★The Beginning Comet★ ☆序章☆ 【世界の奏】
鳥のさえずりが耳の奥まで響く。
深く深く落ちていくものは、その深淵を見ることができるのではないだろうか。
何もない世界は、果たして世界として在るのだろうか。
真の世界は世界として機能しているのだろうか。
時間だけがその答えを知っている。
大地、海、生命は、その欠片に過ぎない。
全てパーツが揃った時、世界は己の姿を知ることとなるだろう。
草木のざわめきが肌を撫でる。
知る喜びは生きる喜び。
そしてわたしは、「世界と生きる喜び」だ。
☆ ☆ ☆
旅をする者には、一つだけ隣り合わせになっているものがある。それが有るのと無いとでは、今まで旅をしてきた者を冒涜しかねない。
俺はそれを自覚しているつもりでいた。彼自身もそれを背負い共に旅をしている。
察しがつくだろうが、それは「死」だ。死とは魂が身体から抜ける事?
それとも、この世から存在が消え去る事?
「うっ……ゲホッ……はぁ、はぁ……おぉぉぉぉ……」
そんな事知るかぁ! 俺は死にたくねぇんだぁぁ!!
なんでこんな、こんなもん食っちまったんだ……!
死ぬも生きるも、食わなきゃ生きてけねぇんだ!
生きるためなら食わねぇ選択肢なんかないだろう!?
「あはは! 何してんのアトラ! そんな真緑な顔して。あはは!」
高らかに笑うこいつは俺の唯一の旅仲間だが、今はぶっ殺してやりたい存在だ。その喉仏をこの手で抉りとってやりたい。
「ナータっ……! お前、解毒がっ、出来るだろうがっ! 頼む……!」
「ぐふっ! アトラ、そんな顔で言われると、体に力が、あはは! どこの惑星で、生まれたんですか!? あはは!」
俺を見てケラケラと笑いやがって。こんな惨めな思いはもう二度とごめんだ。
超猛毒のドラゴニックダケが食用のアカダケに化けるとか初めて知ったんだが!
「ナータ……! 覚えとけよっ! いつか、絶対に殺すっ……!」
「あー、笑った笑った。今解毒してやるから、もう怒らないでくれって」
そう言いながらうつ伏せでもがいてる俺の背中に魔法をかけるが、もちろん食っちゃいけないものを食べた俺が悪い。
しかしこいつには日頃の恨みがある。
思えば、他人が獲物にしていた獣を横取りしたり、俺が持っている金で勝手に魔法書を買ったりと。
今この瞬間だけはどうしても、抑えられない。
「はい。終わったぞ。もう大丈ブヘッ!」
起き上がりと同時に顔面にストレートを入れ込んでやった。
思いっきり殴ったんだ。
見事に岩にめり込んでいる姿を見ると清々しい気分だ。
「おい、ナータてめぇ。今回ばかりは我慢ならなかったぞ。あと少しで飛びかけたんだ。お前も生死を彷徨ってみるか?」
岩にめり込んだナータの目の前まで近づき、力こぶを見せながら脅してみた。
「ず、ずびばせんでひた……も、もうこんなことをしないと、神アメスピィにぢかいます……」
俺は溜息をついて、ナータを岩から引きずり出した。
「……本気で殴って悪かったな。さっさと自分に回復魔法かけて、その顔面どうにかしろ」
全身の痛みで震えながら自分に回復魔法をかけるナータを見た俺は、「後でこっちこいよ」と言い残し、焚き火へ戻り、片付けを始めた。
こいつと旅を初めて約2年が経ったが、世界はまだ遠い。おそらく片足すら踏み出せていないのだろう。
俺の知らない獣や魔獣、種族、村、知りたいことだらけだ。
そして旅をすることは強さにも直結する。だが一人だけではどうすることも出来ない壁がある。
それが魔法だ。
そう思ってナータを誘ったんだが、ハズレだったかもしれない。
