32話 幕間3
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宰相を伴い、国王が謁見室に入室した。
素早くカレアムは立ち上がり、セイオスは気を付けの姿勢をする。
一方のリシェルはというと、椅子を蹴倒す勢いで国王に駆け寄り、近衛兵に制止されていた。
「父上! 聞いてください、あの男がすべて悪いのです!」
「王太子、お下がりください。近衛兵、なにをしている!」
宰相が短く発し、国王を守るように前に出る。
身を滑らせてきた近衛兵が間に入るが、とりすがるようにしてリシェルは腕を伸ばす。だが、国王は一瞥すらよこさない。
そのまま階の上に据えられた王座に腰を下ろした。
宰相はその右隣で控える。
「座るように」
国王が告げた。カレアムは一礼をして椅子に座るが、リシェルはまだ近衛兵と押し問答をしている。
「王太子、お座りになってください」
宰相が声を張った。
リシェルは彼をにらみつけたが、国王の機嫌を損ねることは避けたかったのだろう。しぶしぶと言った風情で椅子に向かう。蹴倒された椅子を近衛兵に起こしてもらい、わざとらしくどすん、と音を立てて座った。
「その者は?」
国王がふとカレアムに問う。なんのことだと目をまたたかせたが、背後に控えるセイオスのことだと気づいた。
「陛下より賜りました我が領を守るローゼリアン騎士団の団長です。外で控えさせましょうか?」
「いいえ! 我が君の奥方を拉致監禁した不逞の輩がそこにいるのです。なにかあってからでは遅いので、ここに控えさせていただきます!」
セイオスはきっぱりと言い、わざわざ「不逞の輩」を指さしてまで宣言するので、カレアムは頭を抱えた。
「貴様、無礼な!」
当然リシェルはいきり立ったが、セイオスはひるみもしない。
「どっちが! 我が君の統治する領にずかずか来ただけでも首を刎ねたいぐらいなのに、あろうことかアリス様を!!!! フィリップ卿の砲弾で爆発すればよかったのに! 我が君、お命じください! いまここでこやつを八つ裂きにしてご覧に入れますから!」
「セイオス、黙れ」
「いいえ、黙りません! せっかく! せっかく、あのとんちんかんなフィリップ卿が帰り、これからふたりの甘く激しい新婚生活が始まるところだったのに!」
「……セイオス」
「厩務員から報告もありました! おふたりがキスをしていたと!」
「あいつ、やっぱり見てたのか!」
「シシリーからも『なにやらおふたりは進展があったらしい!』と報告が!」
「その情報源はアリスか⁉」
「屋敷の使用人達も浮足立ち、『これは第一子ご誕生も間近!』と!」
「うちの使用人たちはどうなっている⁉」
「なんてったって我が君は絶倫! 第一子どころか、第二子、三子! 我が君の領は今後も安泰!」
「出ていけ、セイオス!」
「なんで⁉」
目を丸くするセイオスに、カレアムは怒鳴る気力も萎えてうなだれていたのだが。
小さな笑い声に顔を上げた。
階を見る。
国王だった。
宰相も驚きに目を丸くしている。
「そうか、カレアム公爵。アリスと仲良く暮らしているのか」
王座にゆったりと上半身を預け、国王は目を細めてカレアムを見ていた。
父と子ではあったが。
親子らしい交流などまるでなかった。
こんな風に話しかけてくれることなど皆無だったのだが。
今思えば、それも正妃からの過剰な嫉妬を避けるためだったのかもしれない。
ふとそんなことを思ったまなざしだった。
「はい! 我が君とアリス様は相思相愛です!」
カレアムの代わりに元気に答えたのはセイオスだ。物おじしない態度に近衛兵も宰相もドギマギしていたが、国王はあっけらかんと笑ってうなずいた。
「そうか。そちはよい臣下だな」
「はい! 我が君もよい主君です!」
そうか、と満足げに目を細めた国王だったが、リシェルが怒鳴る。
「なにがよい主君だ! 父上! こやつはアリスをたらしこみ、王都から連れ去った逆賊ではありませんか!」
一転して国王は表情を消し、自身の長男を見た。
「ほう。それは余が受けた報告と何やら違うようだが」
「アリスはぼくのことが大好きなのです! それなのにあの男が横やりを入れ……! かわいそうに。アリスはあんな田舎に連れ去られて……! だからぼくが彼女を!」
「お前の運命の相手はアリスではないのだろう? だから婚約破棄を申し出て、別の浄化師を迎え入れた。余はその決裁をしたはずだ」
国王は凍てた声で言う。リシェルは一瞬ものが詰まったような顔をしたが、階の下まで駆け寄った。
近衛兵がまた制止しようと近づくが、リシェルは自ら両膝をつく。
「スー・ミラに騙されたのです!」
「……はあ?」
いぶかし気に問うたのはセイオスだ。慌てて「しっ」とカレアムが黙るように言うが、セイオスはリシェルを指さした。
「あいつ、あたまおかしいんじゃない?」
「正論を言うのが正しい行いではない!」
暗にカレアムまでが「あたまおかしい」認定をしたが、リシェルはそもそも聞いていなかった。
「スー・ミラは『アリスよりもこの国を豊かにできる自信がある』とぼくに言って近づいてきました! ぼくは国土や王都を守るためにもスー・ミラを王太子妃として迎える決意をしたのです! そのことは父上にも申し上げたでしょう⁉」
