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8話 屋敷からの脱出

 珍しいと目を見開いたのは。

 王太子リシェルが近衛兵と同じ軍服姿だったからだ。


「これはこれは王太子殿下。先ぶれもなく突然のお越し。いったい我が家になんのご用でしょうか」


 ハーベイ伯爵は両手を広げて見せたが、決して頭は下げなかった。

 堂々と王太子と対峙し、目をそらすようなこともない。


 その背中を見て、アリスは心を打たれる。


 兄や公爵と違い、外交官の父はその腰に剣をつけていない。

 だが、父の武器は剣や武具ではない。

 態度と言葉なのだ。

 姿勢そのものでこの国を守っているのだと初めて知ったような気がした。


「珍しく軍服をお召しのようですが。そのような格好で当家に何用です」


 剣呑な声と視線を隠そうともしないのはフィリップだ。

 伯爵と肩を並べ、これ以上の侵入を拒否している。

 その威風堂々とした態度は、アリスだけではなく使用人たちの心も打ったようだ。


 それまでおびえた色を顔に浮かべていたメイドや執事たちだが、フィリップと伯爵の後ろに横一列に並び、王太子と近衛兵に向かい合っていた。


「アリスを迎えに来たんだ。彼女はなにか誤解しているか……それともカレアムに騙されているんだよ」


 リシェルが苦笑いして肩をすくめる。その声がホールに響き、二階にまで伝わってきてアリスは肩を震わせる。


(なんでいまさら……)


 薄手とはいえ上着を着用しているのに、それでも寒気を感じて鳥肌が立つ。

 婚約者同士だったとき、彼がこんなに自分に執着したことはない。


 王太子妃としての教育期間中、外出は制限されたが、王城内であれば自由に動けたし、それを王太子がとめることもなかった。


 なにより、彼とは二日に一度程度会うぐらいで、顔をあわせたとしても愛を語らうような仲ではなかった。


 たわいないことを話し、くだらないことで笑い、美味しい食事やお茶を楽しむ程度。


 アリスのなかでは淡い恋心はあった。

 今後将来を共にする仲だ。

 嫌いあうより、仲良く過ごしたい。だから心の中で次第に芽生えたこの感情がいずれ恋に育ち、愛になるのではないかという予感めいたものはあった。


 だがリシェルがそうかというとよくわからない。


 彼は、儀礼的であいさつめいたキスとハグ以外、なにかしてこようとしたことはない。

 くだけた調子で会話することはあるが、そこに愛情が含まれていたかどうかは不明だ。


 そしていきなりスー・ミラの登場でこの関係が破綻する。

 破綻したのだ、とアリスはつぼみのままで踏みにじられた恋心を抱いて泣いた。


(それなのに……どうして)

 どうしていまになって、手放そうとしないのだ。


「アリスですか? もう公爵都へと出発しましたが。なあ、フィリップ」

「ええ、見送りも終わって。馬車と共に出立しましたよ」

「なにを言う。まだいるのだろう?」


 しれっとした顔で会話をする親子を、リシェルは交互に眺めてうっすらと笑った。


「いいえ。ほら、王太子殿下の足元に散っているその花びら。それは娘へのはなむけのために使用人たちが用意したものです」

「涙ながらにみな、見送りました。王太子殿下が妹を婚約破棄したから」


 フィリップが強い口調でリシェルに叩きつけた。


「婚約は破棄したが、アリスを手放すつもりは毛頭ない」

 返ってきた言葉に、フィリップだけではなく伯爵も唖然とした。


「……王太子殿下はスー・ミラ嬢を婚約者として……将来の王太子妃としてお迎えされたのですよね? 我が娘の代わりに」


 しばらくの沈黙ののち、ゆっくりと伯爵が状況をただす。


「そうだよ。だけどアリスを手放すとは一言も言っていない。彼女はぼくの人生において必要な女性なんだ。運命の女性ではないけど、大事なひとであることには変わりない。それにアリスはぼくに惚れている。だろう?」


「ちょっとなにいってんだか……。父上、こいつの頭に砲弾を弾着させていいか?」

「いいと言いたいが、まあ、待ちなさい。王太子殿下。では我が娘を王太子殿下の側妃にせよ、と。そうおおせか」


 伯爵はフィリップを押しとどめながらリシェルに尋ねた。


「たしかにアリスを王太子妃にすることはできなくなったけど、王太子に大事にされる女という名誉を与えようとは思っているよ?」


 リシェルが堂々と言い放ち、伯爵とフィリップはしばし黙って将来のこの国の王を見つめた。


「側妃でもない……ということですか」

 ようやく伯爵が言葉を絞り出す。


「我が妹を……愛人によこせ、と」

 フィリップが牙を剥いた。


「ぼくは変化を好まない。アリスはいつもそばにいてくれてぼくが快適に過ごせるように助けてくれた。それはスー・ミラが王太子妃になっても同じだよ。アリスは常にぼくに心を捧げてくれた。これからもぜひ、それをお願いしたい。それだけだ」


 怒髪天をつく伯爵とフィリップを一瞥し、リシェルはあくまで端整な顔のまま続ける。


「公爵領に行くなどもってのほかだよ。しかも弟の妻になるなどありえない。きっと騙されているんだ。可哀そうなアリス。アリスはいつもぼくのそばに……」


「その首、ぶっ叩いてくれるわ!」

 抜刀しようとしたフィリップに、ふたりの近衛兵が突進してきた。


「はなせ、貴官ら! 砲弾などもったいない! 俺の手で殺してくれる……!」

「落ち着かれませ、フィリップ卿!」

「いましばし我慢を!」


 三人は団子になって玄関ホールの端へと移動していく。だがフィリップの力が強いとみるや、近衛兵のひとりが警笛を鳴らした。途端に近衛兵が玄関ホールになだれ込み、フィリップを抑え込む。