そんなことをブツブツと考えながら作業をしていると、隣から気配を現して急に話しをかけてくる。
「それで、これからどうするんだ? 僕はまだここ居ても構わないけど。珍しいものが多いし。魔素が綺麗だから居心地が良いんだよね〜」
いつも思うが、こいつの隠蔽癖はどうにかならないのだろうか。
「決まってるだろ。ここを離れる。魔素とは違う何かがこの森にはあるんだよ。正直なところ気味が悪い」
魔素とは魔力の根源。
大気に存在している魔素を、生物が吸収して魔力に変換している。
「アトラが昔からずっと言ってる変な感覚ってやつか? 前々から言ってるけど、どうせただの勘だろ? そんな感覚があったらアトラも今頃、魔法師にでもなってるよ」
自覚なしで他人の癪に障るのは如何なものかねナータ君。一瞬だけ君の爪を少しずつ剥がす自分が脳裏に浮かんでしまったよ。
命拾いしたな。理性を保っている俺に深く感謝することだ。
「早く荷物をまとめろ」
「あ、はい」
軽く言っただけのはずが、驚くほど従順になっている。ついさっきの拳が効いたのだろう。
「朝飯がドラゴニックダケのおかげで食い物にならなくなったんだ。ここで野垂れ死ぬのはごめんだから、先に行っておくぞ。あとマッピングも忘れんなよ」
俺はナータにそう言い残して森へ走った。
★
ナータによると、俺の走る速さは尋常ではないらしい。
最速で移動する種族でさえ凌駕していると昔言っていた。
しかし結局なところ、転移魔法がその努力を全てねじ伏せているってのが現状だ。
頭にくる。
ちなみにマッピングは一度訪れた場所へいつでも転移出来るようにする魔法だ。
これも頭にくる。
ただしそのマッピング数は三箇所が上限。新しくマッピングする際は、過去にマッピングした地点が勝手に消えるようだ。
「そういえばアトラ、剣はどうしたんだ?」
俺の元へ転移してきたナータが尋ねてきた。
こいつは俺にマッピングをして常に転移している状態だ。
どうやら浮遊魔法でどれだけ速度を上げても、俺について来れないらしい。
「あぁ、折れたんだよ」
毎朝の日課である剣の素振りをしていると、どこにもぶつけていないはずなのに何故か折れてしまったのだ。
「ミスリル製がなんで折れるんだよ……昨日まで可愛がるように剣の手入れしてたのに、折れたからってすぐ手放すとか、作ってくれたドワーフの爺さんが聞いたら泣くぞ」
「そんなこと承知の上だ。だからさっきの場所に埋めて来たんだよ。剣も命を宿してるんだ。死体を意味も無く運ぶとか、不謹慎極まりないだろ? それと同じだ」
俺は誰よりも剣を愛す剣士だと自負している。武器を愛せない者は武器に愛されない。
しかしその武器を大切にしない存在がこの世に存在している。
それが『聖騎士』だ。
あいつらは戦うためなら武器はなんでも良いという精神で生きているクズ共。
そんな集団の中で昔、三日間仕事をしたのは腐った思い出だ。
「アトラがいいなら何も言わないけど、もう少し剣を振る時に力を抑えたらどう?」
「本気で振らなきゃ特訓にならないだろ。お前も魔法の特訓する時、全力で唱えてぶっぱなしてるじゃないか」
ナータの特訓は俺より酷い。場所によっては地図の形を変えてしまうほど、とんでもない大穴を作ってしまう。
魔法対決でナータに勝てる人物はこの世に存在しないかもしれない。
「それは不可抗力なんだよ! 僕の身体は魔力が溜まりに溜まると制御が効かなくなって、仕方なく初級魔法を全力で放つ羽目になるんだよ! そんなに他人のコンプレックスをネタ扱いして楽しい?」
まだネタ扱いされる方が優しいだろ。
お前はナチュラルに他人のコンプレックスを突いてくるから、さっきみたいに殴られるんだぞ。
