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黒と交わる恋模様  作者: もりといぶき
【菜月の章 混じりて藍となる】
3/14

中学2年・5月(中)







菜月にとって、結衣のことは自身の成長を語るうえで欠かせない。

彼女は近所に住む幼馴染であり、菜月に初めてできた友達だった。


自分のどこにそんな魅力があったのか、菜月はいまだに不思議で仕方がない。幼少時代の結衣は菜月に懐いて、側を離れようとはしなかった。





      *






中学2年の今から遡ること8年前。

菜月と結衣が保育園に通っていたころ、菜月は同じクラスの男の子と喧嘩になったことがある。

当時から負けん気が強かった菜月は取っ組み合いの末に相手の男の子を大泣きさせた。


先生が駆けつけて収拾がついたかに見えたその騒動は、喧嘩両成敗とはならず、その後も水面下で影響を残し続けた。

泣かせた男の子の母親が、保育園の保護者の中で幅を利かせる、いわゆるボスママだったからだ。


喧嘩の原因は、問題の男の子が菜月の友達に遊びでふざけて石を投げたことにある。友達が嫌がってもやめてくれなかったから、自分は怒ったのだ。

正しいことをしたはずだと、当時の菜月は信じていた。


しかし騒ぎを聞きつけ仲裁に入った先生は、泣き喚く男の子をあやすことに心血を注ぎ、意地になって泣くのを我慢した菜月にきつく注意した。


一連の騒動があってからというもの、菜月は日を追うごとに保育園で子供たちから避けられるようになっていった。


「なっちゃんと遊んじゃいけないんだって。みんな言ってるよ」


男の子が石を投げられていた友達も、あの時のことを忘れてしまったかのように遠ざかる。

先生にさえ煙たがられた菜月が保育園に通い続けたのは、たったひとりだけでも、一緒にいてくれる友達がいたからにほかならない。


その子はいつも菜月の後ろをついてきて、側を離れようとしなかった。



「結衣ちゃん、あっちで一緒に遊ぼうよ!」



誰かに誘われたところで、俯いて目も合わせられず、返事なんてもってのほかの究極の人見知りで、怖がりなその子。



「……、なっちゃんとがいい……」



じっと耳を澄ませなければ聞き逃してしまうほど小さな呟きが、菜月にはどんなに嬉しかったことか。


きっと、それを言った本人は気づいていない。



発端となった男の子はその後も問題行動と、先生に注意されるたびに癇癪を繰り返したため、次第にボスママから保護者たちが離れていった。

菜月を仲間はずれにする空気は少しずつ薄まり、卒園するころには消えていた。







      *






菜月が小学1年生だったころ。

入学当初は明るくてクラスの人気者だったはずの菜月は、ある日突然、クラスメイトたちから汚いモノに認定された。


最初は何が起こったのかわからず戸惑うばかりだった。

お嬢様気質なクラスメイトが菜月の人気を妬んで友達にいろいろ吹き込んだのが原因だったとは、ずいぶん後になって知ったことだ。


夏でも一ヶ月風呂に入らない。

トイレに行っても手を洗わない。

家ではご飯を手づかみで食べている。

菜月の家は猫のうんちまみれ。


事実無根の噂がはびこり、やがて菜月がクラスメイトに触れると、そこからバイ菌ゲームとでもいうべく鬼ごっこが開始されるようになっていく。



「タッチ!」


「バリア!」


「ちょっと、その手で触らないでよ!」



菜月菌の押し付け合いが目の前で繰り広げられる。


菜月が感情をあらわにして怒るほどに、クラスメイトは面白がって彼女を汚物とはやし立てる。

最初は乗り気でなかった生徒でさえ、タッチが回ってくると場の空気に逆らえず逃げる友達を追いかけて、次の誰かに菜月菌を回す。


——ただひとりを除いて。



「タッチ!」



鬼になった女子生徒が教室で席についてぼうっとしていた結衣の背中を叩き、鬼の交代を宣告する。

追う役目から解放された女子は大はしゃぎで結衣から離れた。



