26話 ちゃんと夫婦になろう
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口やかましいフィリップを、屋敷滞在二日で追い出すことに成功したものの、ゆっくりのんびりすることはできなかった。
隣国との国境でなにやら越境の形跡があると報告があったのだ。
「隣国が……攻めてきたり……とか」
カレアムの着替えを手伝っていたアリスは、上着を手渡しながらついそんなことを尋ねてしまった。
「ありえない。とも言い切れないが……確率的には低い」
軍服の上着を受け取り、カレアムは手早く着込む。
他国と接する公爵領の重要な役割のひとつは「国境を正常に保つこと」。
カレアムはすぐに自らローゼリアン騎士団を率いて確認に向かうことになったのだ。
「大半は盗賊だったり手引きされた亡命者だ。今回もそうだろうが……。まあ、念には念をいれねばならんからな」
「お兄様が帰ったので、公爵もやっとゆっくりできると思ったのに」
ついアリスはぼやく。
よくよく考えれば本当にあの兄の訪問は邪魔だった。
いや、魔石浄化の件については恩人のためによくやってくれたと言いたいが、それでもなぜ二日も滞在したのか。カレアムは通常業務に加え、彼の接待という仕事が増えてしまったではないか。
「君も。ばたつかせて申し訳ないな」
不意にそんなことを言われ、アリスは我に返る。
顔を上げると、申し訳なさそうに眉を下げるカレアムが詰襟をただしながら自分を見ていた。
「とんでもない! もう兄が……!」
「こんなことならフィリップ卿に留守をお願いするんだった」
「絶対いや!!!」
カレアムは苦笑いし、アリスに向き合う。
「数日留守にするが、帰宅したら騎士団にも休暇を与え、俺も休みをもらおうと思う」
「それはよいことです!」
アリスはぱっと顔を輝かせた。
カレアムはよくアリスが働きすぎだというが、アリスから言わせればカレアムも仕事の虫だ。彼こそもっとゆっくり過ごすべきなのだ。
「だから」
ふ、と。
カレアムが腰を曲げ、アリスに顔を近づけた。
「ゆっくりしないか? ふたりで」
彼の呼気が頬をつるりと撫でた。黒瑪瑙に似た輝きを放つ瞳はまっすぐにアリスに向けられている。
「いいですね! ピクニックとかどうです?」
「いいな」
「お弁当を持っていきましょう!」
「ああ」
カレアムはやわらかく瞳を細め、さらにアリスに顔を近づける。
アリスは顔を熱くして身体を硬直させる。
(こ、この距離感……)
このまま詰められると、彼と唇が重なりそうだ。
だが。
彼はアリスの耳元に口元を寄せた。
「俺が帰ってきたら」
カレアムの声がみみたぶをくすぐる。アリスは肩をはねあげた。
「か、帰ってきたら?」
「ちゃんと、夫婦になろう」
「は⁉ え⁉」
どぎまぎしながら問い返すと、カレアムはするりと背を伸ばす。
そのついでだとばかりに、アリスの額にキスをした。
「行ってくる」
「……………い、行って……らっしゃいませ……」
アリスは頭から湯気を吹きださんばかりに体中から熱を放出させ、カレアムを見送った。
その次の日。
「大丈夫ですよ、アリス様」
シシリーの声に我に返る。
気づけば窓の外をぼんやり見つめていて、魔石を磨く手がお留守になっていた。
「隣国が攻めてくる兆候なんてことはほとんどありませんから、カレアム様も元気にお戻りになりますよ」
励ますようにシシリーが言ってくれるから、アリスも意識して笑みを浮かべた。
「そうよね。公爵もそうおっしゃってた。でも……その、改めて思ったの」
「なにをですか?」
「もし隣国とのいさかいがあったら、ここが最前線になるんだな、って」
王都が、ではない。
公爵都が真っ先に戦火に飲まれるのだ。そしてその陣頭指揮を執るのはカレアム。
よくよく考えれば危険地帯に彼はいることになる。
「まあ……そうですが……。その、うちの父がいつも言ってますが、カレアム様は歴代公爵の中でもものすごく交渉上手らしいですよ?」
「公爵が?」
「ええ。隣国の外交官どころか商人もうまくまるめこむんだとか。だからカレアム様が公爵都をおさめている間は、商売し放題って」
シシリーの父であり大富豪のセレディナが言いそうなことだと、アリスは思わず笑いだす。それをみてシシリーもほっとしたようだ。浄化水から魔石を取り上げてくもりを探している。
「だから心配することありません。すぐに任務を終えて戻って来られますよ」
「そうね。そうしたらセイオス殿も戻って来るから。また四人でどこかに行きましょうか」
「わ!」
途端にシシリーが顔を赤くして魔石を浄化水に取り落とすからアリスはまた声をたてて笑った。
「あ、あたしたちのことはいいんです! それよりアリス様とカレアム様は? あれから進展ありました?」
「進展……」