「分かったから、フード引っ張るの止めてくれ。地味に苦しい」
「……ついアツくなった。ごめん」
こいつ、本当に俺の年上なのか疑う時があるんだよな。
幼馴染ではあるが、子供っぽさがまだ抜けてないように見える。
「んで、まだ村には着かないのか? そろそろ着いてもおかしくないと思う距離を走ったんだが」
森をずっと走るのも飽きてきた。理由は同じ景色しかないっていう我儘だけど。
「ちょっと待ってぇ確認するから。確かこの辺りに地図が、あったあった。えっと〜、今がこの辺りだと思うから、ん……?」
「どうした?」
「ごめんアトラ。真反対走ってた」
またか。
★
何となく察しはついていた。
こいつが地図を見て頭を抱える時はほぼこれだ。
いつも地図の確認は頻繁にしろって言っているんだが、カバンから取り出すのが面倒臭いからと妙に駄々をこねる性格はどうにかならないのか……。
「どこで間違ってたんだ? 分かるならそこまで転移で戻ればいいだろ」
流石に空腹過ぎた俺は走るのを止め、非常食である干し肉を口にしていた。
干し肉は日持ちが良い。いちいち飯を作らなくてもそのまま食える。
小腹が空いた時に速攻で胃袋に入るから、冒険者や騎士たちの強い味方だ。
「さ、さっき野営してたところまで戻らなきゃいけない……」
俺は少しため息をついたが、怒っても先に進めないし、とりあえずナータにも干し肉を渡した。
「ほら、お前も食っとけ。少し休んだら転移して、また移動だ。それと笑いを堪えているのもバレバレだからな」
今朝の俺を思い出して、必死に笑いを我慢しているのが目に見える。常人があれを食えば今頃空の上だろうな。
ドラゴニックダケ。
文字通り、ドラゴンでえあの世行きになるキノコ。
本来は全身真っ赤で妙にトゲトゲしい姿をしているんだが、稀に身を潜めているかのごとく他のキノコ類に化けていることがある。
「ご、ごめん、でも思い出すと、腹筋がっ……」
基本的に植物は魔力を持つが知性はない。
だが特殊個体となると話は別だ。
魔素濃度が濃い環境で生まれた植物は、ごく稀に自我を持つ個体が現れる。他の植物より多く魔力を所持しているせいか、魔法を使うこともあるのだ。
しかし使う魔法が初級魔法程度で、道行く生き物に、ほいそれと攻撃をするが、弱すぎてほとんど影響がない。
そしてその一つの特殊個体が『ドラゴニックダケ』だ。
今回は変化魔法で己の姿を一度見たキノコに化けていたのだろう。
いやらしいことこの上ない。
「俺が魔力を感じれないこと知ってるだろ。そもそも魔力を持っちゃいないから対策も出来ないんだ。だからお前を連れてるのに、その妙な性癖をどうにかしろよ」
「別に、誰に対してもってわけじゃない。アトラだからしてるんだよ」
「へぇー。妙な信頼だけはされているってことは伝わった」
ナータのこういうところが分からない。
信頼されてるのか、嫌がらせが好きなのか。
昔からの付き合いだが掴みどころがない時のナータは結構面倒臭い。
「妙な信頼って何。僕は、純粋に信頼してるからこうしてるんだよ」
「信憑性がない」
「あれ? もしかしてアトラ、照れてる? 顔がドラゴニックダケみたいに赤くなってるけどっ――――」
俺は持っている干し肉を無理矢理ナータの口に入れ込んで黙らせた。
こいつにはいつか生のドラゴニックダケを食わせてやる。
「走って体温が上がってんだよ! もう休憩は終わりだ! 早くしねぇと急に魔物や魔獣が襲ってくるかもしれない。今の俺は剣が無いから、拳でお前の詠唱カバーしか出来ないからな」
「大丈夫。詠唱ありで倒したことないから」
一体どっちの意味で言ってるんだ?
