6話 急いで荷造りをして嫁ぎ先へ!
(そう……なるわよね。そりゃ当然ね……)
いや、妻になったとあの場で宣言したのだから、そういうことなのだ。
(だけど、結婚式も挙げてないのにすぐこれって……)
逆にそんな女に見られるのでは⁉
そう思ったが。
ふと、「でもそうでもしなきゃ王太子から逃げられないのでは?」という疑問もわいた。
だからこそカレアムも噂になるのを承知でこのようなことをしたのではないだろうか。
「なぜ……王太子が私に執着するのか。やっぱり、魔石浄化と関係があるんでしょうか」
おそるおそるカレアムに尋ねる。
昨晩、彼はアリスを「都合の良い浄化師」だと指摘した。
アリス自身はそんな気はまったくなかったのだが、アリスの周辺は違った。
だから王太子妃としてとどめ置こうとした。
だがアリスと同じく意図を知らなかった王太子が婚約破棄したのではないか。
「私の都合の良さに気づいた、とか?」
「さてな。だがこれ以上しつこくつきまとわれては面倒だ。できるだけ早く公爵都に戻りたい。荷造りにはなにが必要だ」
「絶対に必要なのは、魔石浄化道具ですね。蒸留器と顕微鏡と絹布です」
アリスは蒸留器で聖水を作り、それで魔石を浄化する。
その道具がガラス製品でもあることから、移動させるとなると梱包に時間がかかる。
そのことを説明すると、「ふむ」とカレアムは納得した。
「では明日の出発ではどうだ」
「間に合わせます」
いまから屋敷に戻り、使用人を総動員して必死にやればなんとかなるだろう。
「では送ろう」
「え? 公爵おんみずからですか? いや別にいいですよ。馬車を呼んでいただければ」
「いや、ハーベイ伯爵にも筋を通さねばならんだろうから」
「お父様のことですか? 筋って……。でも、国王陛下と父の間では婚姻が了承されているんですよね?」
「まあ、そうだが」
目をまたたかせるアリスの前で、カレアムは立ち上がった。
「大事な娘を一晩あずかったのだ。一発殴られに行く」
「え⁉ 本当に手出ししてませんよね⁉」
「してないしてない」
「大丈夫ですよね⁉」
「大丈夫大丈夫」
「なんか軽いんですよね⁉ というか、あれです! 殴るとしたら、父ではなく兄だと思います!」
「兄? ああ、砲兵隊のフィリップ・ハーベイ卿か」
カレアムが兄を知っていることにほっとしたが、それすなわち兄のけんかっぱやさのせいではないかとひやりとする。
アリスが王太子妃でいたころはなんとなくそれで見逃されてきたこともあるが、今後のことを考えるとそれも頭痛の種だ。
「そうだ! 兄がいますからうかつに家に近づかないでくださいませ! きっと殴るぐらいじゃすまなそう! というか実家には連絡が入っているんですか⁉ 私、無断外泊とかになっているとしたら……!」
今頃血眼になって兄が王都中を駆けまわっているかもしれない。
フィリップの愛馬が気の毒だ!
「そのことについては大丈夫だ。帰宅が遅くなりそうなので、王城の居室で泊まることにしたとハーベイ卿に伝言をしている」
「そう……ですか。では大丈夫かな……」
アリスは腕を組んで考えた。
暴走気味な兄ではあるが、父には絶対だ。父が「諾」といえば、血の涙を流しながらも「諾」と言うのを王太子の婚約者に決まった時に見た。
「でしたら、明日の10時の鐘に私を迎えにきてくださいませんか? それまでに荷物をまとめて出立の準備をしておきます。父と兄への挨拶はそのときに済ませましょう。父と私がいれば兄の暴力を防ぐことができます」
「承知した」
あっさりと納得してくれたのでアリスはほっとする。
そしてふと視線を感じて小首をかしげた。カレアムと目が合う。
「なんですか?」
「いや。俺も宮中でフィリップ卿のことを悪く言う輩をみかけるが気にすることはない」
「気にしますよ! よく言われましたもん! 貴嬢の兄君は身体を鍛えすぎて脳みそまで筋肉になったって! あー……。私がいなくなって兄は王城でうまくやれるのでしょうか……」
「そんなバカな話を軍人ならば誰も信じていない。少なくとも同期や、彼の砲兵技術を見た軍人であれば、みな、一笑に付す」
「砲兵技術、ですか?」
「ああ。見たことがあるか?」
「……いえ」
「大砲はただぶっぱなすだけでは当たらん。緻密な計算と角度、地形を考慮して筒先を決める。フィリップ卿はその計算が早い。彼とは士官学校の同期だが、独自の早見表を作っているのを見たことがある」
「計算? あの兄が、ですか」
「砲兵隊に必須なのは数学だ」
カレアムは苦笑いする。
「どうせそんなことも知らぬ平和ボケした貴族が、君の地位を貶めたいがために『フィリップ卿は脳筋だ』と言いふらしているに過ぎない。誰も信じていないから安心しろ」
それからふと、アリスを見つめる。
「な、なんです?」
「いや、そうだったな、と改めて実感した。君はあのフィリップ卿の妹か」
「公爵には先ほど過分なるお言葉をいただきましたが……。本当になんというか手のかかる兄で……。いずこかでご迷惑をおかけしているのでは」
妹として恥じ入るばかりだ。
「いや。そんなことはない。それに、よく似ていると思ってな」
そう言ってカラリと笑われるからあっけにとられる。
「どうりでぶちかますなどと令嬢が言うはずだ」
「そ……それは! 忘れてください……っ」