第5話 祈りの集積点
本日最後の更新です。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
村の外れは、思っていた以上に静かでした。
畑と家並みが途切れた先、なだらかな斜面を少し登ったところに、問題の「祈りの場」はありました。
小さな石垣に囲まれた一角。
中央には風雨に削られた石碑がひとつ。その周囲を、粗末な石の椅子が円を描くように取り囲んでいます。
もともとは、村人たちが季節の節目や弔いのときに集まって祈りを捧げていた場所、だそうです。
「ここから先は……私は、あまり近づかないようにしておりまして」
ハロルドさんが、石垣の少し手前で足を止めました。
先ほどまで村で見せていた「代表としての顔」から、わずかにはみ出すように、素の怯えが覗いています。
「無理に中までご同行いただかなくても大丈夫ですよ。ここから先は、私たちで確認します」
ガレスさんがそう告げると、ハロルドさんは安堵と罪悪感が混ざったような表情で頭を下げました。
「……お願い、いたします」
私は小さく息を吸い込み、意識を切り替えます。
まずは、視覚情報から。
石垣の内側には、焦げ跡がいくつも残っていました。
儀式に使われたであろう灯火の痕跡。溶けて固まった蝋の塊。ところどころに、黒ずんだ染みが土にこびりついています。
(血痕ですね。それも、人の)
量としては、そこまで多くない。
生贄として命を丸ごと捧げるというよりは、継続的に少しずつ「削り取っていく」タイプでしょうか。
私は霊核に、ごく微量の魔力を流し込みました。
霊核を通して、周囲の魔力の流れを探る。
空気の中を巡る揺らぎのうち、生き物からこぼれる生気に近い脈動と、それを汚すような濁り。
(やはり、死霊系統の残滓ですね)
単純な死の匂いとは違う。
死という「結果」そのものではなく、そこに至るまでの恐怖や苦痛といった感情の方に、術式の焦点が合っているように感じられます。
「白夢さん?」
石垣を跨いだところで、カミルさんが不安そうに声を掛けてきました。
「大丈夫ですよ。今のところ、危険な反応はありません。すぐに起動するような罠や、残留している術式の気配も薄いです」
少なくとも、「一歩踏み込んだだけで魂を引きずり出される」といった愉快な仕掛けはなさそうですね。
私は中央の石碑に歩み寄りました。
風化しかけた表面には、古い祈りの文句が刻まれていました。
『ここに眠る者に、安らかな眠りを』
『我らの営みに、明日の糧を』
素朴で、ささやかな願い。
それ自体は、どこにでもある、小さな信仰の形です。
問題は、その上に重ねられた「後付け」の領域。
石碑の足元近くに、歪んだ円形の紋様が刻まれており、白い粉がうっすらと残っている。
混ざっているのは、石灰と灰、それから、少量の骨粉。
「……ひどいですね」
隣に来たミレーユさんが、思わずといった声を漏らしました。
「本来の祈りの陣に、死霊術の構造を無理やり重ねている。浄めと慰霊の術式に、逆流するように穢れを流し込んで……。これでは、眠る魂も休まる暇がありません」
「同感です」
私はしゃがみ込み、紋様の一部に指先をそっと添えました。
すでに起動してはいませんが、術式の名残はまだ残っています。
「基礎構造自体は、初歩的な祈りの陣ですね。村に伝わる、簡易的な慰霊術式といったところでしょうか」
私は、そこに後から書き込まれた線を一本ずつ目で追っていきます。
「問題は、その上に上塗りされている方です。死霊魔術の回路。それから――」
線の一部が、見慣れた形に収束していました。
「やはり……聖痕術式の模倣で、間違いないかと」
ガレスさんが、眉をひそめました。
「模倣?」
「教会で用いられている聖痕術式と、いくつかの節が似通っています。ただし、かなり粗い。肝心な部分が抜け落ちているか、意図的に変質させたのでしょう。いずれにせよ、我々の研究には遠く及ばない、粗悪な模倣品です」
私は指先で、円の中心から伸びる線を軽くなぞりました。
「本来の聖痕は、霊核と自我を削りながら、『深淵』を越えるための足場を形成するものです。長い時間をかけて、少しずつ、段階的に」
「……そう聞くと、改めて怖い話ですね」
カミルさんが引きつった笑みを浮かべました。
「ですが、ここに描かれているのは、その足場を作る部分だけを雑に真似て、『恐怖』や『痛み』といった感情だけを切り離す仕組みのように見えます」
私は村で見かけた人々の顔を思い出しました。
恐怖は薄れ、感情の振れ幅も小さくなっている。
けれど、その代償として、人間としての輪郭そのものが、少しずつ削られている。
「『救済』という言葉を使うのも、あながち間違いではないのかもしれません。少なくとも、彼らの理屈においては」
