16話 もう離さない! 公爵、覚悟!
だが。
いくら策を講じ、準備万端整えたとしても。
篭絡する相手がいなければどうしようもない。
シシリーが中心となり、屋敷の使用人からローゼリアン騎士団をも巻き込み、なんとかカレアム公爵を夕食時間に間に合うように帰宅させることに成功したのは、一か月も経った頃だった。
アリスはひたすら『申し訳ない』と思っていたが、屋敷の使用人は『アリス様が離縁されて屋敷から出て行くことが問題』だと理解しており、ローゼリアン騎士団はというと『そんなことになっているとはつゆとも知らず、まったくもって申し訳ない!』と平身低頭アリスに詫びた。
というのもこのところローゼリアン騎士団内では結婚が相次ぎ、その祝いをかねて執務棟で朝まで飲んでいたことが判明。
その上、王都に行ったことによる仕事の停滞。それからセディナがはじめた浄化ビジネスも絡んでなかなか帰宅できない要因のひとつになっていた。
そうして。
みんなが待ち望み、やれやれと公爵の帰宅を招き入れたその日。
アリスは緊張した様子でカレアムと共に夕食をとった。
「今日は珍しくセディナから連絡がなくてな。早く帰れた」
カレアムは不思議そうだったが、これはシシリーが圧をかけた結果だろう。「そうですか」と返事をしながら心の中で感謝をする。
その後、入浴。
メイドたちは腕によりをかけてアリスの身体をみがきあげ、香油や特別な夜着を用意。
その間に執事たちが寝室を徹底的に飾り立て、良い香りのキャンドルまで用意してくれた。
「それでは旦那様をお待ちくださいませ」
メイドたちはアリスを残して退室する。
アリスはベッドに腰かけ、ドキドキしながらカレアムの入室を待ったのだが。
待てど暮らせどカレアムが来ない。
30分まではまだドキドキしていた。
それが1時間になると、もう不安から吐き気を催すレベルになった。
とうとうアロマキャンドルのろうそくが消えたころ、メイド長がドアをノックと言うか乱打した。
「奥様!」
「いいんです……。私はもうきっと離婚なんです……」
「違います! 旦那様がバスタブでうっかり眠ってしまって! いま起こしたところです!」
なんでも執務棟にはシャワーがあるものの、バスタブはないらしい。久しぶりの入浴を堪能していたら眠っていたらしいのだ。
あまりにも遅いと執事たちがしびれを切らして中に入れば、もう顎までバスタブに浸かって眠りこけているカレアムを発見したそうだ。
「すぐに! すぐに旦那様を用意させますが、少しのぼせたようで……」
「いいんです……。旦那様が無事で何よりです。おやすみなさいとお伝えください」
「すぐきます! 気をしっかり! あ! なにか心安らぐハーブティーなどをお持ちしましょうか⁉」
「アロマだの香油だの……いろんな匂いが混じりそうで……。あ、でしたら少しお酒がほしい……」
「わかりました! すぐお持ちします!」
さすがメイド長。
すぐに蒸留酒とグラス、氷を持ってやってきてくれた。
「いま、執事一同でのぼせた旦那様を冷やしております。いましばらく!」
メイド長は自分もそれに参戦するのか、それとも暗い顔のアリスを見るのがしのびないのか。
酒とグラスを置いて早々に立ち去った。
アリスは手酌でグラスに酒をなみなみと注ぎ、がぶりと噛みつくように飲んだ。
喉が火であぶられたようにカッとなるが、それもすぐ消える。かわりに鼻から抜けるのは淡い煙の香り。樽の匂いだろうか。
(これいいな。……って言ってる場合じゃない! もし……もし公爵が来なかったら!)