しかし少なくとも俺は今までの旅の中でナータが詠唱をしているところを見たことがない。
余裕の言葉なのだろう。
「そうか、じゃあ戦闘面では心配は要らないな」
「もちろん。でも、もしピンチになってもアトラが助けてくれるだろ?」
「当たり前だ」
「だから厚く信頼してるんだよ。はい、手出して」
そう言われた俺はナータの手に触れた。
今更だが、俺にだってナータへの厚い信頼がある。
そもそも魔法が使いない俺が一人で旅をしようだなんて思わない。
魔法を扱える唯一の友人がナータだったから旅に出たいと思ったんだ。
「着いた。今度こそは間違えないようにするから安心して。えっと〜、こっちだ」
気づけば、さっき居た場所に戻ってきている。
これだから転移魔法は……。
今に始まったことじゃないから何も言わないが、やはり自分で転移出来ないのは少し胸が痛い。
「本当に間違っていないだろうな? 二度確認は大切だから、念の為もう一度地図を見てくれ」
「えぇ〜……う〜ん、この方角で間違いない」
不安そうにその方角に指を差すが、地図を扱えるのはナータだけだ。大人しく言う通りに進むしかない。
「わかった。じゃあ進むから着いて来いよ」
魔法についてもそうだが、ナータは魔道具を自作してしまうほどの知力もある。
都合の良い魔道具が欲しくなったら買うのではなく、そこら辺に落ちている瓦礫や木材で作ってしまう。
今ナータが見ている地図も自作だ。
旅をする時に冒険者協会から地図を貰ったが、大陸の形や地形が大雑把に作られていて宛にならなかった。
その上、紙が脆いせいかカバンに入れているだけでボロボロになって使い物にならなくなる。
だからナータは地図を自作したのだろう。
「先行ってて〜。ちょっと試したいことあるから。あと方向は本当に間違いない」
俺が三度目の確認をしようと感じ取ったのか、念を押された。もちろん俺は今一度方向確認をしようとしていた。
さっきみたいに無駄に走るのはごめんだからな。こっちも念には念をってやつだ。
「はいよ。早く来ないと先に村に着いて、美味い飯食ってるかもしれないからな。全部無くなってても文句は言うなよ」
「大丈夫すぐ終わるから〜」
ルンルンと楽しそうにカバンを漁っては、必要そうなものを次々と取り出している。何をしようとしているのかは知らないが、気にしなくていいだろう。
そう思った俺は森の中へと走り込んだ。
……。
…………。
しばらく走っていると、ふと身体が反応する。
やはりこの森は妙に違和感を感じる。
故郷に帰ってきたような、数年ぶりの親に会うような謎の安心感がある。
その中で大量の魔素が何かを囲んでは散らばりを繰り返している。
どこでその現象が起きているのか場所を特定することは出来ないが、森全体がそうしているようにも感じる。
まるで何かを守っているかのような動きだ。
魔素が意志を持って何かを守るなんて聞いたこともないし実例も存在しない。
そんなことが不定期に発生している魔素だが、この森に何の影響も与えていない。
草木や獣は当たり前のように命を燃やして生きているし、実際にナータの身体さえも正常を保っている。
もはや心地いいとまで本人が言っているくらいだ。
それだけ魔素も綺麗で純粋な森として今まで生きていたのだろう。
だが妙に引っかかるこの感覚はなんだ……。
魔素とは別の何かがある?
いや魔素と共鳴して共に存在しているのか……?
分かるようならもう少しこの森に居座ってみたいが、そんなこと深く考えたってどうせ答えは出ないだろう。
妙な感覚について考えながら走っていると急に森を抜けた。
まだ来たことの無い場所のため、俺は足を止め辺りを見渡す。
草原が広がっているが、まだ村は見えないし人の気配もしない。
何があるか分からないし方角確認のため、ひとまずナータと合流するまで待機するとこにした。
★
「あいつ、すぐに終わるって言っていたから置いて来たが、遅すぎにも程がある……」
森を抜け、一休み程度にそこら辺の大きな石に腰をかけて待つこと数時間。
まだナータは来ない。
また実験やら魔道具制作とかでもして時間を忘れているんじゃないだろうな……?
