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みずき  作者: からり
8/11

8.天野 伸二郎(父親)

(カフェに彼が入ってきた瞬間、何人かの女性が視線を向けた。長身で小顔で、40を越えているはずだが30代前半にしか見えなかった。簡単な挨拶の後、彼はアイスティーを注文した)

 時間が余りなくてね。1時間が限界かな。

(テーブルの端にスマホを置いて、彼はため息をついた)

 鈴が取り乱して連絡をしてきて、きみに会ってくれと頼むから来たけど、大して話せることはないよ。

 うん、離婚しても鈴から連絡はよく来るよ。ぼくからは連絡しないけどね。鈴には友達がいないから寂しいんじゃないかな。

 ぼくもまだ仕事をしていないし、1日家にこもっていることも多いから鈴の連絡は暇つぶしになる。離婚の時、義母がかなりの金額をくれたからね。おかげで気楽にやれている。ありがたいことだ。

 あぁ、鈴から聞いているよ。

 沙織が瑞希の遺書を燃やしたんじゃないかと、鈴は疑っているみたいだね。

 あり得ない話だ。沙織はそんなことはしない。

 隠された事実なんてものはない。

 瑞希は死を選んだ。遺書はなかった。

 残すべき言葉がなかったのかもしれないし、書くだけの気力がなかったのかもしれない。

 ぼくたち家族に知られたくない死の理由があって、敢えて書かなかったのかもしれない。

 ……無意味な憶測だな。

 ぼくらは、もう事実を受け入れて前に進むしかないのに。

(遺書はなかったと確信しているんですね、と言うと、彼は目を細めてこちらを見た)

 あぁ、そうか。

 きみも沙織が遺書をどうにかしたんじゃないかと疑っているんだね。

 仮に……もし万が一沙織がそうしたとしたら、何か深い理由があるはずだ。

 ぼくは沙織を信頼している。あの子の判断力は優れている。ぼくより鈴よりずっとね。

 だからもし沙織が遺書を燃やしたとしたら、それは必要なことだったんだと思う。追及するつもりはない。

 本当に自殺だったかって?

 ……

 きみが何を想像しているか知らないけど。警察もきたし、そんな痕跡があれば見逃す訳ないだろう。馬鹿らしい。

 え?

 瑞希と沙織の関係について?

(彼は黙り込む。アイスティーを一口飲んだあと)

 まさかと思うけど、きみは沙織を疑っているのかな?違う?ならどうしてそんなことを聞く?

 取材でそういう話がでたから念の為の確認?

 そう、なるほどね。

 沙織は昔から誤解されやすい。

 あの子は口下手で表情も固いから近づきづらいタイプだけど、本当はとても繊細で優しい。優しすぎるんだ。傷ついても自分の内側に閉じ込もって耐える。そういう人間だ。だからあの子が瑞希を傷つけるなんてあり得ない。

 瑞希だって素直で優しくて天使のような子供だった。誰かに嫌われたり恨まれたりするような人間じゃない。いつも人の話や悩みを聞いて、真剣に向き合って……。

 ……ぼくに言えるのは、瑞希は沙織のことが大好きだったし、沙織も瑞希を大切に思っていた、ということだ。

 意外そうな顔だね。きみの考えは違うのかな。

(その時、テーブルの上のスマホが震えた。何かの通知が表示されていたが、よく見えなかった。家を出て20分か、と彼がつぶやいたのでアラームだったようだ)

 もう時効かな。この話は誰にもしていない。鈴も知らない。できれば知られたくないけど、取材で記事にするなら仕方ない。きみが沙織を変に疑ったままなのは嫌だから話そう。

 10年以上前のある日曜日のことだ。

 いい天気の日だった。鈴は友達に会いに出かけていて、ぼくは瑞希と沙織を近所の公園に連れて行った。割と広い公園でね。穴場があって、あまり人も来ないお気に入りの場所があったんだ。