「ほら、次は高瀬さんだよ!」


「早く!!」



バイ菌を移されたというのにいつまでたっても席を立とうとしない結衣に、教室中から野次が飛ぶ。

結衣は教室を見渡して、心底不思議そうに首をかしげた。



「わたし、その遊びしてないよ?」



結衣の一言でそれまで熱くなっていたクラスが一気に冷めた。


白けた空気をものともせず、彼女は席を立って菜月のもとへと駆け寄る。

机の前にしゃがんだ結衣は、大きな瞳をキラキラさせて菜月を見上げた。



「なっちゃん、なっちゃん。あのね、今日学校終わったらなっちゃんの家行ってもいい?」



この、周りをものともしない立ち振る舞いは結衣の素なのか。それともわざとやっているのか。

どっちにしろ、親友は他のクラスメイトとは違う。

菜月は嬉しそうに笑ってうなずいた。



「いいよ」


「やった!」



癖のないサラサラの黒髪を撫でると、結衣は気持ち良さそうに目を細める。

仕草がうちの猫と同じだと、菜月は密かに思った。






それからというもの、しばらくは結衣も菜月と同様に汚いものとしてクラスから扱われるようになるのだが、あまり長続きはしなかった。


同級生が望んだ、自らが優越感に浸れる反応を結衣がいっさい返さなかったからだ。

いつしか結衣とともに菜月も汚いものではなくなり、バイ菌ゲーム事態が自然と消滅していった。


しかしバイ菌ゲームがなくなっても、菜月がクラスのスケープゴートであるのに変わりはない。

教室で浮いた存在といえば結衣も同じだったが、生徒たちの攻撃対象はあくまでも菜月ひとりに絞られていた。


クラスメイトたちに腹を立てる菜月の姿に、結衣も多少は思うところがあったようだが、そのころはまだ自分から進んで菜月を庇ったり、他の生徒と対立したりはしなかった。


それは結衣からしてみれば、単にきっかけがなかっただけのようで……。


起爆スイッチが押されたのは、1年の終盤だった。



「ストライーク!」



掃除の時間。

男子が投げた上履きが菜月に命中する。

紺色のベスト、脇腹の位置にはくっきりと靴跡がついた。

悔しそうに靴跡を払う菜月を見て、教室の生徒たちは声を上げて笑う。


怒った菜月は足元に転がる上靴を投げ返そうと意気込むも、すでに目的の物は床から消えていた。

隣にいた結衣が問題の上履きを手に取り、男子のほうへと歩いていく。


離れていく親友の背中に、菜月は絶句した。


足元が揺らぐ。ひとりになってしまったのだと唐突に思い、泣きたくなった。

どんな陰口や悪戯よりも、たったひとりの友達が居なくなることが何より怖いと、その時菜月は初めて知った。


近づいてきた結衣に男子は嬉しそうに手を差し出す。

しかし上履きが持ち主に返されることはなかった。


結衣は無言で、一直線に加害者の横を通って教室の奥へと進む。

そして窓を開け、ためらうことなく、誰の顔色をうかがうこともなく——。


——男子の上履きを外に放り投げた。


外は大雨。

結衣の投げた上履きはグラウンドの大きな水溜まりに落下し、みるみる黄土色のしみを作っていく。



「……ストライク?」



無表情で首をこてんと傾けて、結衣は男子に問う。


数秒後、誰もが唖然として静まり返っていた教室に、絶叫が響き渡った。





最終的にこのことで教師に最も怒られたのは結衣だった。


窓から物を投げてはいけない。それが人の物ならなおさらです。

ちゃんと——君に謝りなさい。


掃除が終わり、始まった5時間目の授業中、結衣はずっと教室の前方に立たされた。

結衣は泣きもせず、言い訳もしない。そして、問題の男子に謝ろうともしなかった。



「——君はなっちゃんに靴を投げたけど、先生は——君を怒らないんですか?」



悪びれもなく言い放たれた質問が、教師の怒りに火をつける。



「今先生が話しているのは高瀬さん、あなたのことです! ——君も駄目なことをしちゃったかもしれないけど、だからといって高瀬さんが悪いことをした事実はなくならないのよ!」



