23話 王城の様子
アリスはテーブルの上の魔石に手を伸ばした。
「じゃあお兄様、この石は至急浄化するわね。いまからとりかかっても明日にはできると思うけど」
「それは助かるが……。お願いしておいてなんだが、あんまり根を詰めずにな」
「大丈夫よ。王城では私一人で浄化作業をしていたけど、こっちではシシリーさんが手伝ってくれているし、休暇だってもらえているの」
すごいでしょ、とばかりにアリスは胸を張ったのに、フィリップは目頭を押さえて涙をこらえている。
「お兄様?」
「思えばやはり王太子妃時代は不憫だった……。俺にとっては暗黒時代だと言っても過言ではない。なんてったって、実家にすら帰省を許されず、朝から晩まで魔石を磨かされて……」
「まあ……それが仕事だと思っていたし」
「しかし休みがないのは由々しき事態だぞ⁉」
「私が効率よくしてないから休めないんだよって、王太子が」
「あのクソが!!!!!」
「お兄様、お言葉」
「そのくせ自分は女あさりだなんだ好き放題やりやがって! あいつ、陸軍参謀本部に所属しているくせに会議には参加しない、野営は見に来ない! 訓練中にアリスの姿が見えて、『ああとうとう会いたいが高じて戦場で妹の幻を見始めた』と思ったら、本当にアリスが魔石浄化のためにいるし!」
「おかげで実家に帰らなくてもお兄様には会えたし、お父様とは外交の現場で会えたし。まあ、結果的によかった……」
「よくない! あの時からうちはずっとアリスの働きすぎについて強く王太子に申し入れをしていたのに!」
「それでも君は休暇をもらえなかったのか?」
するりとカレアムが会話に入ってきた。
フィリップは王太子への罵詈雑言をまだ連ねているので、アリスは苦笑してうなずいた。
「『ここまでしたら明日休める』と思って私が準備をしていると、その速度を見計らって『まだ頼めそうだ』と侍従や神官がどんどん魔石を持って来るので……。かといって浄化のペースを落としたら量が滞るわけで……」
「いったいなにに使用する魔石なんだ?」
カレアムが訝しむ。
「ほとんどは大したことのないものです。王城内のなにかを自動化するための。例えば自動で扉が開く、とか。空調とか。あと調理関係ですね。食材を冷やすための魔石とかは結構消耗が激しいので……」
「国策と関係ないではないか。俺はてっきり、国防に関するものかと」
カレアムはあきれる。
「もちろん王都防衛のバリアは定期的に行いますし、最優先事案ではありますが、あとはこまごましたものですね」
「必要のない部屋まで空調が利いてて俺はブチ切れた覚えがある。『これはアリスが必死で磨いた魔石なんだぞ!』と」
いら立ちまぎれにフィリップが吐き捨てた。アリスは肩をすくめる。
「まだ私が王太子妃となって日が浅いころは、空調なんて謁見室と陛下のご寝所ぐらいにしかなかったですからね。それがどんどん増えて。普通にメイドたちの休憩所まで導入されて」
アリスはそれから慌てて付け足す。
「別に構わないんです。働く環境が良くなるのは素晴らしいことですから。だけど……その、あって当然と思われると……。ちょっとしんどいな、って思うこともあったんですよね」
当然だが浄化には体力も精神力も使う。
それなのに気軽に「あ、これ魔力が切れましたので。浄化お願いします」と疲れ切ったころに平然と持ってこられたら、自分はなにをやっているんだろうと思うこともあった。
「公爵都では、便利になったら感謝されますし、そもそも無理なんてさせてもらえませんし……。セレディナ殿に至っては、「今月はこれだけの売り上げで……」と私に説明をして、かつ、ほめてくださるので」
「それは当然だ。君がこの公爵都でどれだけ貢献しているのかを知る権利があるし、休暇は労働者にとって当然の権利だ」
「そういう観点がすっぽり抜けていた、というか。アリスが優秀すぎて、『こんなの普通』ぐらいに思っていたんだろうな、王城のやつら」
フィリップは腕を組み、ざまあみろと言いたげに片方の口端だけ釣り上げて笑った。
「あいつらいま、全員汗だくで仕事をしている。いまになってアリスのありがたみに気づいたんだ。今までは俺が王城にいたら顔を背けて知らんぷりしていたのに、最近ではこっちが隠れようとしても追いかけてくる。で、口々に言うんだ。『アリス様に特別のご計らいはお願いできないでしょうか』って」
アリスは黙って眉根を下げた。
今は、そういうだろう。
そう、困っている今は。
だが、浄化が当たり前になったらきっとまた元の木阿弥だ。
「お前の言いたいことはわかるぞ。だから俺も言ってやった。『それを過去のアリスが聞いたらどう思うだろうな』と。困ればいいんだ。あいつらが選んだのは新しい王太子妃なんだから」
そう。
それもある。
アリスが王太子妃の座を奪われようとした時、誰もなにもしてくれなかった。
動いてくれたのは実家のハーベイ伯爵家と、スタンレー家とマンドレイ家。それから近衛兵たちだけだ。
メイドも執事も侍従官も。
あれほどアリスの魔石浄化の力の恩恵を受けていたにもかかわらず、あっさりとスー・ミラに乗り換えた。
「スー・ミラに特別な才能があると思っていたんだろうな」
カレアムがぼそりと言う。フィリップは笑い飛ばした。
「あるものか。アリスが特別だから陛下は王太子妃にとおっしゃったのだ。国益にかなうから」
「バカな奴らだ」
「だがおかげで妹は貴官に救われた。本当にそのことについては礼を言う」
フィリップが改めて深々と頭を下げるからカレアムがうろたえた。
「いや、もうそのことについては……」
「今後も妹をよろしく頼む」
「もちろんだ」
「まさかと思うが妹を泣かせるようなことがあれば、俺は貴官に砲弾を死ぬまで浴びせ続けるからな」
ぐぃんと顔を起こし、フィリップがカレアムをにらむ。
アリスとカレアムは顔を見合わせ、同時に噴き出した。
「お兄様ったらもう!」
「そんなことにならぬよう、頑張るつもりではある」
フィリップはそんなふたりを交互に見比べ、にこりと笑った。
「そうか。なら大丈夫だろう。幸せにな」
言祝がれ、アリスは胸がつまったような気になった。
そういえば王太子妃になったときにはこの兄は「おめでとう」も言わなかった気がする。
父に対して憤然と「王家にお断りを!」と言い続けていたし、王太子妃になってからは「早く離縁させろ!」と父に詰め寄っていた。
(お兄様の目にかなったってことかしら)
そう思ったのに。
「カレアム公爵」
「なんだろう」
「ということで今日と明日はアリスがちゃんと安心安全に過ごせているから見守る必要がある。兄として」
「………そう、だな? そう……かな」
「なので屋敷への滞在をお許し願いたい」
「それは問題ないが……」
「ではアリス、早速案内を頼む! 防犯的に問題ないか、警備はしっかりしているか、屋敷の使用人の態度はいかなるものか! いまからお兄ちゃま自らがチェックをする!」
「は⁉」
ということで。
突然やってきたフィリップによって公爵屋敷は監査が始まった。もう右往左往の騒ぎである。小舅というのはこんなに面倒くさいのかと誰もが思うほどだった。
おかげでアリスは「早く浄化を終わらせてお兄様に退去願わなくては!」と王太子妃の時並みに必死に浄化作業を行ったという。