 ぼくはベンチに座り本を読んでいた。沙織はドングリや葉っぱを集めていた。瑞希は沙織から数m離離れた場所で、地面に絵を描いていた。

 平和な時間が過ぎていく中、ガサガサと落ち葉を踏む音がした。目の端にワンピースの裾がうつった。公園だから別に人が来るのは不思議じゃない。ぼくは、すぐには本から顔を上げなかった。だが人影はふらふらと子供たちに近づいていった。

 違和感を覚えて本から目を離した。心臓が凍りかけた。瑞希が彼女の足元にいた。彼女はバッグから包丁を取り出した。瑞希は恐怖で動けないのか、無表情に彼女を見上げていた。彼女がゆっくりと包丁を振りかぶった。

 その瞬間、沙織が瑞希に駆け寄って覆いかぶさった。ぼくも走って彼女に体当りした。彼女はよろけて、逃げ去った。

 追いかけようか迷ったが、沙織たちを置いていくわけにはいかない。沙織は瑞希を抱きしめたまま震えて泣いていた。瑞希は無邪気に笑い「お姉ちゃん、ありがとう、もう大丈夫だよ」と沙織の頭や背中を撫でていた。

 自分の危険を顧みず、沙織は瑞希を守ろうとした。

 確かに二人は以心伝心の仲のいい姉妹という雰囲気じゃなかったし性格も違った。でも家族としての絆があった。そして、それは成長しても簡単に失われるものじゃない。瑞希は沙織を慕っていたし、沙織はいつも瑞希を気にかけていた。

 沙織への疑いが、少しはとけたかな?

(疑い云々の前に、話の中で気になった点があった事を伝える)

 なんだろう?もう今更だから全部洗いざらい話すよ。

(本から顔を上げた時、包丁はまだバッグの中だった。何故、彼女を見ただけで心臓が凍りかけたのか?と尋ねた)

 ……あぁ、きみは頭がいいんだったね、油断していたな。

 あの時は心底驚いた。

 なぜなら、彼女は、ぼくのよく知る女性だったからだ。

 結婚前、ぼくはファミレスでバイトしていた。彼女はファミレスの社員で、10才位年上の、はっきりした性格の人だった。

 ある時、鈴がそのファミレスにバイトとして入ってきた。初めてのバイトで、鈴は不慣れでミスが多かった。彼女は鈴に仕事をしっかり教えようとした。適切な業務指導の範囲だったと思うけど、鈴にとっては厳しかったらしい。

 鈴は彼女を避けて、ぼくに仕事のことをよく聞いてきた。そのうち鈴は自分のシフトが終わった後、ぼくを待つようになった。連絡先を聞かれて教えたら毎日他愛ないメッセージが届いた。気づくとバイト先以外でも会うようになって、ぼくらはつき合い始めた。

 うん、そうだね、それだけで彼女が包丁を持って後をつけてくるわけがない。

 実は、鈴と彼女と同時並行でつきあっていたんだ。

 ぼくは元々受け身な人間だ。来るものは拒まず、去るものは追わない。好意を向けてくれたのに断るのは悪い気がしてしまう。でも元々恋愛感情自体が薄いせいか、相手に執着はない。気づくと何人かの女性と同時期につきあっていて、いつの間にか自然消滅している、ということはよくあった。

 鈴がほかの女性と違ったのは、一緒に暮らしたことかな。当時から鈴はお義母さんと仲が悪くて、何かあるとぼくのアパートに逃げ込んできた。ある夜、大喧嘩をしたとかで泣きながら鈴が家に来て、そのまま何日経っても帰らなくて、なし崩し的に一緒に住むようになった。

 ファミレスの彼女とは、その時に一度、終わった。

 半年ほどして沙織を授かり、鈴と結婚した。

 結婚が決まった時、鈴は幸せそうに言ったよ。絶対にぼくと結婚するつもりだったって。

 だまされたような気もしたけど、ぼくみたいな根無し草は子供という強力なきっかけがなければ、一生、結婚なんてしなかっただろう。

 ぼくには親がいなくてね。物心ついた頃から施設と親戚の家を行ったり来たりしていた。家族に対する憧れと恐れが同時にあって、当時のぼくは恐れの方が強かった。でも子供の存在は恐れをあっさり踏み越えさせた。

