11話 女避けのかりそめの妻を演じます!
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次の日。
アリスは馬車の中で魔石を磨いていた。
ローゼリアン騎士団の所属騎士の中で、銃に仕込んでいた魔石に不具合が出た者がいたらしい。
『手持ちの蒸留水がありますから浄化できますよ』
アリスはそう申し出て、恐縮する騎士から魔石を預かった。銃把に埋め込んでいるだけあって小さなものだ。コップに注いだ蒸留水に一定期間つけ、それから絹布で磨き上げる。
本当は顕微鏡でくもりを確認するのだが、梱包資材のなかに入っていて出すことができない。数日ぐらいなら目視の曇り除去だけでもいけるだろう。
「ずいぶんと準備がいいんだな」
斜め向かいに座っているカレアムが言う。
王都までは騎乗だったが、アリスに合わせて馬車に乗り込んでくれたらしい。彼の愛馬はセイオスが引いている。
(私に気を遣ってくれているのかしら)
アリスは磨きながら笑った。
「野営の同行訓練ではこういったことは当たり前ですから」
「近衛兵が言っていたな」
「ええ。近衛隊と一緒に陣地とりをやりました」
「……だが野営訓練に王太子が参加するというようなことは稀だろう」
「稀ですねぇ。来てもすぐ帰っちゃったり。私はほら、魔石を浄化しないといけないので残ってみなさんと一緒に過ごしていましたが」
「どうりで近衛隊のくせに王太子ではなく君の味方をするはずだ」
「あ、屋敷の包囲の件ですか? 本当に助かりましたよね」
「昨日、セイオスも言っていたが、伯爵もフィリップ卿も無事だ」
アリスは魔石を磨く手を止めてカレアムを見た。
彼は窓の外を眺めながらなんでもないことのように言う。
「王都に放っている斥候から連絡があった。あのあと、国王陛下の命を受けた騎士たちがやってきて首根っこつかまれて王城に連れていかれたらしい。陛下からきつく叱られたというが……まあまだ、安心はできないな」
「追ってくる……でしょうか」
自分でも予想外なほどに声が揺れた。
不安、なのだろうか。
いや、嫌悪なのだと思った。
リシェルは自分からアリスとの関係性を動かしておきながら、それでいて自分が変化することを拒んでいる。
(そんな虫のいい話はない)
アリスは絹布を握り締めた。
リシェルとスー・ミラは将来を誓い合った。
アリスはその未来から除外されたのだ。
それなのに都合の良いところだけ残しておきたいという。そこにアリスの意思は介在しない。
「追ってくるだろうが撃退してやる。君が心配することはない」
やわらかな言葉に視線を向ける。
カレアムの視線は窓の外にむけられたまま。
だが、それでもアリスに対してのいたわりの気持ちは伝わった。
「ありがとうございます」
礼を伝えてから魔石を磨く手に力を込めた。
「領に入ってから伝えようと思ったが」
「はい?」
「君がいつでも魔石を浄化できることはわかったが、日を決めよう」
「日を?」
目をぱちぱちさせたあと、アリスは小首をかしげた。
「私は別にいつでも。それこそ毎日でもかまいませんよ? 実際、王宮ではそうでしたし」
「それでは君が休めないだろう。今回のような例外もあまり認めたくない」
ちらりと黒瑪瑙のような視線を向けられた。
いま、自分が磨いているのはサファイアに似た青い石。曇りもほとんどなく、魔石本来の力を取り戻し始めている。それでも彼の黒い瞳のほうがよほど魅力あふれる魔石に見えた。
「王都から追っ手がくるかもしれない状況だから浄化を認めたが……。こういうことは今後ないように俺の方でも気を付ける」
「いや、ほんと構いませんよ。私の存在価値なんてこれぐらいですから」
輝きを取り戻した魔石をつまみあげ、もう曇りがないかどうか窓から入る光に透かして見る。
同時にカレアムと目が合ってどきりとした。
まっすぐに自分をみていたからだ。
「それだけなわけあるか。もっと価値があるからこそ、俺が妻にと望んだんだ」
俺が妻にと望んだ。
その言葉がまっすぐに胸を打ってドキリとした。
なんだか頬が熱くなり、隠すようにうつむく。
(え? 浄化の力が欲しいから王都から連れ出したのよね、私を。王太子をざまぁしたいんだって)
あの婚約式の晩。確かにカレアムはアリスにそう言った気がしたが。
(……それだけじゃなく……その。恋とか愛とか……そんな感情も……ある、とか?)