放課後になると結衣の家に、教師から注意の電話が入ったらしい。


散々怒られて授業中ずっと教室の隅に立たされ続けた結衣とは逆に、菜月に上履きを投げた男の子は、まるでその出来事すら忘れられたように担任教師から注意ひとつ受けることはなかった。


担任の教師が問題の男子生徒を怒らない理由は、菜月や結衣をはじめクラスメイトの誰もが知っていた。

無論、男子生徒本人すらも。


そしてそれは、菜月をクラスのいじめの標的とし、率先して攻撃を仕掛けるお嬢様気質な女子生徒のすることを、教師が見て見ぬふりする理由と同じ。


はやい話、彼ら彼女らは親や家柄が特別なのだ。

小学校区内の高級住宅街に住む子供たちへの依怙贔屓は、当時からこの小学校で常態化していた。


あそこから通う子供に先生が怒らないのは当たり前。

特別な子どもは、自分が「特別」であることを理解している。


お金持ちの子供に目を付けられて、日々嫌がらせを受ける菜月。

菜月が受けた嫌がらせを、倍にしてお金持ちの子供にやり返すようになった結衣。

結衣にいじめられたと言って、担任教師にすがりつくいじめっ子。

いじめっ子の言葉を受け、結衣を叱る担任教師。


担任教師がどんなに叱って罰を与えても、結衣は気にせず菜月に味方する。


そんなサイクルがしばらく続いたが、期間は長くなかった。


結衣の報復を、毎回菜月が止めるようになったからだ。これ以上自分のせいで親友が先生に怒られるのは耐えられなかった。



これはわたしの問題だ。結衣にばかり頼ってはいられない。

菜月はいやがらせを受けるたび、担任教師に事細かく報告するようになっていく。

クラスでチクリ魔なんてあだ名を付けられたが、気にしてはいられなかった。


何カ月も、毎日のように自身が被った被害を伝え続けた菜月は、ある日結衣と一緒に担任教師から呼び出しを受ける。



「——咲田さんはね、みんなの悪い部分ばかりに注目してるから、嫌なことをされてるって思っちゃうのよ。もっとクラスのお友達の良いところを見つける努力をしてごらんなさい。そうしたら、クラスのみんなのこと、もっともっと好きになれると思うから——」



言われたことはなんとなく理解できた。多分先生は正しいことを言ってる。でも、ぜんぜん納得できない。

教師のやたら長い話を頭の中でうまく処理しきれず、言い返す言葉が見つけられず菜月は黙った。

沈黙に、教師は満足したようにうんとうなずき、それから教師は結衣へと体を向けた。



「高瀬さんも、いつまでも咲田さんばかりじゃなくて、もっとほかのみんなとお話してごらんなさい。お友達がたくさんできると学校がもっと楽しくなるわよ」



とても長い話のあと、言葉を失くした菜月の代わりに、結衣が抑揚のない声で「そうですね」と担任教師に告げる。

あからさまにほっと胸をなでおろす教師を見て、ふたりは教師という大人を見放した。


以来、菜月はどんないやがらせを受けても大人を頼ろうとはしなくなった。





小学校に入学してからの理不尽な2年間は、3年に進級した結衣が学校中を巻き込む大騒動を起こす、ひとつのきっかけになった。


あくまで、多くの要因のひとつだが。

これを全ての原因にできるほど、高瀬結衣は単純ではない。


結衣が小学3年の時にやらかした出来事は、以後何十年、多くの関係者に語り継がれることになるのだが——、ここで詳しくは語らない。



この物語の主人公である菜月が、その騒動の当事者になれなかったからだ。




小学3年に進級した際のクラス替えで、菜月は結衣と別々のクラスになる。


そして、新たに編成されたクラスにて、市宇成見と出会った。







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