 鈴は、ぼくの本質をよくわかっていたと思う。

 おかげで沙織や瑞希に巡り会えた。家族を体験することができた。今となっては鈴に感謝しかないよ。

(ファミレスの女性と『一度』終わったというのはどういう意味か聞く)

 あぁ、また油断していたみたいだ。

 実は結婚後、1年位して彼女から連絡があって、どうしても会いたいと頼まれたんだ。

 会った途端、泣きながら、ぼくのことを忘れられないと訴えられた。少し感動したし罪悪感もわいた。

 それから、たまに連絡をとって数か月に一度くらいの頻度で会うようになった。

 言っておくけど、肉体的な関係は一度も持っていない。ぼくは不倫は絶対にしない。家族は裏切らないと決めている。

 何度か会ううちに彼女は落ち着いてきて、ぼくに対する恋愛感情はなくなったと言っていたしね。

 純粋に友達だった。

 ……はずだった。まさか、あんな事をするなんて。

 恋愛感情がないというのは嘘だった、会うたびに苦しくて仕方なかった、なのに、ぼくが沙織や瑞希のことを楽しそうに話すから頭がおかしくなりかけた……そう言われた。

 後出しでそんなこと言われてもね。

(どこか他人事のように語る彼に興味がわき、もっと深掘りして色々と尋ねたいところだったが、約束の一時間が近づいていた。

 瑞希の死の理由に思い当たることはないか、生前の瑞希について何か気になることはなかったか尋ねた。彼の目は宙をさまよった)

 ……瑞希はぼくの大切な家族だ。

 でもあの子のことを思い出すと世界がぼやける。

 瑞希はいつもぼくの話を聞いてくれた。好きな本、映画、ゲームの話、ニコニコ笑ってずっと聞いてくれた。

 でもぼくは、瑞希の話を聞いた記憶がない。

 ぼくは瑞希の顔が思い出せない。

 笑った顔とあの日の無表情は覚えている。でも怒ったり泣いたり悔しがったりしている顔が一つも思い出せない。

 沙織なら全部の表情をすぐに思い出せるのに。

 あの子が死んで初めて気づいたんだ。

 ぼくは瑞希のことを何も知らない。

 でもぼくの大事な家族であることは変わらない。なぜあの子が死ななければならなかったのか。もしあの子を死に追いやった奴がいるなら許さない。

 同じように、もしきみが沙織をこれ以上傷つけるなら、ぼくはきみを許さない。

(テーブルの端でスマホが震えた)

 ごめん、時間だ。

 今、一緒に暮らしている彼女からだよ。

 一時間経ったと怒りのメッセージだ。

(画面には怒りの絵文字と『時間!早く帰って!』とメッセージが表示されていた)

 今日は彼女は仕事が休みでね、なのにぼくが外出したから不機嫌なんだ。

 面白いよね。

 ぼくは人の行動に口出しはしない。でも彼女はぼくの行動に思いっきり干渉してくる。

 それが心地いい。

 昔から、自分が不定形な得体の知れない生き物みたいな気がすることがあった。

 瑞希が死んで、鈴と離婚して、沙織の親権も失って、家族という枠が外されて、ますます自分の存在があやふやになった。

 彼女みたいに、ぼくを縛って決めつけてくれる人と一緒にいるのは楽なんだ。

 うん、そうだよ、ファミレスの彼女。今は現場じゃなくて本部で働いている。役職もついて結構稼いでいるらしい。

 念のため言っておくけど、ぼくはヒモじゃない。生活費はちゃんと折半している。

 彼女はぼくがお義母さんからもらったお金を使い果たすのを待っているみたいだけどね。ぼくを養いたくて仕方ないんだ。そしたらスマホも人間関係も時間も日常も、全部を支配できると信じている。

 そのうちぼくらは家族になるかもしれないな。子供は年齢的に無理だけど、必要もない。ぼくらが親子みたいな関係だから。

 どっちが親かって?ぼくに決まっている。

 年齢が年下とか社会的経済的な強さは関係ない。彼女は精神的に幼くて頼りなくて、ぼくに依存している。ぼくは彼女を見守りながら時には全てを受け入れる。だからぼくが親なんだよ。

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