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第6話 救済の残骸

投稿が遅くなり申し訳ないです。

本話も楽しんで頂ければ幸いです。

 祈りの場での調査を終えてから、まだそう時間は経っていませんでした。


 昼の日差しはまだ高く、空も澄んでいるというのに、村全体を覆う空気はどこか沈んでいる。

 先ほど聞いた「救われていますから」という言葉が、頭の片隅でじわじわと反芻されていました。


「原因そのものは、ここにはないと、そうおっしゃっていましたよね」


 ハロルドさんが、おそるおそるといった様子で私を見ます。


「ええ。少なくとも、祈りの場は『入り口のひとつ』に過ぎませんでした。皆さんから抜き取られた恐怖や痛みは、あの場所で一度集められたあと、別の場所へと流れていっているようです」


「べ、別の場所……」


「北西の森。その少し奥の方です」


 私の言葉に、ガレスさんが短く頷きました。


「つまり、本当の巣はそちらにある、ということか」


「今のところは、それが一番自然な解釈かと。そこで何が行われているのかまでは、実際に見に行かなければ分かりませんが」


 ハロルドさんの喉が、ごくりと鳴りました。


「村は……どうなってしまうのでしょうか」


「現時点で、はっきりと言えることはひとつだけです」


 私は、あえて少し言葉を区切ってから続けます。


「原因を断たなければ、何も変わらないということです」


 ハロルドさんの顔に、安堵と絶望が同時に走りました。

 残酷な物言いだとは、自覚しています。それでも、期待だけを見せておくほど、私は優しくも不誠実でもないつもりです。


「ですから、まずは向こう側をどうにかしましょう。そのうえで、村の状態がどこまで戻るかは、改めて判断させて頂きます」


「……お願いします。どうか、あの者たちを……」


 ハロルドさんが、縋るように頭を下げました。

 その姿を見ながら、私は心の中でそっと首を傾げます。


 ――ここまで追い詰められてもなお、真っ先に口から出てくるのは『村をどうするか』ではなく、《《教団》》をどうにかしてほしいですか。


 まったく。

 人間とは、本当に複雑で、手間がかかって、だからこそ興味深い。


「向かおう」


 ガレスさんが、話を締めるように声を上げました。


「これ以上、村の人間を連れ去られる前に、巣を叩く。増援を待っている余裕はないと見ていいだろう」


「そうですね。魔力の流れが安定しているうちに、辿ってしまった方が効率的です」


 そう答えると、ミレーユさんが少しだけ眉を寄せました。


「……戻ってきたとき、村の人たちの顔が、今よりも失われていないといいのですが」


「そのためにも、早く終わらせるに越したことはありませんね」


「はい」


 ミレーユさんは、胸元の聖印を軽く押さえ、静かに祈りの言葉を口の中で転がしました。


 隣で、カミルさんがごくりと喉を鳴らすのが分かります。


「白夢さんは……怖くないんですか?」


 移動の準備を整えながら、小さな声で尋ねてきました。


「さきほども言いましたが、肉体的な死については、あまり。未知の方が、よほど怖いですからね」


「未知、ですか」


「ええ。森の奥で、彼らが何を見て、何を救いと呼んでいるのか。そちらの方が、よほど興味があります」


 私が努めて淡々と答えると、カミルさんは困ったように、けれどどこか納得したように頷きました。


「……やっぱり、すごい人だと思います」


「褒め言葉として受け取っておきましょう」


 私は小さく笑い、森の方角へと視線を向けました。


 ――さて。向こう側が、どの程度やり切ってくれているのか。


 期待しても良さそうですね。


 ◇ ◇ ◇


 村を離れてしばらくは、まだ人の生活の痕跡が残っていました。


 踏み固められた獣道。薪を運んだと思しき車輪の跡。

 しかし、森の縁に差しかかる頃には、足元の土の感触が、わずかに変わっているのが分かります。


 乾いた地面から、じわりと湿り気を帯びた土へ。

 生き物の気配はあるはずなのに、鳥のさえずりが遠い。

 風までもが、どこか息を潜めているようです。


「……音が、少ないですね」


