婚約者が子供になりました
まろい頬はほんのりと赤く染まり、煌めく湖のような大きな瞳は潤んでいる。とろりとした蜂蜜を思わせる髪はふわりと跳ね、触れれば指先が沈みそうなほど柔らかそうだった。
短いズボンから出ている膝はつるりとしており、子供特有の柔らかそうな脹脛は濃い灰色の靴下が覆い隠していた。
お尻を隠す丈のローブの下には薄い灰色のシャツと臙脂色のベスト、その上から濃い緑のジャケットを羽織っている。短いズボンも同じ濃い緑でまとめられていた。
「あぁぁぁぁぁー!可愛いですわー!」
「リズ、うるさい」
「仕方ありませんでしょう? ウィル様がこんなにも可愛らしい年頃に戻られるなんて!」
「うるさい……すきで、こんな、ことに、なったわけじゃ」
「泣かないでくださいませ! 申し訳ありません。一番不安なのはウィル様ですのに」
ぎゅっと抱きしめると、相当に心細かったのだろう。幼いウィルフレッドはエリザベスのドレスをきゅっと握りしめ、そのまま小さく額を押しつけてきた。
ハルデア伯爵家の唯一の娘であるエリザベスには婚約者がいる。それが椅子に座ったエリザベスの膝の上に乗っかる子供――になってしまった第三王子のウィルフレッドである。
王太子である第一王子とは十歳年の離れたウィルフレッドは、生まれながらに膨大な魔力を持っていたことと、既に長兄が磐石な地位を確立していたこともあり、どこかの家に婿入りすることが決まっていた。
その婿入り先に選ばれたのが、先祖代々由緒正しい魔法使いの家系であるハルデア家であった。
エリザベスもウィルフレッドと同じ大きな魔力持ちであり、魔力暴走しても耐えられる設備が整っていることが選ばれた理由であった。
ウィルフレッドはとても外面が良い。兄達に迷惑をかけないように良い子でいようとしていたからだろう。その反動なのか、エリザベスの前ではいつでもむっつりとしていた。
それは別に不機嫌だからではない。彼の素が無愛想なだけで。好き好んで使っているわけではない顔の筋肉を休ませるために無愛想になっているだけなのだ。
天使のような子供だったウィルフレッドは、成長すると天の御使いのように麗しい青年へと育った。美男美女として各国からも注目されていた国王夫妻の子供だ。大変麗しくなるのは約束されたも同然。
ウィルフレッドの婿入りを望む家はそりゃあもう多かった。令嬢達のぎらぎらとした狩人のごとき目付きがウィルフレッドのトラウマになったほどだ。
エリザベスが選ばれたのは、ウィルフレッドの顔面に興味がこれっぽっちもなかったからである。
婚約時、十歳だったエリザベスはウィルフレッドを見ると満面の笑みを浮かべて近づいてきた。そこにはあのぎらぎらとした強い視線はなく、身構えていたウィルフレッドも少しだけ警戒を解いた。
『初めまして、エリザベス・ハイデアと申します。殿下の魔力量はわたくしより多いと聞きました』
エリザベスはウィルフレッドの顔よりも内包している魔力量にしか興味がなかったのだ。
エリザベスは火の魔力が強いからか、燃えるような朱色にも似た赤髪と目を持つ可愛らしい女の子だった。それに対して氷の魔力が強いウィルフレッドは白銀の髪の毛にアイスブルーの目をしており、二人が並ぶと相反する色合いは明白だった。
魔術師は多くいても魔法使いは少ない。体内の魔力を直接魔法として放出するには魔力量が定められた基準を超えていなければならない。
魔法使い同士ならばわかる感覚を、そうでないものは理解出来ない。ウィルフレッドを諦めきれない家や令嬢達は、反対属性のエリザベスとの結婚を反対していたが、ウィルフレッドとしては余計なお世話としか言えなかった。
エリザベスの胸元に顔を埋めながらぐずぐずと不貞腐れている。本来の年齢が二十歳であることを考えると問題でしかない光景だが、子供の姿だからか誰も咎めない。
