18話 我々は完全にすれ違っていた、と
口火を切ったのはアリスだ。
「大事にされている感がまったくありませんでしたから」
「もはやなにも反論するすべはないが、自分なりに大事にしているつもりだった」
どこが、とツッコみかけて、思い出す。
アリスの仕事量のことだ。
シシリーが、『お父様の書類はチェックしてアリス様が働きすぎないようにしている』というやつ。
「仕事量を減らしてもらっただけでは……。なんか逆に『お前、使えねぇからな』感が……」
「王太子と婚約して以来、君はずっと働き詰めなのは知っていた。だからちょっとはゆっくりしてほしくて。後付けだと思われるかもしれんが、そうやって作った休暇に俺がいればさらに気を遣うのではないか、と」
「会いに来ない方が不自然極まりなくて気を遣いますよ」
「君がそんな風に考えていると今初めて知って狼狽している」
「まったくの無表情ですが、雰囲気ではそんな感じですね」
「それに、俺の母のようになってほしくなかった」
「母? 王妃陛下ですか?」
「いや実母の方」
「あ」
慌ててアリスは口を閉じた。
カレアムは陛下が愛妾に産ませた子だ。
もともとは王家が持つ別荘「黄昏城」の管理を任されていた貴族の娘だという。
陛下の寵愛を受けてカレアムを身ごもったが、産後の肥立ちが悪くてカレアムだけが王城に引き取られ、王家の一員として育てられたという。
(確か、もう何年も前に亡くなられたんじゃなかったかしら)
カレアムの実母は王都から離れたその別荘を陛下から賜り、その名をとって『黄昏城の君』と呼ばれていた気がする。
「母は16歳で陛下から寵愛を受けたが……。まあ、よくある話だが、母からすれば一方的に貞操を略奪されたようなものだ」
「そうなんですか⁉」
「当時陛下は30歳だ。しかも既婚。対して母は16歳の小娘。おじいさまから聞くところによると、恋しい男もいたらしい。だが陛下のおてつきとなったため、ふたりは泣く泣く別れたと」
「陛下さいてー……」
「別にかばうわけではないが、陛下は陛下なりに愛してはくれたようだ。足しげく黄昏城に通っていたし」
「いや迷惑」
「常々贈り物を届けたり、業務の合間を見繕っては会いに来てくれた」
「いや、無理です。プレゼントもいりませんし、来てほしくない」
「そうやって通い詰めた結果、王妃陛下と母の仲は最悪になったが」
「ほらきた。本妻からこっちが嫌われてるし」
「足しげく通ったおかげで、母が17歳のときに俺が産まれた」
「子どもに罪はないけど最悪―――――! もうこれで詰んだ! 逃げられない! 子どもできちゃったら逃げられない!」
「ということを思われたらどうしようと考えたんだ」
「は?」
いままでカレアムの実母である黄昏城の君の気持になっていたが。
カレアムに無言でみつめられ、はたと振り返る。
(……黄昏城の君と私の境遇が似ているってこと?)
好きでもない男性に手を出された結果、その権力構造から成り立つ関係に「否」の声が言えず、いやだいやだと思いながらも抱かれた結果、子どもが産まれてしまう。
その絶望。
「………………なるほど。なんかわかった気がします」
知らずにアリスはつぶやいた。
つまり、カレアムはアリスの気持ちが定かではない間は手を出すのをやめようと考えていた。
だが、アリスは「結婚したのだから手を出すのは当然! というかこのままでは王太子のように離婚を言い出すのでは⁉」と焦っていた。
「我々は完全にすれ違っていた、と」
「そう考えてもらえると大変うれしい」
ほっとしたように肩の力を抜き、カレアムはようやくアリスから手を外した。
さっきまで握られていた部分が急にひやりとする。
それほど熱心に、だけどアリスを傷つけぬように握ってくれていた。
「帰都後、本当に忙しかった。もちろん君が言うようにそれでも会いに行ける時間があったのは確かだ。だが、その……。そんな短時間じゃなく、ちゃんともっとしっかりとした時間を確保して……その。夫婦らしいというか。夫婦になれるような時間をとりたかったんだ」
またしょんぼりとうなだれ大型犬になってカレアムは言う。
「ここまでこなせば時間がとれる、ここまでやればもっと時間がとれる、と。それに会いに行っても嫌な顔をされたらどうすればいいかと」
「そんなことあるわけないじゃないですか!」
「母のことがあるしな」
「公爵は無理に私に結婚を強いることはありませんし、性行為を迫ることもありませんでしたよ⁉」
むしろ迫っていたのはアリスだ。
そのことに二人同時に気づき、目を見合わせて同時に笑い出した。
「きっかけはどうあれ、私は公爵と夫婦になりたいんです」
笑いすぎて目に浮かんだ涙を指でぬぐい、アリスは言う。
「だから、公爵が言うところの、夫婦になるための時間をいまから作りませんか? 一緒に」
「もちろんだ」
カレアムが笑いの余韻を残しながらうなずく。
「これからは毎日一回は屋敷に顔を出すようにするし、次の休みには君を連れてどこかに外出しよう」
「いいですね! まだ私、屋敷から出て公爵都を見物してませんから! ぜひ案内してください!」
「もちろんだ」
うなずくカレアムに、アリスは手を出した。
「ん?」
「新たな関係改善に向けての話し合いが終わりましたので。合意を得たという証に握手を」
「なるほど」
カレアムがアリスの手を握る。
その手はアリスよりも断然大きく、そして暖かかった。