 カミルさんがぽつりと零しました。


「そうですね。完全な死ではありませんが、生き物たちが本能的に避けている印象です」


 私は霊核に意識を向け、薄く魔力を巡らせました。

 祈りの場で感じた線香の煙のような流れが、ここでは、ひとつの筋となって森の奥へと伸びているのが分かります。


「線は、はっきりしていますか?」


 後ろから、ミレーユさんがそっと問いかけてきました。


「はい。恐怖や痛みの残滓が、まだ新しい。ここ数日から、長くても一週間といったところでしょうか」


「つまり、今もどこかで『誰かが』あれを続けている、と」


「そういうことになりますね」


 ガレスさんが、足を止めずに問いかけてきます。


「隊列はこのままでいいか? 俺が先頭、白夢殿がそのすぐ後ろ。ミレーユは中程、カミルは殿だ」


「問題ありません。何かあれば、すぐに前に出ます」


「ぼ、僕は……」


「背中を見ていれば大丈夫ですよ」


 私が軽く振り返ると、カミルさんは驚いたように目を丸くし、それから小さく笑いました。


「……はい。がんばります」


 それからしばらく、森の中を黙々と進みました。


 木々は鬱蒼と茂っているわけではありませんが、枝葉が光を遮り、道の先が少し暗く見える。

 地面には、ところどころに擦り切れた跡が残っていました。人の足跡、重いものを引きずった痕、そして、獣とは違う、妙に不規則な爪痕。


(ふらつきながら歩いた……あるいは、引きずられていった痕でしょうか)


 観察すればするほど、ここがただの森ではないことが、嫌でも理解できてきます。


 そんなときでした。


 前を歩くガレスさんが、ぴたりと足を止めました。


「止まれ」


 低い声が、森の静寂に落ちる。

 私もすぐに足を止め、前方に意識を集中させました。


 ――何かが、いる。


 枝を踏みしめる、小さな音。

 そのリズムには、生き物特有の迷いや警戒心が乏しい。


「誰だ」


 ガレスさんが声をかけると、茂みの影から、ゆっくりと人影が現れました。


 一人の男でした。

 年の頃は三十代ほど。

 村で見かけてもおかしくない、平凡な顔立ち。


 ただし、その目は焦点を結んでおらず、どこか遠くを見ている。

 口元が、かすかな祈りのような言葉を、延々と繰り返していました。


「……ふ、かき……ところへ……かえ……り……」


「……白夢さん」


 カミルさんが、小さな声で囁きます。


「人ですよね……?」


「半分、ですね」


 私は答えながら、男の胸元へ視線を滑らせました。


 服の隙間から覗いた肌には、黒ずんだ刻印が刻まれていた。

 教会で見た『粗悪な聖痕もどき』と同じもの。ただし、こちらはさらに形が崩れ、線が滲んでいます。


 霊核の半分が、既にこの場に存在していない。


(肉体はあれど、魂が半分にされたような状態です。そして、ここにない魂の片割れは、どこか別の場所に引きずられているように見えますね)


 男は、私たちの存在など見えていないかのように、ふら、ふら、と足を進めてきます。


 次の瞬間。

 祈りの言葉が、不自然に途切れました。


 顔を上げる。

 白濁していたはずの瞳が、突如として鋭く細まり――。


「来るぞ!」


 ガレスさんの警告と同時に、男の身体が地面を蹴りました。


 さきほどまでの緩慢な動きからは想像できない速度。

 まるで、自分の身体の限界を理解していないかのような、無茶な踏み込み。


 瞬間的に筋肉と骨にかかる負荷を、一切省みていない動き。


 ガキン、と硬質な音が響きました。

 ガレスさんの剣が、男の腕を弾き返す。


 人体から発せられる音ではありませんね。

 見たところ、肉体の強度は鉄以上といったところでしょうか。


 弾かれた腕は、人間の関節としてはありえない方向へとひしゃげていました。


「……っ」


 ミレーユさんが息を呑み、カミルさんが思わず後ずさります。


 男は、折れた腕など存在しないかのように、再び飛びかかってこようとしました。

 口元は、もはや祈りではない。

 唸りとも悲鳴ともつかない音を漏らし続けています。


(なるほど。痛覚のフィードバックが、ほとんど遮断されていますね)