エリザベスはウィルフレッドの顔に対して確かに興味はなかった。魔法使いとして生まれ育ってきたエリザベスにとって、どれだけ効率的に魔法を使うか。どれだけ美しい魔法を放てるか。それが大事なことで、外見の優先順位は低かった。
それでも、ついつい叫び声を上げたくらいに幼い頃のウィルフレッドは可愛らしかった。
初めて顔を合わせた時には既に荒んだ目をしていたので、不安で潤む目は初めて見た。顔だけしか見ない令嬢達は彼を獲物としか見ていなかったそうで、目が荒むのも仕方ないなとエリザベスも理解していた。
今、エリザベスがウィルフレッドを膝の上に乗せているのは、何も彼が精神的に不安定になったからだけではない。
成長と共に魔力量が増えたウィルフレッドは、その魔力を受け止める器として肉体も成長してきた。
では、その莫大な魔力を宿したまま肉体だけが幼い頃の大きさへ戻ってしまったらどうなるのか。器に収まりきらなくなった魔力が溢れ出し、周囲へ影響を及ぼすのである。
氷の魔力を持つウィルフレッドから溢れた魔力は、周囲を氷漬けにしようとしていた。だからこそ、炎の魔力を持つエリザベスが中和するために抱きしめているのだ。
「ところで、なぜ小さくなりましたの?」
本来最初に聞いておくべきことだったのだが、周囲が氷漬けにならないように対処することが最優先になるのは仕方の無いことだった。
ドレスを掴む手に力が入ったので、ぽんぽんと背中を柔らかく叩くと、ウィルフレッドは悔しそうな声で経緯を語り始めた。
「どうしても、俺と孫娘を結婚させたかったバンディア侯爵が、肉体年齢を下げれば良いと、考えたんだ」
「まあ……お馬鹿なのかしら?」
「魔法使いのことをよくわかってないからだろうな」
何故、魔法使いが魔法使い同士でしか婚姻を結ばないのか。その理由を理解していなかったのだろうかと、エリザベスは呆れた。
魔力量が大きくなればなるほど、それを受け止める相手の負担も増していく。
氷属性のウィルフレッドと釣り合う炎属性の魔法使いは、それなりに存在する。だが、魔力を完全に相殺して中和するには、属性だけでは足りない。同等の魔力量が必要なのだ。
少しでもこのバランスを欠けば、相手は異なる属性の魔力に侵食され、命を落とすことさえある。
見た目や地位といった表面的な情報だけで、魔法使いの婚姻を決めようとすること自体が危険なのだ。
「肉体年齢を下げるならば、魔力量も減らさなければならないのに」
「まあ、そのバンディア侯爵は死にかけているがな」
「あら、あらあら。もしかしてその場にいらしたの?」
お抱えの魔術師数名を引き連れ、ウィルフレッドを罠にはめて身動きが取れないようにした後に魔術を発動させたらしい。
魔法使いになれない魔術師は劣等感があったのか、ウィルフレッドの肉体年齢の引き下げに成功して大喜びだったらしいが、代償はその命だった。
肉体という器から溢れた魔力は暴走し、容赦なく魔術師やバンディア侯爵を襲った。油断していた魔術師たちは、凍てつく氷の魔力を心臓へまともに受けた。
侯爵は立ち位置的に少し離れていたため、心臓に達する前にウィルフレッドが制御したことで何とか凍るのを避けられた。しかし、全身は氷に覆われ、助け出された時には死の淵にいた。
本来、王族と言えども誰かを害することは許されないが、ウィルフレッドは被害者だった。その証拠が彼自身の幼くなった体である。
魔塔という、世間で生きることが難しい魔法使いが属する組織から、定例会議の打ち合わせのために来ていた老魔法使いが幸運にもその場にいた。
老魔法使いは、この結果は避けようがなかったと断じた。
そもそも、肉体の年齢を下げるなど危険でしかない。
肉体の年齢を成熟期まで戻す術は存在する。己の魔力に耐えられる肉体を取り戻すためだ。しかし、未成熟な子供の体へ戻すなど、自ら死を招く行為に等しい。
さらに致命的だったのは、魔術式そのものが不完全だったことだ。せめて魔力量を抑え込むようにしていれば良かったのに、器だけを縮め、魔力量には一切手を加えなかった。その瞬間から、この暴走は避けられない結末だった。