最悪の事態がつい脳裏をよぎるが、それを打ち消すようにまたウイスキーを呷る。
何度かそれを繰り返していたら、前回の酩酊とは違って眠気がきた。
しっかりと休暇はもらっていたが、馴れない環境に身を置いていることは間違いない。それが想像以上に疲労となっていたのかもしれない。
アリスはグラスを近くのテーブルに置く。置く前に、もう一度飲んだ。
そしてもぞもぞとベッドにもぐりこむ。
寝てしまおう。
そう思った。
寝てしまえばこれ以上悪いことは考えられない。はず。
小さくあくびをし、枕に頭を乗せたら眠りはすぐそこまで来ていて。
気絶するように眠ったのだが。
かた、と。
物音がしたことに気づいた。
まだ頭はもうろうとしている。眠っていたのか、それとも眠ろうとしていたのかよくわからない状況だった。
そっと瞼を開いたのだが、途端に照明が落ちる。
その寸前、ガウン姿の公爵の姿が見えた。
薄暗がりの中、アリスはベッドに横になったままぼんやりとカレアム公爵を見る。
カレアムはガウンを脱いでソファに投げ出すと静かにベッドに近づいてきた。
酔っ払っているせいでドキドキもくそもない。
(あ、公爵。来た)
それだけを考えた。
一瞬カレアムは足を止めた。
なんだろうと回らない頭でカレアムの視線をたどる。そして彼が見ているのがテーブルの上に置かれた酒瓶とグラスだと気づいた。
そのあと、なんだか周囲を見回すようなしぐさをし、ゆっくりとベッドに近づく。
ぎしり、と。
わずかにベッドが傾いだ。
カレアムが座ったからだ。
キルトケットをわずかに上げ、身体を滑り込ませる。
そのままアリスに背を向けて横になった。
アリスが起きているなどと思っていないらしい。
広い背中は微動だにせず、彼が発する温かさがベッドの中にゆっくりとめぐる。
たぶんそろそろ寝入っただろうころ、アリスは彼の背中に抱き着いた。
「公爵!」
「うわ! び……びっくりした! 心臓止まるかと!」
「なんで寝ちゃうんですか!」
「は⁉ というか……! 酒の匂いはやっぱり君か⁉ それだけじゃなくてなんかこの部屋いろいろ匂いがまじって……!」
「メイドが香油を塗ってくれて、執事がアロマキャンドルを焚いてくれたんです!」
「そこに酒が混じって……。ちょ、離れろ、暑い」
もぞもぞとカレアムがよじるが、逃すものかとばかりにアリスは足もつかって拘束をした。
「もう離しませんよ、公爵! 覚悟してください!」
「なんか異生物にとりつかれたようで怖い!」
「今夜こそ夫婦の夜の営みをしましょう!」
「それ、大声で宣言することか?」
「宣言しないとしないじゃないですか!」
アリスはカレアムの背中に身体だけではなく、顔もべたりとくっつけた。
「せっかくみんながくれたチャンスなんですから、ものにしたいのです!」
「なんの⁉ ってかその状態でしゃべられると息が背中に直撃して熱い!」
「だってこのままなんにもなくなってまた離婚とかになったらどうするんですか!」
「離婚⁉ なんでそんな……あっつ!」
「だってどう考えてもそうでしょう! やってるでしょう、王太子とスー・ミラ嬢は!」
「……………………」
「私とはしませんでした!」
「……………………」
「だって結婚するまではダメだって言われてたから! っていうかそれ以前に私、いろいろ思い返してみてもデートらしいこととか恋人らしいこととかしてなくて! スー・ミラ嬢は観劇とかおいしいお店とかに一緒に行っているのに、私は魔石ばっかり磨いてて!」
「そうだな……」
「結果私は婚約破棄で、あっちは新しい婚約者におさまったんです! だから公爵、私としましょう! そうじゃないと……あ!」
「な、なんだ」
「わかった! もう離婚するつもりなんですね⁉」
「誰と誰が!」
「私と公爵です! だから屋敷に帰ってこないんですね!」
「それは仕事が……」
「決意は固い、そういうことなんですね⁉」
「だからセディナが仕事を……」
「私だって好きで胸もお尻も小さいわけじゃないんですよ!」
「………………うん」
「なんでスー・ミラ嬢ばっかり!」
言いながら、だんだん情けなくなってきた。
あの王都での数年間はなんだったのか。
ひたすら魔石を浄化し、王太子妃教育として外国語と国政を学ばされ、自由などほぼない状態で毎日過ごしていた。たまに外出できたと思えば、野戦訓練だ。
すべては王太子にふさわしい女性になるため。
それなのに当の本人は早々にアリスに見切りをつけていたのだろう。
もっと自分好みの浄化師はいないかと探していたのだ。
「バカー! 王太子のバカ―!」
アリスはカレアムの背中に抱き着いたまま、大声で怒鳴った。
その怒声は空気を震わせるよりなにより、自分の身体や心を揺さぶった。
「……好きだったのか?」
ぼそりとそんなことを問われた。
「好きだったわよ!!!」
気づけばボロボロと涙を流し、おいおいと泣いていた。
「それなのに、私のことなんだと思ってたのよ」とか「どうせ私は魅力ないわよ」とか「気づけば体重3キロ増えて戻らない呪いにかかれ!」とかを喚き続けた。
そうして。
ようやく力尽きたというか。
心の中にため込んでいたものがすべてすっからかんに出た結果。
アリスはカレアムに抱き着いたまま眠った。