急にドギマギしてきて目のやり場がなくなる。
カレアムの方もそれ以上なにもいわず黙りこくるので、なんとなく馬車の中の雰囲気が重くなってきた。
沈黙。
沈黙が続く。
ずっと続く。
そのなか、ひたすら馬車の車輪がガタガタ鳴っている。
(な、なにか話しかけた方がいいのかな……)
次第に胃まで痛くなってきた。
おかしい。
さっきまで甘い雰囲気になりかけていたというのに、打って変わってこの沈黙。
これはあれだろうか。「あ、しまった。こいつなんか勘違いしてる」って公爵はとまどっているからなのだろうか。
『やべ。俺が好意を抱いているとか思っちゃってる? あちゃあ、どうしよう』とか?
だったら話題を変えねば。
そんなことを考えていたら、馬車が速度を落とし始めたことに気づいた。
「あれ……、馬車」
「なにかあったのか」
カレアムが佩刀に手をやるからアリスも背筋を伸ばした。
ひょっとして本当に王太子一行が追ってきたのだろうか。
「我が君、失礼します」
馬車が停車したと同時にセイオスが扉を開けた。
日差し除けのフードをはらい、彼は盛大に顔をしかめた。そのままカレアムに封筒を差し出す。
「セレディナ殿からの使いがきていますけど……どうします?」
「早いな。なにか言ってくるとはおもっていたが……。あちらもやはり王都に斥候を放っているとみえる」
カレアムも眉根を寄せ、封筒を受け取った。
誰だろうときょとんとしているアリスに、セイオスが腕を組んだ。
「セレディナ殿は、公爵都で海運業とバラの精油工場を持っている豪商です。貴族ではないんですが、財力は貴族以上で、教会への献金も半端ないし、長男を神官として送り込んでいるので……そっち方面には絶大な力があります。たぶん次の教区長はあそこの長男になるでしょうね」
「その方が、なにか?」
アリスが首をかしげると、カレアムは封筒に視線を落としたまま言った。
「この先にセレディナ殿の別荘があるらしい。休憩がてら、新しく迎えた奥方とともにお越しくださいと書いてあるな」
「自分が一番に祝いたいとか? 自慢したいのかな。『もう公爵の嫁さんの顔みたしぃ』とか」
むすっとした顔でセイオスが言ったが、そのあと一転笑顔になる。
「だけど、これでいつものあの娘ごり押し攻撃はなくなるでしょう! アリス様を奥様として迎えましたからね! 多少浄化の力はあるようですが、なぁに、アリス様には到底! 全然! 足元にも及びませんよ!」
「娘ごり押し……」
アリスがつぶやくと、セイオスが勢いよくしゃべりだした。
「セレディナ殿の三女なんですけど、あわよくば我が君の妻の座を狙おうと、しつこくて! 腐っても追いやられても捨てられたとしても我が君は王子ですよ⁉」
「言い方を考えろ、セイオス」
「それをなーんで成金の娘に!!!!! しかもいけ好かないんだ、この娘が! 僕はずっと反対してましたし、邪魔してました! だからアリス様と結婚なさってほっとしています!」
「あ! わかりました!」
アリスは魔石を握り締めたまま身を乗り出した。
逆にカレアムは圧に押されて座席に背中を押し付ける。
「その娘さんから公爵を守るのが私の役目なのですね⁉」
「は?」
「え?」
カレアムとセイオスはそろってぽかんと口を開いた。
「いや、おかしいなと思っていたんですよ。王太子に婚約破棄された私みたいなのをなんで好き好んで嫁にって」
「いや、だからそれは浄化の力が……ねぇ?」
セイオスが小首をかしげるが、アリスは笑った。
「公爵もそんなことをおっしゃってますが、やっぱり買いかぶりですよ! 確かにほかの浄化師のみなさんは、月齢や天候に左右されますがその限られた一日に大量にやろうとおもえばやれるわけじゃないですか。……まあ、疲れるそうですけど。だったらなんである意味傷物みたいな私をって思ってたんですが、なるほどです! 女避けですね⁉」
「おんなよけ」
今度はカレアムとセイオスの声がそろった。アリスは満面の笑みでうなずき、なんならポンッと胸を叩いた。
「ご安心ください! このアリスが公爵の妻を見事に演じ切って、近寄る有象無象を蹴散らしてご覧にいれますから!」
「……ちょ、我が君……。え? アリス様は妻、なんですよね?」
「もちろんだ」
困惑するセイオスに、カレアムはうなだれたままぼそりと返事をする。アリスはにっこり笑ってこぶしを突き上げた。
「参りましょう、その別荘とやらに! そして私がはっきりとその娘さんに『うちの夫に近寄らないで頂戴!』と言い渡しますから安心してください! そのためのかりそめの妻なんですからね!」
こうして。
なにがなんだかわからないセイオスを先頭に、意気揚々とするアリスと、打ちひしがれるカレアムを乗せた馬車は、セレディナの待つ別荘地に向かった。




