3話 入場曲は突撃ラッパ
王宮の大広間に到着すると、扉の前には槍を持ったふたりの騎士が警護していた。
王太子付きの近衛兵だ。アリスの姿を認めて敬礼してくれたので、アリスは満面の笑みを浮かべて挨拶をした。
「こんばんは! 良い夜ですね、サリルさん、テトさん」
「こんばんは……って。酒くさっ! え⁉ 王太子妃、酔ってます⁉」
「やだなぁ、もうサリルさん! 私、王太子妃じゃないんですよ!」
「ワイン樽背負ってるのかと思う匂いですよ! どんだけ飲みました⁉ ってかワイン風呂に入ったとか⁉」
「ちょっとだけ! ほんのちょっとだけですよ、テトさん! もう、やだなあ!」
アリスはカレアム公爵の左腕につかまりながら、ご機嫌で手を挙げた。
サリルとテトと呼ばれた衛兵は互いに顔を見合わせたものの口をつぐむ。
そりゃ飲みたくもなるよなぁ。
アリスは気づかなかったが、ふたりは無言でそんな顔をしていた。
今、この扉の向こうでは元婚約者が「運命の恋人」とやらと婚約式をしているのだから。
「まあ……結局ここまで来るのにワイン一瓶飲んだからな、君」
カレアムがぼそりと言う。
「ワイン一本⁉ 王太子妃……じゃないアリス嬢が⁉」
「よもや貴様、アリス嬢に無理やり酒を飲ませたのではあるまいな⁉」
いきなりテトが槍の先をカレアムに向けるからアリスは慌てた。
「ちがうちがう! 自主的に飲んだの!」
「自主的⁉ え、いやよく見たら公爵⁉」
「あ! カレアム殿下!」
近衛兵たちは徽章に気づき、慌てて槍をおろして敬礼をした。
カレアムは別に気分を害したわけでもなさそうに、アリスを左腕につかまらせて答礼をする。
「もう宣誓式は終わったのか?」
顎で閉められた扉を示すカレアムに、サリルとテトはおずおずとうなずいた。
なんとなくアリスに気を遣いながら、小声で応じる。
「さきほど、滞りなく。現在は立食での交流会となっております」
「なるほど、では入室しても差し支えないな?」
カレアムが尋ね、サリルとテトは顔を見合わせた。
「ええ。では入室の訪いを行います。カレアム・ニールド公爵とハーベイ伯爵家のアリス令嬢ということでよろしいですか?」
「違います」
ちっちっちっと舌を鳴らして、アリスは立てた人差し指を横に振った。
「カレアム・ニールド公爵と、その妻、アリスです!」
「……アリス嬢……。混乱なさっておられるのですね。酒のせいですか? きっとそうですよね……」
「ご心痛はいかばかりか……」
近衛兵たちが目頭を押さえてうつむくから、アリスは憤然と声を上げる。
「私の頭がおかしくなったのではありませんし、酔っぱらった妄言ではありませんよ⁉」
「……彼女が酔っ払っているの確かだが、貴官らが心配するような、そんな『おいたわしや』的なことではない」
カレアムの声に、近衛兵たちは目をぱちぱちさせた。
「え? ではどういうことで?」
「というか、カレアム公爵が酔わせてどうこうしたのでもないのですね?」
「俺は素面の女しか口説かん。というか、俺とアリス嬢の結婚については陛下も、ハーベイ伯爵も了承済みだ」
「そうなんですか!」
近衛兵たちが声をそろえる。アリスは頷いた。
「なので私、公爵都にお引越しします。毎日お会いしてたのに……なんか寂しいですね……」
「おい、今度は泣きだすのか。まったく……、貴官ら、アリス嬢とは酔うとこんな感じか?」
「いえ……その。こんなに酔われている姿を見るのは初めてで……」
「むしろどれだけ飲ませたのです?」
「飲ませてない。勝手に飲んでいた。俺がみたときには、蒸留酒をグラスにたっぷりと、ワイン一本」
「あー……」
「許容量いっぱいでは……」
「というか、いままで本当にありがとうございました!」
アリスはおいおいと泣きながら近衛兵たちに礼を伝える。近衛兵たちは慌てて首を横に振った。
