす!!」」
「でも意外だったね。ババアはともかく、しーも料理が出来たなんて」
「生前は大家族だったんで。大人数の料理はお手の物ですよ」
特に様々な民族がひしめくこの世界で、なぜか日本食中心の調味料や食材が多かったこともあるのかもしれない。しーくんはそれを特に疑問には思っていなかったようだが。
「あたしも生前はウェイトレスをやってた時もあったからね」
「今では見る影もないのにね!!」
「そういうことを言うなよ!!」
いつものように売り言葉に買い言葉で喧嘩を始める2人。それを端で見ていてアンナはどうしようもない疎外感を感じていた。
翌日。今日は普通に迷宮に行のだが……
「遅い」
蜘蛛の子亭の前では今にも噛み付きそうなぐらい不機嫌な顔をしたアンナが立っていた。特に待ち合わせなどはしていないのだが、朝食にも降りて来ないで今現在も姿を表さない。部屋まで行って叩き起こそうかと思った矢先、ドタドタと階段を慌しく降りて来る音が聞こえてくる。
「セーフ!?」
「いやいや、ギリギリだったねアンナちゃん」
「普通に遅れてるが」
息切れをしている2人を見て怒る気もなくすアンナ。どうせ2人で自分を辞めさせる相談でもしていたのだろうと。そう思ってしまう。その2人はアンナの顔を見てニヤニヤと笑っているし。
「アンナちゃん。剣はどうしたんだい?」
「また買ってきた」
「でも安物の剣だとまた折れるかもしれないだろ」
それが楽しいのだろうか。2人はニヤニヤと笑顔を絶やさない。その態度にいい加減、短気なアンナが爆発しそうになる寸前、2人は背に持っていた二刀の剣を手渡してくる。それを自然に受け取り、刃を抜いてみる。
「手に吸い付くこの感じ。これは……」
少なくともアンナが買った安物とは比べ物にならないぐらい、高いものだろうと剣のことをあまり知らないアンナでさえそれがわかった。
「刃にミスリル鋼ってのを使ってる特別性らしいよ」
「どうしてこれを……」
「そりゃあアンナちゃんがあたしたちと一緒に冒険してくれて嬉しいからだよ」
嬉しい? その言葉を反芻するアンナ。人から一緒にいて恐ろしいと言われることはあっても、自分といて嬉しいと言われたのは初めてかもしれない。
「一昨日、しーがアンナちゃんがパーティに入った記念になにか買ってやりたいって言ってさ。丁度剣も折れたし、これを買ってやろうかって話になったんだけど。金が足りなくてね」
「昨日バイトした分で足りて良かったよ。お陰で無一文に近いから、今日は頑張って宿泊費ぐらい稼ごうよ」
「…………」
途端に自分が恥ずかしく思えてくるアンナ。この2人は馬鹿なりに自分のことを思ってこんなプレゼントまで用意してくれたのに、自分はなんだと。人を疑って2人にツンツンして。せめて……
「ありが――」
「でもさぁババアも酷いよね。女の子のプレゼントに武器なんて色気のないものにしてさー。俺が最初に提案してたものにすれば良かったのに」
「ば、馬鹿!?」
「最初に提案したもの?」
止めるババアの声が聞こえていないのか、しーくんの口は止まらない。
「女の子。悩み。アンナちゃんが今欲しいものといえば胸パットでしょうに。ただでさえ胸がないんだからそれを大きく見せたいって願望はあると思うんだ」
「……」
「いやま。幾ら魔物の類だからってアンナちゃんも女の子だかr――ぎゃああああああああ!? 足! 足に刺さってる!!」
「こんな素敵な剣をくれて、こんな素晴らしい試し斬りのための獲物を用意してくれるなんて。冥利に尽きるな」
「違うよ!! 俺はみんなのアイドルしーくんで――」
ズッバズバと。皮を薄切りにされていくしーくんを見てババアは〆らない奴だなと溜息をつく。そもそも、このプレゼント作戦を考えたのもバイトを考えたのもしーくんなのに。頑張ればフラグを建てられただろうにこれである。
「でもま」
嬉しそうに斬っているアンナを見て、当初のアンナを喜ばすという目的は達したのでいいかと思うババアだった。
ババアはうつりませんが不治の病なのでご容赦を