ふとカレアムが出立の際にアリスに耳打ちしたのを思い出した。
『ちゃんと、夫婦になろう』
アリスの耳元で囁かれたあの言葉。
彼の呼気が甘くアリスの頬を撫で、首元に落ちて。
アリスは途端に顔を熱くする。
「あ! なんかあったんだ!」
俄然興味を持ったシシリーが駆け寄って来るからアリスは慌てて首を横に振った。
「な、ない! ないわ!」
そう、まだない。
ないけど。
帰宅したら、ある、かも。
その想像にまた勝手に全身が熱くなる。
「なになに⁉ なにがあったんですか!」
「いやほんと、ちょっと!」
ふたりできゃあきゃあ言い合っていたら、素早いドアノックがあった。
てっきり「騒がしい」とでも怒られるのかと思ったが、アリスの返事も待たずにドアが開いた。
「ご無礼を平にご容赦ください。ですが早急に奥様にお伝えしたいことが」
執事長と共に室内に入ってきたのは、カーキ色の軍服を着た男だ。
(この色の軍服は公爵都の城門を警備しているひとよね……)
街道と公爵都の境を護る衛兵だ。
「先ほど、スー・ミラ王太子妃と名乗るご一行が到着され、アリス様に面会を求められました」
「スー・ミラ嬢⁉」
思わず素っ頓狂な声を上げる。彼女がなにをしに来たのだ。
衛兵も戸惑いながらうなずく。
「馬車の家紋を紋章官が確認したところ確かに王家の……王太子妃のものである、と。通行許可書も正式なものではあるので、『ではアリス様に確認をとりますのでお待ちを』と足止めをしたのですが、『こちらには王太子の書状があるのです』と強引に突破されまして……」
「来るんですか?」
アリスが眉根を寄せると、衛兵は「申し訳ありません」と頭を下げた。
「あなたが謝る必要はありません。連絡ありがとうございました」
アリスがいたわると、執事長が声をかける。
「急ぎ準備をしましょうか?」
「そうね。……でも私の勘だけど、公爵都をぶらぶら見学してから来るでしょうから。そう急ぐこともないと思うわ」
アリスは肩をすくめて見せた。
どうせ田舎の町だと高を括ってきたはずだ。
いまごろ目を丸くし、あちこち見て回っていることだろう。
「シシリーさん、今日のところは浄化の仕事はここまでにしましょう。お疲れさまでした」
「あたしもなにか手伝いますよ!」
ぴょこんと手を挙げたのシシリーだ。アリスは慌てて首を横に振った。
「いえいえ。シシリーさんは今日はもうおうちに戻ってください。接待が始まるとまたいつおうちに帰れるかわからないので」
「いいです、いいです! どーせうちに帰ったってお父様もいないし。ここにいるほうがやることいっぱいあって楽しいですから!」
どうしようとしばらく逡巡したら、メイド長がおそるおそるとばかりに口を開いた。
「あの、奥様。正直人手は多いほうがいいかと思われます。私たちも王太子妃の接待となると前例がございませんし……。もしなにか失敗をしたら」
「それに奥様の正式な侍女がまだおりません。というより奥様の格に見合う侍女がいないというのが現状です。シシリー様なら大富豪の令嬢ですし、お願いされてはどうでしょうか」
執事長まで珍しく不安そうに言うからアリスは首を傾げた。
「別に接待で失敗したからって命をとられるわけじゃあるまいし。それに私に侍女がいなくても……」
「奥様に恥をかかせるわけには参りません!」
「そうです。旦那様が大事になさっている奥様を、わたしどもの失態のせいで品位を落とすなどあってはならぬことです!」
メイド長と執事長はずずいと身を前に乗り出す。その勢いにアリスのほうが身をそらせたほどだ。
「奥様がいらっしゃって以来、私たちは本当にこの仕事に誇りをもって務めております!」
「その大恩人たる奥様が評価を下げることなどあってはならないこと!」
「メイド一同、奥様のために精一杯お勤めをさせていただきます!」
「執事も同様! 王太子妃がのこのこ何しに来たのかわかりませんが、命に代えても奥様の名誉をお守りします!」
ふたりの真剣なまなざしを見て、素直に胸打たれた。
王城にいたときにははぐくまれなかった信頼関係がここにある。
そのことがものすごくうれしかった。
アリスは思い切って頷き、シシリーを見た。
「じゃあ……一緒にお願いできる? もちろんおうちのほうにはお手伝いをお願いする旨、伝えておくから」
「はーい!」
シシリーは元気よく返事をすると、メイド長と執事長に握りこぶしを作り「がんばりましょうね!」と励まし合っている。
「あと、誰か公爵のところに使いをお願いします。何の用かはわかりませんが、王太子妃がわざわざやってきた、と」
「承知しました」
執事長は頭を下げたあと、執事に短く指示を出した。意を受けて動き出す執事を見て、アリスは立ち上がる。
「それでは王太子妃を出迎える準備をしましょう」
おごそかにそう告げた。