「これのどこが救済だ」
ガレスさんの声には、はっきりとした怒りが滲んでいました。
「恐怖を奪う代わりに、人から心を奪っているだけじゃないか」
「心があるから恐れる。恐れるから、壊れないように踏みとどまれる。私は、そう教わってきました」
ミレーユさんもまた、静かな怒りを滲ませます。
信仰に基づいた彼女たちの言葉と、術式構造として見たときの私の感想は、必ずしも矛盾はしていません。
「教会の聖痕は、少なくとも、深淵の向こう側に至るための『橋』を作ることを目指しています」
私の言葉に、ガレスがちらりとこちらを見る。
「一方で、こちらの『粗悪な聖痕もどき』は、橋を渡る前に、恐怖心だけを河に投げ捨てているようなものですね。渡る気がないのなら、それでも構わないのでしょうけれど」
「……最終的には溺れる未来しか見えませんが」
ミレーユの呟きに、私は小さく笑いました。
「そうですね。それを救済と呼ぶかどうかは、当人たちの価値観の問題です」
やはり……おかしい。
あの模倣された術式は、明らかに深淵へ深く潜るよう作られている。
恐怖心と痛みを無くした理由は、騒ぎを起こさないため……いや、違いますね。
だとすれば、私たちが調査に来るような痕跡を残す理由がありません。
――つまり、溺れることを手段としている?
だとすれば、私や教会とは、見据えるゴールが違うのかもしれません。
面白い……実に興味深いではありませんか。深淵教団、いい研究材料になってくれそうですね。
少しだけ、彼らに会うのが楽しみになってきました。
「白夢さん、どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません」
私は立ち上がり、改めて場全体を見渡しました。
霊核を通して、もう一度、魔力の流れを追う。
村からこの場所へと続く、細い「線」が見えました。
人々が恐怖や苦痛を抱えてここに来て、それをここに置いていく。その流れは、理解しやすいものです。
問題は、その先。
(……ここで終わっていない)
祈りの場に蓄積されたはずの「何か」は、一定量を超えた時点で、別の方向へと流れている。
この陣は、単なる浄化装置ではない。
ある種の「集積点」であり、同時に「中継地点」でもある。
「白夢さん?」
「少し、黙って頂けますか」
私は目を閉じ、足元から伸びていく魔力の細流に、意識を沿わせました。
澱んだ恐怖と痛みの色。
それが、細い糸となって、祈りの場の外へと伸びている。
方向は――村の北西。
ゆるやかな起伏の向こう。森の縁か、あるいはその奥。
「……なるほど」
目を開けると、ガレスさんたちの視線が集まっていました。
「どうでしたか?」
カミルさんの問いに、私は短く答えます。
「ここは、入り口のひとつに過ぎません。『救済の儀式』そのものは、この場で完結していない」
「では、恐怖や痛みは、どこへ?」
「集めたものを、どこか別の場所に送っているようですね。媒体としての祈りの場。行き先は――」
私は村の外れとは別の方向を指さしました。
「あちらの方角です。距離は、そう遠くないはず」
ガレスさんが、小さく息を吐きました。
「つまり、そこに……」
「少なくとも、もう一つの拠点、あるいは『器』があると見ていいでしょうね」
私はしゃがみ込み、石碑の脇に小さな魔術用の器具を置きました。
簡易的な解析術式を刻んだ水晶片です。
「ここで使われていた術式の断片と、魔力の残滓を少しだけ採取しておきましょう。後で、教会に戻ってから詳しく解析します」
淡い光が水晶片を満たし、やがて静かに沈静化していきました。
「さて」
私は立ち上がり、石垣の外で待っていたハロルドさんの方を振り返りました。
「お待たせしました。ここでの調査は十分です」
「そ、そうですか……。で、では、村は……?」
彼の問いに、私はすぐには答えませんでした。
村そのものをどうするかは、まだ決める段階ではありません。
少なくとも今は。
「現時点で言えるのはひとつだけです」
「ひとつ、だけ……?」
「原因そのものは、ここにはいないということです」
ハロルドさんの顔に、安堵と不安が同時に浮かびました。
私は村の北西に広がる森の方角へと視線を向けます。
――深淵教団。
私や教会とは異なる道を選び、どんな答えを見出したのか。
続きは、その先で確認させていただくとしましょうか。
第1章までお読みいただき、本当にありがとうございました!
自我を削りながらも、たった一人への想いを抱え続けるそらの「計画」を、少しでも気に留めていただけたなら幸いです。
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