バクステで死ぬ
僕は本が好きだ。勉強にもなるし、なにより頭が良くなったような気がするからだ。
次のフェーズはもちろん、執筆。これが一番、勉強になる。今は便利なもので、ウェブ上で僕の小説が公開できる。
「テンプレートが一番、ウケるんだよなぁ……。僕が書きたいのは違うものなのに」
僕は昨日、公開した1500字の小説に目を通す。
◆◆◆
『第174話:なんでねぇちゃんが異世界に?! え、父さんまで?!』
なんだ、なんなんだ。なんで姉ちゃんと父さんがこっちに来ちまうんだよ?
「だってヒロくんに呼ばれた気がしたから」
「ハッハッハッ。父さんも〝異世界〟、憧れていたんだよ」
――ったく、仕方ねぇな。やれやれ、〝警護対象〟が増えちまったじゃねぇか。ま、悪くないけど。それにしても、母さんはどうしたんだろう?
「ヒロシー! お昼にチャーハン、作ったわよー!」
「げげっ、母さんも?! なんで家族総出で異世界に来てんだよ!!」
母さんがフライパン片手に、ワイバーンに乗って空から襲来する。
「ハッハッハッ、賑やかでいいじゃないか」
◆◆◆
こんなクソ小説には、同じ執筆仲間の応援のハートや星が並んでいた。PVも100を超えると、読み専も感想を残してくれる。
「違うんだよ! ホントは中村文則のような重厚な文学や、又吉直樹みたいな詩的な文体が読まれたいんだよ!」
寝床のスマホに向かって、僕は叫んだ。すると頭上から声がするではないか。
「ふぉふぉふぉ、なにやら悩んでいるようじゃな」
「誰だ?」
白髪のロン毛、長いひげ。これはあれだ、神様だ。僕の勘がそう言っている。
「わしはウェブ小説の神様。八百万の神々の一柱の新参者じゃ。この姿はおぬしのビジュアルイメージから生成されたものです」
「えっ、急にAIなん? 生成て。老人言葉も崩れちゃうの、解像度高いなぁ」
「聞け、人間よ。解析AIの人格化された存在でな。信仰されないとわしは消える。じゃから、時たまこうしてウェブ小説を公開している者の前に現れ、願いや神託を下すのじゃ」
僕はだらけている。現代人は結末を急くのだ。
「態度がなってないが、まぁよかろう。睦月カイ(書名)、二十八歳。おぬしの本音は〝バクステ〟にある」
「バクステ? バックステージ?」
「あとがきのことじゃ。本は嫌いか?」
「バカにすんなよ、素人でも小説家だぞ。たまたま、知らなかっただけだ」
僕は神の言葉に反論した。神罰があっても、僕にはプライドがある。
「とにかく、バクステじゃ。これにすべて表れておるじゃ」
「また語尾の位置、バグってるやん。ホントに信じていいのかなぁ」
気がつくとまだ夜中で、僕はスマホを握っていた。メモ帳アプリが開いたままで、そこには〝バクステ〟の文字が映し出されている。
「あとがき、か。そういえば最近はあんまり書いてないな」
僕は無言で布団を被り、小説サイトをおもむろに開く。
◆◆◆
『僕の文学論』
僕が一番怖いのは、"深く考えずに読める"ということだ。
たしかに、そういう作品が読まれるのは分かっている。心が疲れてるときは、僕だって読む。でも、それだけで終わりたくない。
僕は、誰かの心に棘みたいに残るものが書きたい。うまく言えないけど、読者が目をそらしたくなるような“沈黙”を、ページの隙間に仕込みたいんだ。
でも、現実は優しくない。
僕の小説が読まれるのは、ワイバーンに乗った母さんがチャーハンを届けに来る話だけだ。
……笑ってくれよ。でも、これが僕の現実だ。僕の文学論は、たぶんいつも現実逃避の中で呻いている。
◆◆◆
突然、視界が歪んだ。「眠れないなら、これ飲んでみる?」と渡されたレンドルミンのようだ。引っ張られるような眠気に襲われる。それにしても、レンドルミンでなくても処方箋を譲渡するのは、犯罪だろ……井原さん。
なにもない、白い部屋。これがウェブ小説なら、女神が能力をくれるのだろう。スマホの中には見られたくないブックマークもあるので、叩き割りたかったな。
