20話 寝室では襲いかかって来るくせに
カップを両手に持ったまま、反射的に背を起こした。顔が熱くなりそうで、それをごまかそうとしたのに、今度はカレアムがぐいと顔を近づけてくる。
「わ、私は……、ちょ、なんですか。近っ」
「さんざん人に迫っていたのはどこの誰なんだか」
「あ、あれはですね! 切羽詰まったすえの行動でして‼ いやだからその!」
うぐうぐと口ごもりながら、アリスは顔を熱くしたままカレアムを見る。
「……もちろんシシリーにゆっくりしてほしいのはありましたが。もし公爵とふたりっきりになって会話が続かず、気まずくなったらどうしようとか。いろいろ考えて……」
もごもごと続ける。
「そもそも王太子ともそんなにしゃべらなかったし。容姿に自信がない上に、会話も弾ませる技術は」
「無言は気まずいか?」
「そりゃそうでしょう!」
「俺は君が側にいてくれたらそれだけでいいが」
さらりと言われて、アリスは内心でガフンっと叫んだ。
(何この人、今日ちょっとおかしいんですけど!)
会話は続いているが、それなのに妙な焦りと切迫した感じがある。
「あ! あの、公爵のそれ、美味しいですか⁉」
「これ?」
強引に話題を変えることにした。
公爵に連れてこられたこのカフェは、ケーキが有名らしい。
珍しいフルーツを宝石のように乗せたタルトや、漆黒のチョコで覆われたケーキ。ふわふわに焼きあがったパンケーキ生地に添えられた色鮮やかなジャム。
ショーケースにはそんなケーキが並んでいて、さんざん迷った末にアリスはパンケーキを選び、シシリーはフルーツタルトを。カレアムはチョコケーキを選択。セイオスはカスタードクリームがあふれんばかりに入ったシュークリームを選んでいた。
「この岩塩がいいアクセントになっている」
「岩塩? その表面のキラキラしたやつですか?」
「ああ。もっとほろ苦いのかと思ったが若干甘めだな。だからこの岩塩がよく効いている」
「あ! 甘い系のチョコですか!」
なんだ、だったらそっちもよかったなぁ、という顔をしていたのだろう。
ぷ、とカレアムが噴き出すから、再びアリスは恥ずかしさに顔を熱くする。
「いや、違うんですよ⁉」
「食べてみるか?」
「そんな!」
「俺もひとつはもてあます。食ってくれると助かる」
「そ、そうですか?」
ではいただこうかな、とアリスは頷いた。
てっきり皿を押しやられるのかと思ったら。
カレアムはきれいなしぐさでフォークを動かし、一口大にしてアリスのほうに差し出した。
「ほら」
「いやあの!」
「落ちるから。口をあけろ」
「うううううう! いやあの」
「落とすぞ」
「にゃあ! もう!」
頭から湯気を噴き出す勢いでアリスは口を開けた。そこにするりとカレアムはケーキを滑り込ませる。
舌の上にケーキが乗り、チョコがとろけ、岩塩とあいまったとき、アリスは恥ずかしさも忘れて目をまんまるにした。
「おいしい! なんだろう、チョコなのにキャラメルっぽいというか!」
「だろう?」
頬杖ついてカレアムは笑みを浮かべた。右手には銀のフォークを持ったまま。ふわふわとその先は軽やかに揺れる。
「もう一口食うか?」
「ほ、欲しいけど……! 自分で食べます!」
「それは却下」
笑って言われ、またフォークで刺してアリスの前に差し出す。
「ほら、あーん」
「…………っ!」
もう目をつむってパクリと頬ばる。
ただ口に入ってしまえばピコンと脳内で何かが明滅し、我に返る。
「どうした?」
「ほんと不思議。見た目と口の中の味がちょっと違うんですよね」
「それはそうだな」
「人生初の、『シェフを呼んで』コマンドを使いそうです」
真面目に言ったのに、カレアムは腹を抱えて笑い始めた。
「な、なんで笑うんですか! だって不思議じゃないですか⁉」
「いやそうだが……」
「あ! そうか! そりゃシェフに尋ねたところで教えてくれるわけないですよね」
「いやそうじゃなく」
くくくくく、とカレアムは相変わらず笑いながら、アリスを見た。
「いつ使っても何度使ってもいいんじゃないか? 『シェフを呼んで』は」
「だめです。あれはグルメ通だけが使えるんです」
「それは知らなかった」
「公爵は使ったことがあるんですか?」
「ないなぁ。いつもシェフのほうが挨拶にくる」
「わー……。そっち系かあ……」
「なあ」
「はい?」
「さっきからずっと会話が続いていると思うんだが」
さて今度は自分のパンケーキを食べようと視線を落としたが、カレアムに言われて顔を上げた。
「そういえばそうですね」
「君は無言になったら嫌だからシシリーやセイオスを誘ったわけだ」
「そう、ですね」
「だったら次はふたりだけでいいよな?」
確認するように尋ねられ、ふたたび心臓が跳ね上がる。
「そ……それは……その」
「なに」
「もう少し慣れてからでいいですか?」
「慣れる? なにに」
「公爵に、ですよ!」
顔が赤いという自覚をもちながらも、アリスは憤然と訴えた。
「なんか今日の公爵は……その、いつもと違ってちょっとあれだから!」
ふふ、とカレアムは愉快そうに笑った。
「寝室じゃ襲いかかって来るくせに」
「それは忘れてって!!!!!!」
言い争う二人の隣のテーブルではセイオスとシシリーが顔を寄せ合い、小声で言いあっていた。
「なんだ心配することないな。仲良しじゃないか」
「もっとカレアム様がしゃべんないかと思ったから、あたしも来たけど」
「今日の我が君はめっちゃしゃべるな」
「しゃべるって言うか、あれ口説いてるのよ」
「口説くって。アリス様はもう我が君の妻じゃないか」
「バカねぇ。妻だからって放っておいたら離婚されちゃうんだから」
「バカってなんだよ」
「バカだからバカって言ってんのよ!」
「バカって言うほうがバカだろ!」
「バカはあんたよ!」
数十分後、この四人はカフェのオーナーから「ほかのお客様の迷惑になりますので」と注意されることになる。
こうして、アリスとカレアムの初デートは実施されたのである。