ん?
何か足に変な感触が。
「……おおー! 珍しい個体もいるもんだなー!」
スライム。
猫のように俺の足をスリスリとしている。
通常の大きさより少し小さいが、それなりの知性を持っているようだ。
どこか人懐っこい性格に見える。
「お前、ここで育ったのか?」
俺は屈んで独り言のように言った。
襲ってくる気配はない。
「――――――」
プルプルと身体を横に震わせている。
もしかして何かに怯えているのか?
しかしこの辺りに魔獣や獣の気配はしない。
「ん〜……迷子!」
「――――――」
状況が全く呑み込めない俺はなんとなく、仲間と逸れたという当てずっぽうな考えで聞いてみた。
するとスライムは身体を縦に震わせた。
もしかすると怯えていたわけじゃなく、返事をしていたのだろうか。
だとすると相当の知性がある。通常のスライムは本能のまま生き、獣や虫の死骸を餌にして稀に冒険者を襲う。
もちろん油断すると普通に死ぬ。
「なら〜、俺が怖い」
「――――――」
すると身体を横に震わした。
確信にはまだ少し遠いが、このスライムは多少会話が出来るみたいだ。
俺の問いを理解して身体を震わせている。
殺気を出して聞いてみたんだが否定されてしまった。
冒険者や獣はすぐに逃げたすというのに、こいつはなかなか根性がある。
もう少し会話を続けてみよう。
「本当に怖くないのか?」
「――――――」
身体を縦に震わす。
「わかった。じゃあ聞くが、迷子っていうのは仲間と逸れたからなのか?」
「――――――」
身体を横に震わす。
「ん〜……親と逸れたとか? まぁそもそもスライムに親というものがあるのかは知らないが……」
「――――――」
縦に震わす。
マジかよ……スライムに親なんているのか。
今までけもの道で屯していたら容赦なく斬り殺してた……。
今まで葬ってきたスライム達の親に謝っておこう。
それと確信したが、このスライムは本当に会話能力を身につけているな。
「もしかしてお前の親ってスライムではない……?」
「――――――」
見事に身体を縦に震わせた。
もちろん予想はしていた。
このスライムの育ての親は人間だ。そうでなければ魔物や魔獣が人間の言語を理解出来るはずがない。
他にも別の種族の言語があるが、人間の言葉を異様に理解しきっている。
「オグタ村にお前の帰る家がある!」
「――――――」
縦に震わす。
「……最近の人間って魔物を使役するようになったのか……時代に、置いて行かれてんのかな」
俺は清々しい顔をして上を見上げた。
そこには無限に広がる水色と所々に白いものが浮かんでは、風に撫でられ優雅に泳いでいる。
俺もあんな人生になりたかったな。
己は何もせず、周りの環境を頼りに成り立つ孤独な時間。
羨ましい。
「アトラ、何してるんだ? そんなに空を見ても何も降ってこないぞ?」
ナータが来ることは分かっていた。
転移する時は俺の身体にも感覚が伝わるからな。だがそんなことはどうでもいい。
俺はただこの世界を……。
「美しいと、感じていたんだ……」
「――――フン」
痛い。
「いってぇぇ〜〜……何すんだよ急に!? 他人が気持ちよく黄昏てただけなのに!」
右頬をナータに叩かれたおかげで我に返ることが出来た。こいつ魔法師のくせに、何で地味に力も強いんだよ。
身体強化魔法でも使ってるか疑うくらいだ。