「そうだな。運命の女に出会った。彼女は優秀な浄化師だとそのとき確かにお前は言った」
「ですよね⁉」
「そのとき、余も宰相も。さまざまな重臣がお前に言ったはずだ。アリスほどの浄化師はいない。スー・ミラに騙されている、と」
「そうなのです! ぼくはただ騙されただけなのです!」
嬉々として笑うリシェルを見て、セイオスは「やっばい奴……」と腕をこすった。鳥肌立ったらしい。
「アリスはぼくに惚れています! もう一度王太子妃に戻してください!」
リシェルは首をねじり、カレアムを指さした。
「早くあいつの魔の手から救い出してくださいませ!」
「こっち見んな、ばあか!」
「セイオス!」
カレアムの叱責に、国王の声がかぶる。
「なるほど」
国王は静かに告げた。
「アリスを王太子妃に戻すのもよいかもしれんな」
しん、と。
即座に場が静まる。
宰相は目を泳がせ、リシェルは喜色満面で立ち上がった。
いきなりとびかかろうとしたのはセイオスだ。
カレアムはとっさに抱きかかえるようにして止めるが、セイオスはじたばたと暴れた。
「いい加減にしろ、このクソ野郎! アリス様は我が君の奥さんだ! ちくしょう! 刀を預けてくるんじゃなかった!」
「控えろ、セイオス!」
「我が君はいいんですか⁉ アリス様を奪われて!」
「いいわけないだろ」
低くうなるような声に、セイオスだけではなくその場の全員がカレアムに視線を向けた。
彼はセイオスを腕で抱えながらも、燃えるような瞳で国王をにらみつけていた。
「先ほどの発言の意図、詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか、陛下」
国王だけがその視線を真っ向から受けて、小さく首を横にかしげた。
「というと?」
「ことと次第によっては、いかな陛下と言えどこのカレアム、黙ってはおれません」
「無礼だぞ、カレアム! 父上の裁決にものを申すとは!」
「黙れバカ」
嘲笑うリシェルをカレアムは一蹴した。さすがのセイオスもあっけにとられている。
「のう、カレアムよ」
国王はひじ掛けに頬杖をつき、カレアムを見下ろした。
「そちが王太子になるというのはどうだろう。そうすればアリスが王太子妃になるのだが」
ふたたび。
謁見室は静まった。
先ほどとは比べ物にならないほどの沈黙の長さ。
「なりますなりますなります! 我が君がなります!」
「どういうことですか、父上!」
その沈黙をぶち破ったのは、セイオスとリシェルだ。
ふたりは国王に詰め寄ろうとし、セイオスはカレアムに。リシェルは近衛兵にとどめられる。
「この国の王太子はぼくのはず!」
目をギラギラと充血させ、リシェルが怒鳴る。
「手順を踏めばそちを廃し、カレアムを立太子させることはできる」
「妾の子をですか⁉ 国が亡ぶ!」
「そちに任せるよりよほど安心だ」
国王は鼻で笑った。
「そちにはいるのか? あの騎士団団長のような臣下が。心を許せる妻が。セディナ商会のような有力者が?」
「もちろんです!」
リシェルがつらつらと口にした名を聞き、ひっそりと宰相が吐息を漏らす。ということはいずれもがそうではないということなのだろう。国王も深く重い息を吐いた。
「王太子よ」
「はい」
「そちはしばらく東の塔に蟄居し、あらためて帝王教育を受けよ。余がよいと言うまで出てくるな」
国王は宰相を一瞥した。
「帝王教育の人選についてはそちに任せる。ああ……スー・ミラのことがあったな。あの娘の王太子妃位をはく奪し、修道院に放り込め」
「御意に」
呆然としているリシェルを無視し、国王は次男に視線を移した。
「カレアムよ、そちはどう思う。王太子となってみるか?」
「俺にとって大切なのは、王太子になるかどうかではありません。アリスの夫は俺だと認めてくださることです」
きっぱりとカレアムは告げた。
「アリスの夫になるために王太子位が必要だとおっしゃるのであれば、あの男をこの場で殺して王太子位を簒奪いたしましょう。ですが、そうではないとおっしゃるのなら……」
「ならば?」
「アリスのために、しばらくは公爵のままでいたい」
「アリスのため、とは?」
「王都にいれば、また彼女は働きづめになってしまう。そのうえ、今度は世継ぎだ、子育てだと仕事ばかりが増えて彼女の心が安まることがなくなるでしょう」
「……なるほど」
国王はつぶやくように続けた。
「気にはなっていたのだ。有能すぎるがゆえに過剰労働になっていることは。アリスには申し訳ないことをした」
「ですが国を憂う陛下のお気持ちもわかります。なので、もし魔石に関してお困りのことがあればいつでも我が領にご相談ください。また、王太子の暴走が気になるのであれば」
ちらりとカレアムはリシェルを一瞥した。
「公爵領から牽制をしておきます。ご安心を」
「あの街道か。我が子ながら抜け目ないな」
国王は笑って頬杖を解き、ふたたび王座にどっしりと上半身をもたれさせた。
「いましばらく、アリスは公爵夫人といたそう」
「ですが父上! アリスはぼくのことが好きなのですよ⁉」
リシェルが悲痛な声で叫ぶ。
「いつの話をしているんだ、お前は」
カレアムが鼻で笑った。
「もう俺にべた惚れだ。ばぁか」