やがて人影が現れ、てっぺんハゲのヒゲの外国人おっさんが姿を見せる。
「 Почему вы пишете романы? 」
「えっ、えっ? 何語? アイ、ドント、スピーク、イングリッシュアンド、イセカイゴ」
「……あ、分かる? 君は日本人か」
「はい、分かりますが、誰ですか?」
「うん。フョードル・ドストエフスキーだけど……本読まない系日本人なのかな?」
「普通よりは読みますけど」
一端の作家だぞ。読んでいるに決まっているじゃないか。
「えっ、『罪と罰』とか『カラマーゾフの兄弟』とか知らない? 君の好きな中村文則くんが好きだって言ってくれてるけど、知らないかぁ。日本人だもんね、仕方ないね」
ドスト……なんとかおっさんが、僕の機嫌を悪くする。というか何人なんだ。
「影響を受けた作家が好きで、あなたの本は興味ないですね。どこの国の人ですか?」
「ああ、ロシアの作家だよ。実はここは純文学の亡霊の集いさ。どうやら、嫌われたらしいね」
「ふーん」
無名の作家なんだろう。中村文則先生も〝スコップ〟が得意なんだな。
「なら、太宰くんを呼ぼう。彼なら君も知っているだろう?」
あー、教科書の人か。頬杖ついてつまんなさそうな顔しているあの人ね。どうせなら中村文則先生とか又吉直樹先生とか呼べよ。
「……生きている人は呼べないよー。当たり前じゃないか」
ハゲヒゲおっさんは消え、入れ替わるようにモジャ髪のぶっとい眉のおっさんが現れた。なんだかスカしたおっさんだ。
「君はなぜ、小説を書くんだい?」
スカしたおっさんが、問う。
「もちろん、創作したものを誰かに見られたいためだ」
見たことのある頬杖の姿勢で考え込む。
「君は創作のなんたるかを理解してないね。創作とは、インプットした情報を咀嚼し、アウトプットする結果である。私達、作家はその過程の苦痛や喜びを、読者諸君に届けることに存在意義があるんだよ。だが、君はただ吐き出しているだけだ。苦味も栄養も抜けたままだね」
聞いたことのある創作論をさも自分が発見しました、みたいに語りだした。
「君の作った物語は文学性が皆無だね。読者に行間を読ませる工夫が足りない。これでは又吉直樹くんの言葉の余白の美学を学んでいない。中村くんの人間の本質という面も、学べていない。本は時に読者を勘違いさせてしまう。が、君の場合は単純に人生経験が足りないのだろうね」
喧嘩か? 痛いとこを突いてきた。
「無理もない。私達より、安心安全な社会で、漫然と生きてきたのだろう。頼れるのは本と運動不足の身体。話題には上るが、書籍には至らず拙く、発想力も凡庸。知らない人と気軽に繋がれる危険性を顧みず、人には説教し、自己矛盾と向き合わない。これでは君はへその緒に繋がった胎児じゃないか」
「好きに言ってくれるな! 今の読者は僕の書きたいものなんて見向きもしない。五年前の僕の純文学小説なんて、一桁しか読まれてないんだぞ!」
まるで子どものように癇癪を立てる。
「書きたいものを書き続ければいい。なぜ、読者などと一端の言葉を使う? 君は商業作家じゃない。一般読者のお遊びだったはずだ。なぜ閲覧数など、そんな些末なものを気にする必要がある?」
「僕は、僕は……誰かに、誰かの人生に何かを残したいんだよぉ……」
怒ったり、泣いたり、感情がぐちゃぐちゃだ。
「本質に近づこうとする君の手は、いつも商業と現実に引っ張られている。だが、それでも書くのか?」
「僕は――!」
ガバッと飛び起き、自分の大声に驚く。窓を見ると、カーテンの隙間から朝の光が届いていた。
『君はまだ、どちらかを選ぶ必要なんてない』
スマホのロック画面は朝六時を表示している。パスを解除し、小説サイトを見ると投稿したはずの〝バクステ〟はなくなっていた。
「どちらも選ぶ必要はない、か……」
僕は、問う。起き抜けの声が頭の中で反響する。リアルな夢の中で僕は自分と向き合っていたのだろう。
僕は本が好きだ。勉強にもなるし、なにより自分と向き合えるからだ。
次のフェーズは――。