「馬鹿。変な思想は持たなくていいんだよ。普通に気持ち悪い」
俺は黄昏ていると罵倒されてしまうのか。
今後は控えておこう。
「……悪かったな。それでお前の方こそ来るのが遅かったが、何してたんだよ?」
「はいこれ」
何を渡してきたのかと思えば、今朝折れたミスリル製の愛剣だった。
「お前、何でこれを持ってきたんだ……? 死にたいのか?」
「なんでそうなるんだよ!?」
俺はゴミを見る目でナータを見つめた。
「とにかく! 剣を鞘から抜いてみてくれ」
こいつは何を考えているのか全く分からん。折れた剣を鞘から出しても、折れた剣が出てくるだけだろ。
仕方なく俺はナータの言う通りに鞘から剣を抜く。
「は……?」
折れていたはずの剣が、剣として蘇っているのだ。
現実を受け止めきれない俺は両目を擦り、もう一度手に持っている剣を見つめた。
しかしそこには確かに以前愛用していた剣が剣として存在している。
これは夢だ、そうだ夢だ……。
素材の溶媒も無しにミスリルの剣が元通りになるはずがない。もしもこれが実現すれば、とんでもない偉業として歴史に名が残るだろう。
つまり現実の俺はまだ寝ている状態なんだ。
だからドラゴニックダケを食っても俺は死ななかったのか。
それなら納得がいくな。
「どう?」
これは夢の中だ。
何をしても、何を犯しても、夢が全てを許してくれるだろう。
「すげ〜よナータ、お前ってやつは……一発だけ殴っていいか?」
俺は少し間を置き、開き直ったような清々しい表情でナータに言った。
夢なのだから、もちろん殴らせてくれるはずだ。
「わ、分かった……それで気が済むなら――――」
良い覚悟だ。敬意を払おう。
容赦なく殴りかかり、地平線の彼方まで飛んでいった。
少しやりすぎてしまっただろうか。
でも仕方がないのだ。
俺は剣を愛す剣士。
剣も家族同然の価値観がある。
一度心の深淵に堕ちた俺の気持ちを返してもらわないと割に合わない。
「よ〜っし。もうスッキリしたし、さっさと夢から覚めよう」
「――――――」
足元にいたスライムが身体を横に震わせている。
そういえばナータが来てからこいつの存在を忘れていた。
今更思うとスライムと会話出来るなんて、そんな馬鹿げた話あるわけが無い。
否定的な行動をしているが、所詮夢は夢。早くこの状況を終わらせよう。
「確かこんな状況前に経験したなぁ。えっと、ナイトメアに襲われた時はどう目覚めたんだっけ……?」
俺は数秒頭を悩ませながら、手癖で剣を鞘に納めた。
ん……?
今の自分の行動が腑に落ちない俺は、もう一度剣を抜いた。
何か心残りを感じる。
この行動が必要なのだろうか。
「お前が、鍵になってるんだっけ……?」
傍から見れば、剣に喋りかけるのは頭のおかしい行動だろう。
そして深く考えている俺は数秒目を瞑った。
以前睡眠中にナイトメアという魔物から襲われた時は、ナータが寝ていなかったおかげで目覚めることが出来たんだが、今回はどう対処すればいいのか分からない。
もしナイトメアに襲わたなら精神的苦痛を与えられ、そこから零れた精力を吸収してくるはずだ。
でも心身ともに何の問題もない。
「――――フン」
痛い。
今度は左頬を叩かれた。
俺は何もスケベみたいなことは考えちゃいないぞ! 両頬とも叩きやがって!
あと帰ってくるのが早いんだよ!
ん、頬が痛い……?
