14話 公爵都での生活が始まる
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アリスが公爵都についたのは、それから2日後のことだった。
部屋は公爵屋敷の女主人の間を用意されており、専用のメイドもふたりばかり。
一緒に荷物の梱包を解いたり、屋敷を案内されたりと忙しく日々を過ごしていたが、それはカレアムも同じだった。
彼の場合、公爵であるのに王都に出向き、数日留守にしていたために滞った業務というものがある。
屋敷敷地内の別建屋には執務室があり、そこで早速書類に目を通したり、実際に現場に出向いたりしていたら、同じ屋敷に住んでいるのに顔を合わせることは皆無だ。
夫婦共有の寝室が屋敷内にあるにも関わらず、そこを使用しているのはもっぱらアリスだけという現状。
というのも、カレアムは執務棟で寝泊まりしているようなのだ。
それとなくメイドたちに尋ねてみると、「旦那様はいつもあんな感じ」「屋敷はほぼ仕事相手との会食会場」と返事がきた。
自分が避けられているわけではないと知り、とほっとしつつも、せっかくこんな立派な屋敷があるというのに、執務棟だけで暮らしているような状態なのはどうかと思う。普通にもったいない。
執事長を筆頭に使用人たちは、「ようやくこの屋敷に主人が現れた!」とばかりにアリスを歓待してくれるし、非常に敬ってくれるのでやりやすいことこの上ないが、めったに来ないカレアムよりアリスを上に見ている気がする。
使用人たちは、時折敷地内で見かけるカレアムのことはスルーするのに、アリスと出会うと足を止め、「奥様、なにかご不便はございませんか」と職種を問わず声をかけてくる。
本来、この屋敷の主はカレアムではないか、と思うのだが出現頻度が低すぎて最早レアキャラ扱いもされていないらしい。忘れられそうになっている。
そんなこんなで、アリスが王都を離れて二か月が経過したころ。
公爵屋敷での生活にも慣れ、だんだんとルーティンができてきた。
その日。
アリスはいつも通り手伝いに来てくれるシシリーとともに、セレディナ家から依頼された魔石と公爵都が公共で使用している魔石の浄化にあたっていた。
「アリス様、疲れたらおっしゃってくださいね! すぐ休憩にはいりますから!」
シシリーがテキパキと動きながら言う。
彼女はいま、蒸留水を張ったタライから魔石を取り出し、くもりを確認している。いつもはアリスが顕微鏡で確認するのだが、シシリーが目視でするほうが正確で速いため、役割分担をしているのだ。
「私は大丈夫よ。シシリーさんのおかげでだいぶん楽になったんだから」
笑いながら、蒸留器から溜まった蒸留水を取り出す。三角フラスコに移し替えながら、魔石浄化のための蒸留水を必要分用意していた。
「いまは3日に一度お休みももらえるし……。こんなに楽していいのかなって不安になるときがある」
苦笑いしながら、アリスはシシリーがいるテーブルに移動した。
くもりありと判断された魔石を手に取り、椅子に座って絹布で磨き始めているとシシリーがあきれたように言った。
「ってかね、アリス様。人が良すぎ! いままでこの分量以上の魔石の浄化をひとりでやってたんでしょう⁉ ボイコットすればよかったのに!」
「いやあ……でもあれが普通の生活だと思っていたから」
「そこがおかしいんですよ! 奴隷じゃないんですから! だいたいあれですよ、王妃陛下も浄化師なんでしょう⁉ なんで手伝ってくださらないんです⁉」
「なんか、年と共にやっぱり浄化の能力って落ちるみたいで」
「え、そうなのですか!」
「人によるみたいだけど、お辛そうだったから『かまいません。私がします』って申し出たの」
「それ絶対だまされてる! アリス様、だまされてるって!」
「え⁉ そうかなあ」
「人が良すぎる! あー、だから公爵が王都から連れ出してくれてよかったですよ!」