「ど、どうしましょう⁉」


 アリスは立ち上がる。これでは多勢に無勢だ。いくらフィリップでも死んでしまう。


「先ほどの発言、不敬罪。斬首を申し渡してもよいぐらいだけど、アリスを出すならゆるしてやってもいいよ?」


 リシェルがそんなことを伯爵に言っているのが聞こえ、アリスはスカートを握った。


 階下に行こう。

 そんな決意に気づいたのだろう。

 メイドと執事がアリスに取りすがって押しとどめる。


「お兄様とお父様を……!」


「アリス様、こちらです」


 助けねば、という声は聞き覚えの無い声につぶれた。

 反射的にメイドや執事たちと振り返る。


 二階の廊下。

 そこには灰色の軍服に革鎧をつけた少年が立っていた。


 まだ10代後半だろうか。少なくとも二十歳には見えなかった。

 栗色の髪と同じ色の瞳。

 剣は腰ではなく背負っており、代わりに腰には縄をまとめてくくりつけている。


「僕はニールド公爵カレアム様の預かる騎士団、ローゼリアン騎士団団長でセイオスと申します。アリス様をお連れするように言いつかりました」


 騎士は敬礼をするのだが。

 アリスも使用人たちもあっけにとられた。


「え……。その、どこから入ってこられたんですか? 外は近衛兵に取り囲まれているんですよね⁉」


 アリスが代表して尋ねる。「外を包囲された」と報告した執事も必死に首を縦に振っている。


「ええ、我々もアリス様をお迎えに上がってみればこの状況で驚いたのですが」

 セイオスは肩をすくめた。


「その包囲している近衛兵が『王太子殿下を正面玄関でとどめておくので、そのすきに二階から連れ出してほしい』と言われまして」

「は⁉」


「なんでも近衛兵たちはみな、アリス様がお好きなのだとか。だからなんとか王太子殿下から逃げ出し、公爵都に行って幸せになってほしいと」


 ふと、脳裏をよぎったのはテオとサリルだ。

 二度目の婚約式で警備をしていたふたり。

 彼らもアリスの幸せを願ってくれていた。


「さ、行きましょう。アリス様。我が君が待っております」


 涙ぐみそうになっているアリスを急かすセイオスを見て、使用人たちもアリスの背を押して二階廊下をそっと移動する。


 階下ではまだフィリップと近衛兵たちが派手な騒ぎを起こしており、リシェルがなにか言っているようだが、伯爵が「なんか騒がしくて聞こえませんなぁ」としばらっくれている。


「ここです」


 セイオスが二階廊下の窓を開ける。

 覗き込むと、庭が一望できる。


 そこにカレアムがいた。

 セイオスと同じ灰色の軍服にマント姿だ。


「公爵……!」

「飛び降りてこい」


「は⁉」

「梯子とかはない。飛び降りろ。受け止めるから」


「え⁉ いや、あの!」


 眼下では真顔でカレアムが両腕を広げているが、かなりの高さがある。

 よく考えればセイオスは腰にロープをつけていた。ならば、そのロープを利用して降りた方が安全ではないのか。


「セイオス殿はどのように上がってこられたのですか⁉」

「僕はロープで上がってきましたが、そのときそこの窓枠壊しちゃって……。えへ」


 指さされ、アリスより先に使用人が怒鳴った。


「あ――――!!!!!!」

「壊れてる!!!!」

「ひ、ひどい……!」

「なんてことしてくれたんですか!」


 一斉に非難され、セイオスは首を縮こめて詫びた。


「なので降りるとしたら、使用人たちにロープの端っこを持ってもらってゆっくり降下するか、飛び降りるかしかない……ですかね」

「では、我々がロープの端っこを持つので、お嬢様、ゆっくりと降下なさってください」


 執事たちがうなずきあっていたところに、階下から足音が近づいてきた。


「もうもたない! 殿下が上がってくる! お嬢様、どこかにお隠れを!」


 それを聞いてアリスは覚悟を決めた。

 窓枠に手を突き、がしり、と足をかけた。


「アリス、行きます!」

「まかせろ!」


 その声を聞くと同時に、アリスは公爵に向かって跳躍した。

 背後からは使用人たちの悲鳴のような声が聞こえた気がする。


 同時に内臓がふわりと浮くあの嫌な感じ。

 ぎゅっと目をつむったのだが。


 どす、と。

 なにかにぶつかった衝撃は受けたが、痛みはない。

 おそるおそる目を開く。


「大丈夫か? 痛いところはないか?」

 公爵に前抱きにされ、そんなことを尋ねられた。


「だ、大丈夫……です」

「そうか」


「我が君ぃ! 次、僕―!」

「お前はその辺の木に飛び移れ」

「ひどっ!」


 そのあと、がさり、と木の葉が揺れる音がし、使用人の悲鳴が聞こえたところを見ると、本当にセイオスは庭木に飛び移ったのかもしれない。


 気づけば軍服についた葉を叩き落しながらセイオスが近づいてきて親指を立てた。


「行くぞ、セイオス」

「奪還作戦、成功」


 こうして。

 アリスは慌ただしく屋敷から脱出したのだった。



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