叩かれたおかげでまたもや冷静になった俺はそっと横を見た。
そこにあったのは、ナータの顔ではなくミスリルの剣の美しい横顔。
俺は無意識に剣を自分の首へ向けていたらしい。
ナータが止めてくれなければ、俺は夢だと思い込んで覚醒するために自分を殺していたかもしれない。
己の予想外な行動に思わず唖然とした。
「馬鹿か、これは夢じゃない。ミスリルの剣が元通りになるのは確かに現実として受け止めきれないかもしれないけど、本当にそのミスリルの剣は本来の姿に戻ってるんだ。だから剣を下ろせ」
「あ、あぁ……」
静かに剣を下ろし、鞘に納めた。
駄目だ、今朝から問題がありすぎて脳が正常に働かなくなっている。今まではどうするやらどこに行くやらと、くだらない会話をしていたのに今日は朝からおかしいことだらけだ。
「――――――」
「そういえば気になってたんだけど、そのスライムはなんだ? 相当な魔力を持ってるけど、殺さないのか?」
物騒なこと言いやがって。
自分の馬鹿な行動に反省していた時間を返せ。
「……こいつはついさっきここで見つけたんだよ。お前がこの剣を直している時にな」
「――――――」
今度はさっきとは違う行動をしている。
俺たちに何かを伝えたいのか、ピョンピョンと跳ねては顔の向きを変えている。
しかし何を考えているのか全くわからない。
「ついて来て? って言ってるように見える。巣にでも案内してくるのか?」
驚いた、ナータのやつ一瞬でスライムの行動の意味を理解しやがった。
でも俺が気になったのはそこじゃなく、ナータの考えていることだ。
「言葉の裏が怖い」
スライムは素材の溶媒を作る過程で必ず必要とする素材。
だから錬金術や魔道具制作をする者には常に手元になければならない品物なのだ。
そこを考慮するとナータは今、スライムの巣に潜り込んで素材を大量に手に入れようと考えている。
「どうしてそう思うんだ? 僕はただ単純に、大量の素材が欲しいだけだよ」
「そういうとこだよ! ほら見ろ、このスライムもお前を見て怯えてるじゃないか。もう少し幅広い視野を持ったらどうだ」
ついさってまでピョンピョンと跳ねていたが、ナータの言葉を聞いて俺の足元まで逃げてきては、身体を小さく震わせている。
「え〜……じゃあ」
「――――違う」
言いたいことが分かってしまった俺は、すぐさま止めに入った。
それを聞いてしまったらこのスライムがどう動くか分からなくなってしまう。
慎重に会話を進めよう。
「最後まで言わせて!?」
「お前がろくな事考えてんのは分かってんだよ。とりあえず俺の話を聞け」
「わ、分かったよ……それで、なんなのさ?」
どこか納得のいかない顔をするナータだが、そんなことはお構いなしに事情を話すことにした。
「このスライムの住処というか、帰るところはオグタ村にあるらしい」
「――――――」
俺の言葉を肯定しているのか、身体を縦に震わせている。
「こういう感じで、肯定的な反応をする時は身体を縦に震わせ、否定的な時は横に震わせる。このスライムは今まで見てきた野生のスライムとは違って、会話が出来るんだよ。俺も半信半疑だったが幾度か質問してみると、その言葉の意味を理解して身体で表現していた。その上、人間の言葉を異様に知っている。だからオグタ村には、こいつを使役する何者かが居ると俺は考えている」
真面目に話しているように見えるが、正直ただの憶測でしかない。
確かにナータの言う通り、このスライムはかなり魔力を持っているはずだ。
どことなくそんな気はする。
それと同時に森を走っている時に感じたものと少し似ているところもある。
今まで疑問に思っていたが、知性のある魔獣や獣、植物はなぜ魔力量が多いんだ?
知性があるから魔力量が多いのか、その逆で魔力量が多いから知性があるのか。
俺は魔力を感じることは出来ない。
しかし今朝のドラゴニックダケのように、事故にあった時や今の状況の似たようなことがあった時は、ナータが知らせてくれるから俺は魔力の有無を把握できる。
なんだよ魔力って……。
考え出すとあれこれ思いついて頭がドラゴンの雫みたいに大爆発しそうだ。
この辺でやめておこう。
「す、凄い……! アトラがちゃんと考えてる!」
俺をただの戦闘狂か脳筋馬鹿野郎とでも思っているのだろうか。
「まぁ、これくらいなら誰でも分かることだろ」
「――――でも全部知ってること話されても、僕には何の情報にもならないけどね」
おっとどういう意味だ?
ナータは俺とスライムのやり取りなんて見ていないはずだ。
ていうか何でもうスライムを抱いているんだ。
……ん、抱いてる!?