「それで、戻れますの?」
「魔塔が解析してくれている。半月は欲しいそうだ」
「ふふ。ならば、その間、ウィル様はわたくしが独占ですわね」
「……そうなるな」
「寝る時はどうなさいます? わたくしと一緒に寝ますか?」
「ん……」
幼い姿になってしまったウィルフレッドが婚約者のエリザベスの屋敷に来たのは、完全に中和が出来るのが彼女だけだからだ。
それに、屋敷自体が魔力暴走に対応している為、不測の事態に備えられる。
老魔法使いが連れてきた時には何事かと思ったけれど、こうして密着しているとウィルフレッドの魔力は落ち着いているので、周囲の者たちも胸を撫で下ろしていた。
確かに婚姻はしていないが、婚約してから既に八年。十八歳になったエリザベスは今年中に式を挙げる予定であり、婚約者らしい触れ合いをしていても、今さら咎める者はいなかった。
とはいえ、一緒に眠るとなれば流石に話は別である。
見た目は完全に子供のウィルフレッドに対してエリザベスの心の塀はないも同然だった。
それに、眠っている間こそ魔力暴走は起こりやすい。起きていれば無意識のうちにも制御できる魔力も、眠ればその意識が途切れる。
だからこそ、夜こそ誰よりもエリザベスが傍にいる必要があった。
エリザベスの頭からすっかりと抜け落ちていることがある。
それは、ウィルフレッドは体こそ幼くなってしまったものの、中身は二十歳の健全な男である、ということだ。
確かにエリザベスに対して無愛想なウィルフレッドだが、だからと言って嫌っているなんてことはない。寧ろ、素っ気ない態度でいてもにこにこと笑顔を向けてくれるし、同じくらいの魔力量を持つ魔法使いとして同じ目線で話が出来る。
お互いにままならない魔力暴走に苦しんだ過去を共有してきた。
絶大な信頼が愛へと変わるのは、ごく自然なことだった。
エリザベスは慈悲深い微笑みを浮かべながら、今のウィルフレッドを完全に子供として扱っている。しかし、中身は二十歳の青年だ。
ウィルフレッドはエリザベスを、一人の女性としてしっかりと認識していた。
今だって下心はあるというのに、エリザベスはまるで気付いていない。悔しいと思うべきか、それとも幸運だと思うべきか。ウィルフレッドは密かに悩んでいた。
双方、絶妙にすれ違いながらも仲睦まじい婚約者同士なので、大きな波乱になることはなかった。
半月後、無事に元の姿に戻れたウィルフレッドは多少疲弊はしていたものの、見上げるだけだったエリザベスを見下ろして満足していた。
「ウィル様を見上げるのは久々ですが、やはりこちらの方が安心出来ますわね」
「俺もだ」
半月もの間、魔力を安定させるために寄り添い続けたせいだろう。適切な距離へ戻ったはずなのに、二人ともどこか物足りなさを覚えていた。
ちらりと上目遣いで見上げるエリザベスの可愛さに、内心では悲鳴を上げながらも、ウィルフレッドの表情は相変わらず冷静だった。
彼は何気ない仕草で、そっと両腕を開く。
ぱちぱちと瞬きをしたエリザベスは、ふにゃりと頬を緩めると、何の疑いもなくその腕の中へぽすりと収まった。
「子供のウィル様は可愛かったですわ」
「ん?」
「ですが、こうして抱きしめられるのは、大人のウィル様だけですわ」
そんなことを言われてしまっては、思わず強く抱き締めてしまったウィルフレッドを責められる者などいない。
なお、つい先程元の姿に戻ったばかりで、室内には魔塔の魔法使いや同席していた兄達、それに使用人や騎士達も壁際に立っていた。
だが、すっかり二人だけの世界に浸っていたウィルフレッドとエリザベスは、そんな彼らの存在をきれいさっぱり忘れていた。
主人公にだけ無愛想な婚約者。
という定番ものだけど、ほのぼのラブラブを書きたかったので書きました。
ショタの膝からしか得られない栄養素はある。