シシリーは、ひとりぷんすか怒っているが、人がいいというのならばこの娘も相当人がいい。
当初、セイオスに会う口実として『浄化の手伝い』に来るのかと思いきや、初日から腕まくりをして『じゃ、あたし、こっちするんで!』と富豪の娘とは思えない体力とバイタリティで仕事を始めた。コミュニケーション能力も高く、屋敷の使用人たちとの関係も良好だ。
一度そういったことをほめると、シシリーは『所詮あたしは商売屋の娘ですからねー。上流階級の人たちに覚えめでたくあろうとおもったらこんな感じになるんじゃないですか?』とあっけらんかんと笑った。
「あ。アリス様。優先度が高い魔石はこちらです。こちらからお願いします」
「そうなのね? じゃあこれを磨き終わったら次はそれにするわ」
シシリーがさす魔石を確認し、アリスは動きを止めた。
(これ……王城と神殿で使っている魔石だわ)
つい手に取って眺める。
やはりそうだ。
ふたつとも王城と神殿で照明の動力になる魔石だ。
アリスが王太子妃として仕える前までは、王城も神殿も照明はろうそくだったのだが、アリスの「いつでも浄化可能」の能力のおかげで、魔石をつかって照明をともすことになったのだ。
(……やっぱり、スー・ミラ嬢の浄化が間に合ってない?)
この魔石はセディナを通じて運ばれたものだ。
自分たちで王城から追い出しておきながら、頭を下げて頼みに来たとは考えにくい。そもそも依頼するにしても手際が良すぎる。
だとすると……。
(王城内の誰かは公爵と通じていて……。あらかじめこういう事態を想定して、セディナ氏に打診していたのかしら)
ということは、王城の中にはアリスの力を正当に評価していた人がいるということだ。
(陛下と、宰相と。外務大臣、近衛隊長ってところかしら)
いずれもリシェルに対して苦言を呈することができる数少ない人たちであり、カレアムとは良好な関係を築いている人たち。そしてリシェルが疎ましく思っている人物たちでもある。
「アリス様?」
シシリーに声をかけられ、アリスは我に返る。
「どうしました?」
「あ、大丈夫」
「そうですか。お疲れになったら言ってくださいね」
「ありがとう」
そう答えてシシリーを見た。
彼女は蒸留水から慎重に魔石を取り出し、服の袖が濡れるのも構わず鑑定をしている。
「最近、セイオス殿に会えないから寂しいんじゃない?」
「はあ⁉ きゃっ!」
「わ! シシリーさん⁉ タオル、タオル!」
尋ねた瞬間、どぼんと蒸留水にふたたび魔石と取り落とし、それが盛大に水を跳ねてシシリーの顔を濡らしてしまった。
アリスは慌ててテーブルの上のタオルをつかみ、シシリーに手渡す。
「な、なななななな! なんでセイオスが出てくるんですか!」
「え? 最近は執務棟にもいないでしょう? 公爵と一緒に領地に行ってるから」
「そうですけど! 別に私は!」
「会えないとさみしいかな、と」
「そんなことありませんよ! というかだったらそれはアリス様も一緒でしょう⁉ あ、でも夜は戻って来られるからお会いできるのかな」
濡れた顔を拭くシシリーに、アリスは乾いた笑い声を漏らした。
「え? 公爵は執務棟で暮らしているんですよ? この屋敷になんて来ません」
「は⁉ じゃあ一緒に暮らしていないも同じじゃないですか!」
シシリーが素っ頓狂な声を上げる。その声がぐさりと胸にささった。
「そ……そうなのよ……」
落ち込みながら魔石を磨く。無心に磨く。考えちゃいけない。考えちゃいけない。ぶつぶつとそう呟きながら磨く。
その様子を見てさすがにシシリーは助け舟を出した。
「いやでもほら! 公爵はお忙しい方ですから! 落ち着いたら一緒に暮らせますって!」
「……そうかな。なんか私、永遠にこんな暮らしの気がする……。私のことなんてあんまり興味もなさそうだし」