「お前それ……」
俺は放心状態になりながら、さりげなくナータに抱かれるスライムに指を向けた。
「ん? 何かスライムに着いてる?」
違う、そうじゃない。
「いや、何で抱けているんだ……?」
「え、スライムが良いよって言ってたから」
「違う! 何でお前は今スライムを抱いているのに身体が溶けていないんだよ!?」
スライムは全身が酸で出来ている魔物だ。
新人冒険者や騎士が戦闘中スライムに飛びつかれ、身体が溶けて死んでしまうことがある。
その上、生半可な装備や服をも溶かしてしまう強烈な酸。
その酸に今ナータは触れているのにも関わらず、なぜ何事もないように平然な顔をしているんだ……。
「さっきアトラにも触れてたじゃん! 逆に何で気づかないんだよ!」
「いつだよ!? 言ってみろ! このスライムがどさくさに紛れて俺を殺そうとしていたとでも言うのか!?」
「違うわ! ついさっき僕が、巣にでも案内してくれるのかって言ったらアトラの足元にしがみついて怯えてたじゃないか!」
「……あっ」
思い返すとこのスライム、俺の足に二回触れてるな。
森を抜けて草原を見渡していた時と、ナータの言葉を聞いて怯えた時。
何でだろう?
俺ってとうとう己の身体でさえ意識を向けなくなってきてるのか?
でもちゃんと痛覚もあるし関節も動く。
ナータに強く言うのは、今だけやめておこう……。
「はぁ、アトラって一部が冴えてても、一部が劣ってる時があるんだよな〜」
すいません。
変な言い争いになって無駄な時間を作ってしまいました。
今後は脳と身体を両方意識して行動していきたいと思います。
「すまん……俺がどうかしてた。今ナータに言われて改めて冷静になれたよ」
それを聞いたナータは「別にいいよ」と言いながらどこかを向き始めた。
地図を持たず、とある方向を見たかと思えば、また違う方角を見る。
何を考えているのか分からないが、おそらくオグタ村の方角を調べているのだろう。
「アトラ。ここを正面にもう少し左を向いて、真っ直ぐ進んだところにオグタ村がある」
地図もなしに村の詳しい位置まで捉えるとか、やっぱ魔法が全てなんだよなぁ。
「わかったよ。草原が続いてるけど、道中に森はあるか?」
「いや、ない」
良かった、森があっては面倒だからな。
森は高低差の激しい地形や、木の枝が走るのを邪魔してきて進むのに時間がかかる。
それに比べ草原は、そこら辺に木や岩が少しあるくらいで全く邪魔にならない。
走ることに集中出来る上に、疲れたらその場で寝そべって休憩もできる。
戦闘になっても、お互い不利有利のない状況下で戦うから実力でどうにかなる。
「了解」
そう言って俺はまた走り出した。
そういえば昨日野営していた森から、この周辺まで魔獣が本当に見当たらない。
魔物や獣は多少見かけるが、魔獣だけが姿を出さない。
いや、そもそも居ないのだろうか?
魔獣は基本的に魔素の汚れた地域を好む習性をしている。
そう考えるとこの周辺の魔素は、常に浄化されていて気味が悪い。
だから魔獣はこの地域に足を踏み入れないのだろう。
★
「……おいナータ、分かるか?」
「ごめん、分からない」
目的の村に到着し、挨拶を試みようと村に入ったのはいいものの、住人たちが何を喋っているのか理解不能だ。
「――――――」
スライムが村の住人に語りかける。
理解したような顔をする住人は村の奥にある大きな屋敷に指を差した。
「あの家に行けって?」
「――――――」
ナータの問いに理解したスライムは、身体を大きく縦に震わした。
おそらくこの村の長がそこにいると示しているのだろう。
「あのでかい家か?」
「そう言ってる」
ナータの魔法でも分からない言語があるとは意外だ。
つまりこの村の言語は、王都魔法協会でも取り扱っていない特殊な言語なのかもしれないな。
「……とりあえず行ってみるしかないか」
俺たちは住人とスライムの言われるがままに、その屋敷に足を運んだ。