 私は短く息を吐き、手早く簡易魔術式を組み上げる。

 ――土系統魔術、泥化。


「足を止めます。ガレスさん、右側からどうぞ」


 そう告げて、構築した術式に魔力を流し込む。

 完全に動きを封じるほどの出力ではありませんが、一瞬、バランスを崩させる程度なら、これで十分でしょう。


 男の足元の土が、ぐじゅりと音を立てて一気に泥へと変わる。

 踏み込んだ脚がずぶりと沈み、男の身体が不自然に前のめりになって――その瞬間、動きが止まりました。


 その隙を逃さず、ガレスさんの剣が横一文字に走ります。


 鈍い音と共に、男の身体が崩れ落ちました。

 ミレーユさんがすぐさま前に出て、薄く光を帯びた手を男の胸元に当てます。


「……まだ、ほんの少しだけ、残っていますね」


 彼女の声は、どこか悲しげでした。


「戻せそうですか?」


「完全には無理でしょう。ですが、引き伸ばされ続ける苦痛からは解放できます」


「それなら、十分ではありませんか」


 私が淡々と言うと、カミルさんがこちらを見ました。

 その瞳には、わずかな戸惑いと、それでも否定しきれない同意の色が混ざっています。


 ミレーユさんは、静かに祈りの言葉を紡ぎました。

 淡い光が、黒ずんだ刻印を包み込む。

 やがて、男の身体から力が抜け、完全に動かなくなりました。


「……せめて、終わりだけは、穏やかでありますように」


 ミレーユさんの言葉に、私はほんの少しだけ目を細めました。


 ――少なくとも、素材として中途半端に弄ばれる未来からは、解放されたわけですから。


 教団の理屈では、これもまた《《救済》》の一形態なのでしょう。

 私個人の価値観としては、賛同しかねますが。


「白夢殿」


 ガレスさんが、短く私の名を呼びました。


「今の男も、あの祈りの場と同じ線の上にいると見ていいのか?」


「ええ。霊核の下半分が、別の場所に繋がれているような感触でした。こちらから無理に辿ることもできますが……」


「危険か?」


「接続先から引っ張り返される可能性があります。今は、流れそのものを追うのが妥当でしょう」


 私は改めて周囲の魔力の流れに意識を沈めました。


 ――やはり、ここで終わってはいない。


 恐怖と痛みの細流は、今の男を通り過ぎたあとも、さらに奥へ奥へと続いている。

 やがて、それらがひとつの場所へと収束していく気配が、はっきりと感じられました。


「この先、そこまで遠くはありません。少し地形が落ち込んでいる場所があるはずです」


「行くぞ」


 ガレスさんが、剣についた血を軽く拭い、歩き出しました。


 ◇ ◇ ◇


 森の中をさらに進むと、地面の傾斜が徐々にきつくなっていきました。


 木々の間から、ぽっかりと開けた窪地が見えてきます。

 そこは、地形そのものがすり鉢状になっており、中心部には暗い影が口を開けていました。


「……洞窟?」


 カミルさんが、小さく呟きました。


「あるいは、もともと小さな祠か何かだったのかもしれませんね」


 窪地の斜面には、ところどころに削られた跡が残っていました。

 人の手が入った形跡。木の根をどけ、足場を作り、何度も行き来したであろう足跡。


 中心部には、岩肌をくり抜いたような入口がひとつ。

 その周囲の石には、見覚えのある歪んだ紋様が刻まれています。


「……教会のものとは違いますね」


 カミルさんが、入口の側面に刻まれた紋様を見て言いました。


「ええ。初期の聖痕研究で使われていた術式を、無理やり更新した痕跡があります」


 私は岩肌に指先を添え、線の流れをなぞりました。


「線の引き方は雑ですが……根本にある発想は、なかなか筋が通っている。しぶとい研究者がいるようですね」


 ガレスさんが、短く息を吐きました。


「ここが本拠だと見ていいのか?」


「少なくとも、恐怖と痛みの行き先は、この下です」


 私は洞窟の入口から吹き上がる風を感じ取りました。


 冷たい空気。

 それに混じる、血と薬品と、未だ形になりきれていない“何か”の匂い。


「一度戻って、増援を要請する、という選択肢もある」


 ガレスさんが、あくまで冷静に言いました。


「ここまでの情報だけでも、本部にとっては十分な価値がある。無理に突っ込んで、全滅するわけにはいかん」


「それも一理ありますが――」


 私は洞窟の闇を見つめたまま、言葉を継ぎました。


「増援を整えている間に、彼らが引っ越しをしないという保証はありません。深淵を覗き込むような人間が、のんびりここに留まり続けるとは思えませんし」


「……確かに」


 ミレーユさんが小さく頷きました。


「術式が完成しきる前に止められるなら、その方が被害は少なくて済みますね」


「私としても、情報の鮮度が落ちるのは避けたいところです。今なら、まだ術式の途中経過を直接観察できるかもしれませんから」


 自分でも呆れるほど、研究者らしい本音でしたね。

 ですが、事実でもあります。


 カミルさんが、喉の奥で小さく息を呑みました。


「ぼ、僕は……」


 何かを迷うように視線を揺らし、それから、ぎゅっと拳を握りしめます。


「僕は、白夢さんの側で記録を取ります。誰かが、ちゃんと見ておかないといけない気がするので」


 その言葉に、私は少しだけ目を丸くしました。


 ――こういうときに、迷いながらも足を前に出せる人間は、案外嫌いではありません。


「ありがとうございます。とても心強いですよ」


 そう告げると、彼は顔を赤くしながらも、はっきりと頷きました。


 ガレスさんが、静かに決意を固めたように息を吐きます。


「よし。ならば、慎重に行くぞ。俺が先頭だ。白夢殿はそのすぐ後ろ、ミレーユは中程、カミルは最後尾。いいな?」


「はい」


「了解しました」


「……分かりました!」


 それぞれの返事が、窪地の空気を震わせました。


 洞窟の入口から、冷たい風が頬を撫でていきます。

 その奥に広がるのは、深淵へと続く、誰かの答えの残骸。


 ――ようやく、本丸ですね。


 私は一歩、暗闇の中へと足を踏み入れました。

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