「こちらこそ、アリス嬢には本当によくしていただいて……」
「そうか、もう同行支援もないんですねぇ」
近衛兵たちもしんみりしているのを見て、カレアムが眉根を寄せた。
「は? 王太子妃なのに訓練にも同行させたのか?」
「ええ。魔法道具が使えなくなったらすぐに浄化してもらうために」
「火器銃器なんかは特に」
近衛兵たちは口々にこたえたあと、アリスに頭を下げた。
「これは……本気で掘り出し物だな」
ぼそりと頭上から声が降って来る。アリスがきょとんと顔を上げると、カレアムの黒瑪瑙のような眼にからめとられた。
「君は本当に有能だ」
「そうですか? 買いかぶりすぎですよ」
逆にアリスはどうしてカレアムがこんなに自分をほめるのか本気でよくわからない。
「あの、アリス嬢。いままでほんと、ありがとうございました」
「お世辞でもなんでもなく、近衛隊一同、みんなアリス嬢のことが好きでした」
「そ、そんな……」
「野営の同行支援のとき、藪を突っ切って助けてに来てくれたのは忘れません」
「だよな! 仮想敵に囲まれて魔法具も使えなくて……」
「そのとき突如藪から現れて……。塹壕に潜って、必死に魔石を磨いて浄化してくださって……」
「ぼく、マントでこうやってアリス嬢の上に降る土砂を防いでました」
「あの窮地を脱出できたから、俺たち、階級上がったわけだし」
言われてアリスはそのときのことを思い出して涙があふれる。
「やめろ、それ以上なにも言うな。アリス嬢が泣き崩れる」
もはや嗚咽を漏らしてしゃくりあげるアリスを支え、感謝をまだ伝えようとする近衛兵をカレアムは遮った。
「顔を拭け。いまから会場に乗り込むんだからな」
カレアムからハンカチを受け取り、アリスは頬の涙を拭う。ついでに目元も抑えた。化粧崩れなど気にはしない。もともと今日は薄化粧だ。
「なにかあれば公爵領にいつでも来い」
「そうです! 待ってますね!」
すん、と鼻を鳴らして胸を張ると、ふたりの近衛兵は笑って力強く頷いた。
「逆にアリス嬢になにかあったらいつでも呼んでください!」
「近衛兵はアリス嬢のために馳せ参じます!」
いいのか、それはとカレアムが眉をひそめたが、アリスが「お願いしますね!」と大声で言ったためにその声はつぶされた。
「では、訪いを」
「あ、ついでにぼく、ラッパも吹いちゃいます!」
「わ――――! ありがとうございます! 派手にお願いします! ぶちかます感じで!」
「了解っす!」
いや、別に普通で。というカレアムの言葉はここでもつぶされた。
サリル近衛兵はこほんと咳払いし、テト近衛兵は腰にさしていた軍隊ラッパを抜いた。
カレアムが改めてぎゅっと左腕をしめる。そうすると、アリスは彼にもたれかかるようにして腕を組みなおした。アルコールのせいでちょっと足元が怪しくなってきたので、この体勢は非常に助かる。カレアムに体重を預けると楽に立てる。
だがカレアムには心細くてすり寄ってきたと勘違いしたようだ。
「ひるんでるのか?」
「まさか。会場にまだお酒あるかなぁ、と。ちょっと胃に隙間ができました」
「まだ飲む気か、君は」
あきれているカレアムをよそに、サリル近衛兵が、扉を開いた。
どっと光があふれ出す。
同時に雑多な人声や料理の匂いがむっとアリスを包んだ。
「カレアム・ニールド公爵と、その奥方アリス様!」
サリル近衛兵の声は室内に朗と響いた。
そのあと、軍隊ラッパが高らかに吹き鳴らす。
もともと合図用に使用される軍隊ラッパ。なので曲名というものはない。「進軍」「停止」。そういったことを全軍に示すために使われるが。
非常に勇壮で心躍る曲調だ。
「気分上がる曲ですねぇ」
「だろうな、突撃ラッパだ」
アリスが言うと、カレアムが笑った。
「まさにふさわしいな。行くぞ」
「どこまでも」
カレアムが踏み出す。
アリスも背筋を伸ばして会場に足を踏み入れた。