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迷子と市場とふわふわの尾

 門を出て、しばらく歩くだけで空気が変わるのが分かった。


 館の麓は、朝から活気にあふれていた。屋台の帆が風に揺れ、通りを往来する人々の声があちこちから響く。小さな子どもが駆け回り、果物売りが威勢のいい声で桃の甘さを売り込んでいる。


 独立時までを思えば、考えられない光景だ。以前はここまで市が広がることも、人の数が増えることもなかった。交易路の制限が緩まり、自治の実権が地方に移ってからというもの、物の流れが一気に変わったのだ。


 その恩恵を受けているのは、確かにこの街の人々なのだろう。


 けれど、政務の補佐として屋敷に籠もることの多いミリアにとっては、これほどの“自由な空気”に包まれるのは、むしろ落ち着かないほどだった。


「随分、人が増えたなあ」


 そうつぶやいて通りを歩いていると、見知った商人のひとりが気づいて手を振ってきた。


「やあ、ミリアちゃんじゃないか! 今日はお使いかい?」


 声をかけてきたのは、香辛料屋のサルムだった。茶色い頭巾に油じみたエプロンはいつも通りで、店先からは相変わらずスパイスと乾燥果実の強い香りが漂ってくる。


 その胡散臭い笑みの奥に、抜け目のなさと街の裏事情への妙な勘の鋭さを秘めた男――ミリアはかつて彼の情報に助けられたことを思い出していた。


「サルムさん。お使いじゃないよ。今日は、休みをいただいてて」


「おやおや、これはまた。あのレティシア様が、あんたを休ませるなんて。領主様も人情家になったもんだねぇ」


 言葉は軽いが、目の奥には一瞬だけ探るような色が差す。


「今日は何だい。のんびり街歩き? それとも、“何か見つかるかも”な日ってやつかい?」


「どっちでもないよ。ただの気晴らし。……仕事じゃないって言ったでしょ」


「へえ。じゃあ、商売抜きで感謝を言っとくよ。ほら、あんたのおかげでこっちは“あの騒動”で一儲け……じゃない、一役買わせてもらったからね」


 サルムが言う“あの騒動”――それは、ミリアたちが追っていた一連の情報漏洩事件のことだった。彼はそこで、さりげなく、しかし決定的な“外見”に関する証言を残し、調査の突破口を与えてくれた。


「あのときは、本当に助かったよ。ありがとうサルムさん」


 ミリアは少しだけ表情を緩めて言った。


「ふふ、照れちゃうね。まあ、たまには役に立たないと商人がすたるからね」


 と、サルムは胸を張る――いつもの胡散臭さを滲ませたまま。


 けれどミリアには分かっていた。彼は“ただの商人”でありながら、街の空気や、些細な変化には驚くほど敏感だ。そしてそれを、ふざけて見せながらも、きちんと伝えてくる。この街屈指の有能な商人といえる。


 それほどの力量を持ちながら彼は、どの商会にも属していない。


 組織に入れば、もっと大きな取引もできるし、流通経路も広がるはずだ。それでも彼は、いまだどこにも籍を置かず、誰の傘にも入らず、市場の一角に小さな屋台を構え続けている。


 何とも変わった人だった。


「でも……どうせなら、もう少し分かりやすく言ってくれたら、もっと早く進んだのに!」


「野暮なこと言うなって。ああいうのは“気づく人”がちゃんと意味をくみ取ってくれればいいのさ。あんたはそれができた。だから優秀ってことさ」


 まるで煙に巻くような口ぶりで、サルムは笑った。


 ミリアは肩をすくめ、ちいさく息を吐く。


「ほんと、相変わらずだよね。……でも、ありがとう」


「へいへい。そう言ってもらえりゃ十分さ。さて、今日のあんたは探偵じゃなくて、お嬢さんなわけだ」


「そう、今日はそういう日。任務なし、事件なし、追跡もなし!だから騒動に巻き込まれるのも――」


「お姉ちゃん!」


 すると、どこか切迫した少年の声が市場の雑踏を割って響いた。


 反射的に振り返ったミリアの目に、埃まみれで駆け寄ってくる男の子の姿が映る。


「白い猫、見ませんでしたか!? しっぽが長くて、すぐどっか行っちゃうんです!」


 ……なんでこうなるかな。


 ミリアはほんの一瞬だけ天を仰ぎ、そして次の瞬間にはしゃがみ込んで、少年と視線を合わせていた。


「うん、わかった。まずは落ち着こうか」


 “休みだから”って理由で無視できる性格なら、最初からこうして街を歩いたりしない。


 サルムが横から苦笑混じりに言う。


「おやおや、また何かに巻き込まれたような顔してるね」


「あはは〜。そうかもしれないね」


 そう返しながら、ミリアは少しだけ笑った。



 ――働かないはずの休日は、またもや予定外の方向へと進み出したようだった。

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