29話 元婚約者とのありがたくない再会
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アリスが公爵都から連行されて五日後。
彼女がいたのは王都の東端にある王太子のコテージ、通称「朝露の城」だった。
その一室のソファの上で目覚めた。
いや、「ようやく眠ることができるようになり普通に目が覚めた」というべきか。
ここにきた直後など気絶し、その後目覚めたというより覚醒したという状態だったのだから。
なにしろここまでの馬車がつらかった。
いや、あれは馬車と呼べる代物ではなかった。
輸送用の箱だ。それに座席らしいものと扉を取り付けただけにすぎない。実際、窓はなかった。
『あまりにもこれはひどい!』
一目見て執事長とメイド長が抗議をしたが、スー・ミラは『だって罪人なのよ? 王太子の意見に反対したんだもの』としれっと告げ、近衛兵にアリスを乗り込ませるように命じたのだ。
この馬車の最悪なところは見た目ではない。
真のひどさは動きだしたときにわかった。
スプリングなど皆無なので揺れが直接脳髄まで響く勢いだ。座席らしいものには多少のクッションがしいてあるので、最終的にうつぶせに寝転がって振動を和らげるのが一番だと知る。
そのまま馬車は走り通しだった。
馬を交換するときだけが休憩時間で、アリスはなんとかそのときにトイレに行き、水を得た。食事はもとより口に入りそうにない。止まっていても揺れているような感じが酷い。
スー・ミラもこの強行軍でついてきているのかとおもったが、アリスを輸送する馬車は一台で、あとは近衛兵の騎兵だ。ということはスー・ミラはのんびり後ろからついてくるつもりなのだろう。
腹が立ったのも最初の一日だ。
あとはなにも考えられず、この屋敷に到着した直後はここがどこだかわからない状況だった。
ベッドもない部屋に閉じ込められた直後は気絶するように眠ったが、昨日あたりからようやく朝に目覚め、食事をとり、夜に眠気がくるようになった。
そして部屋から見える庭の様式や、部屋に飾られた特徴的な調度品からここが王太子が所有するコテージの朝露城だと判断した。
(てっきり王城に連れていかれるとおもったけど……)
上半身を起こし、ぼんやりとそんなことを考えた。
(王城に連行されなかったということは、私を公爵都から連れ出したのは王太子の一存だということでしょうね)
王太子妃になって以来、アリスの味方は少ない。
だがその少ないなかに陛下がいた。
もともとアリスの力を見出し、「ぜひ国に尽くしてほしい」と父に直接依頼したのは陛下だと聞く。王城で共に暮らしているときはそれほど交流がなかったが、それでも折にふれてカードが届いたり、アリスの窮地をそれとなく救ってくれているのは知っていた。
このたびのカレアムとの結婚についても異議を挟まず、むしろ王城から出るのを助けてくれたほどだ。
王太子はさすがに陛下に面と向かって「アリスを浄化のためだけに王都にとどめおきたい」とは言えなかったのだろう。
(だとしたら勝機はある。陛下に直談判すればって思っていたけど……)
連れてこられたのが王城ではなかったのが痛い。
ここから王都までそう遠くはないが、現在幽閉されている。脱出したとしても馬に乗れないアリスはすぐに騎兵につかまるだろう。
(……公爵に使いをやったから……。きっとすぐに屋敷に戻ってメイド長や執事長から話を聞くはず)
そうすればなんらかの動きを見せてくれるかもしれない。
そう期待しつつも、だけどそうなれば王太子との仲が完全に決裂するだろう。
それはカレアムにとっていいことではないはずだ。
のろのろと上半身を起こし、深く息をつく。
(連行されずに、公爵都で踏ん張ればよかったかしら)
そんなことも考えたが、そうなれば国家反逆罪だ。その場で処刑されても文句は言えない。
処刑されずとも、使用人たちが罰を受ける可能性は十分あった。特にシシリーを人質にとられてスー・ミラのいいように扱われる可能性も。
(いくら考えてもどうしようもないわね)
もう自分はここまで来てしまったのだ。
あとは王太子リシェルとの正面対決しかあるまい。
クッションを抱えて気持ちを新たにしていたとき、部屋のドアがいきなり開いた。
もとより着替えなど用意されてもいないし、風呂も準備されていないのでいつだれが開けようとかまわないのだが、それでもアリスは言った。
「ノックもないとは無礼な。最低限のマナーすら近衛兵は守れなくなったのですか」
「元気そうでなによりだね」
その声にアリスは反射的に立ち上がる。
そこにいるのは、以前の婚約者であるリシェルだ。
侍従官と近衛兵をひとりずつ従え、堂々と入室してきた。
立ち尽くすアリスに挨拶もせず、リシェルはさっさとアリスの向かいに座った。
魔石が盛られた銀盆を持っていた侍従官が無言でテーブルに近づき、魔石をざらりと広げる。
「早速だが浄化してほしいんだ」
リシェルがにこりと笑った。
アリスは立ったままそんな彼を見下ろす。
惚れ惚れするような美青年だ。
長い足を組み、ゆったりと背もたれに上半身を預けるさまは優雅で、髪も肌も念入りに手入れされている。まるで血統書付きの猫のようだ。
こうやってよく見ると、カレアムとまったく似ていない。
彼は質素だが清潔で。簡潔だが品があり、武骨の中に繊細さがあった。
リシェルが造形品だとしたら、カレアムは自然美だ。
そしてアリスはカレアムのほうが好ましいとはっきりと気づいた。
「どうした? まだ田舎での疲れが残っているのかな」
無言のままのアリスを見上げ、リシェルはいたわるように目を細めた。
「そうだろうな。あそこは辺鄙で未開だ。王都育ちのアリスにはつらかったことだろう。カレアムがぼくへの当てつけのようにアリスを強引に連れて行ってしまったばっかりに可哀そうなことをした」
「あてつけ?」
アリスは小首をかしげた。
「私の記憶違いでしょうか。私は乞われて公爵の妻になり、彼の領地に自らの意思で向かったのです」
「そんな風に思いこまなくていいよ」
ふふとリシェルは笑った。
「ぼくからの愛を失ったと思って絶望した時に甘言を弄されたのだもの。なびくのも仕方ないよ。だけどね、君はこうやってぼくのところに戻ってきてくれた。ぼくは許すよ」
「連れ戻されたのです、王太子殿下。私をいますぐ公爵都に戻してください」
「いまぼくはとても困っていてね、アリス。君はぼくがそんな状態になっていることを知らないんじゃないかと思って」
少しだけ眉を下げるリシェルを見て、アリスは舌打ちしたいのをぐっとこらえる。
この男、まったく話が通じない。




