1 事例検討だよ
◆◆◆
ウサマネ:「ダーティさん。ちょっと相談があるんですけど……」
ダーティ:「おやおやウサマネさん。どうしたんですか? 見るからに顔が悪いですよ?」
ウサマネ:「はぁ……それを言うなら〝顔〟じゃなくて顔色ですよね? ナチュラルに罵倒されてるんですけど? 訴えますよ?」
ダーティ:「はは。これは失敬。それで? なにかあったんですか?」
ウサマネ:「いえ……前になし崩しで担当することになったジョンさんっていたじゃないですか? ボンボン育ちのくせに、母親をぶん殴って金を持ち出してた挙句、生活保護受けて一人暮らしになったクソヤロー」
ダーティ:「ああ。いましたね。なんだかんだと言いながらも、退院して元の賃貸アパートへ戻り、ヘルパーを利用しながら一人暮らしを継続しているというところまでは聞いてますけど……なにか問題でもあったんですか?」
ウサマネ:「まぁ……性格的にクソヤローなのは覚悟してたし、ヘルパーさんもそれを承知の上で対応してくれる事業所だったんでどうにかこうにか支援は継続できてるんですけど……最近、ジョンさん自身の調子が悪くなってきてまして……」
ダーティ:「ほうほう。性格とかの問題ではなく、肉体的に状態の悪化が見られると?」
ウサマネ:「ええ。なので、病院受診の調整なんかを、姉であるボニーさんと相談していたんですけど……本人が『病院なんかに行くか!』と激しく拒否しちゃって……どうしたものかと……」
ダーティ:「なるほど。本人が受診を拒否しているということですか。そうですね……ジョンさんが退院してからの様子を含め、一度事例を整理してみましょうか。ちょっとした事例検討ということで」
ウサマネ:「分かりました。よろしくお願いします」
■ ジョンさんの事例 ■
・ジョンさん ・六十代 ・男性
・要介護2 ・独居(一人暮らし)
・婚姻歴なし、子供なし。
・近隣在住の母違いの姉ボニーさんがキーパーソン。
・県外在住の弟と母がいるも没交渉。父は故人。
⇒過去に母親への高齢者虐待 (身体的虐待、金銭搾取)があり、分離となった経緯がある。
・生活保護受給中
⇒金銭管理については、姉ボニーさんが定期的に小遣いを本人に手渡すという形で対応。
・利用サービス
⇒訪問介護(★※1):週4回 基本的には生活援助(★※2)。必要に応じて身体介護(★※3)も含む。
⇒福祉用具貸与(★※4):手すり(床からの立ち上がり用)
・医療機関の関わり
⇒現状途絶えている
【 経過など 】
センター病院を退院後、自宅にてサービス担当者会議(★※5)を行い、訪問介護 (ヘルパー)での「掃除・洗濯・買い物など」、福祉用具貸与での手すりのレンタルを調整。
⇒この際、布団での生活からベッドへの切り替えも検討するも、本人はテレビのある居間のソファやこたつで寝る生活であり、他の部屋にベッドを置いても、就寝の際にわざわざ別の部屋には行かないということで断念。
サービス開始当初は、ヘルパーに対しても高圧的な言動、性的な迷惑行為 (お尻を触るなど)、できないサービスの要望(★※6)などがあったものの、ヘルパー自身やヘルパー事業所からの注意勧告や毅然とした対応によって徐々に迷惑行為や無理なサービスの要求はなくなる。
その後、自宅も徐々に綺麗になり、ゴミ屋敷から汚い部屋程度の住環境に。
足元はふらつくものの、杖を使いながら屋外の歩行も可能であり、タバコなどの嗜好品は自身で近所のコンビニまで買いに行くこともできていました。
飲酒は継続していますが、金銭管理をボニーさんが担うようになってからは、手持ち金の中でなんとかやりくりしていた模様。
入院中のように「金を持って来させろ!」などのような攻撃的な訴えなどもなくなりました。
ウサマネ:「……とまぁ、退院後の経過はこんな感じです」
ダーティ:「なるほど。サービス利用については渋々ながらも受け入れていたということですね?」
ウサマネ:「いえ……本人が進んで受け入れたというか……ヘルパー事業所が受け入れさせたというか……」
ダーティ:「?」
ウサマネ:「ヘルパーさんへのセクハラ行為があった際、事業所の管理者が問答無用でサービスを中止したんです。それで……ジョンさんの方があっさり白旗を上げたという次第です。ヘルパーさんに来てもらわないと生活に困るというのを痛感したみたいで……」
ダーティ:「おお。素晴らしい。利用者相手に日和ってしまう事業所(★※7)も多いのに、きっちりしていますね」
ウサマネ:「ええまぁ。そんなこともあってか、ジョンさんがヘルパーに対してできないことを頼んできても、ヘルパーやオイラが説明して、はっきり無理だと言えば引き下がるようになりました。機嫌は悪くなってましたけど……」
ダーティ:「いやいや、十分過ぎるでしょう。なにをどう説明しようが、一向に引き下がらない、納得しようとしない利用者や家族も多いですからね(笑) ここまでを聞く限りでは特に問題はなさそうですが……ジョンさんの状態悪化によって状況も変わってきたということですか?」
ウサマネ:「はい。少し前にジョンさんが転倒しまして……」
◆◆◆
★※ 用語について
★※1 訪問介護
介護保険サービスの一つ。いわゆるヘルパーさん。
ヘルパーが利用者宅を訪問して諸々の介護を提供するサービス。
★※2 生活援助
訪問介護が提供するサービスの一つ。
掃除・洗濯・買い物・調理・薬の受け取り・ゴミ出し・衣類の整理・ベッドメイクなどなど。
利用者の身体に直接触れない支援。家事の支援。
★※3 身体介護
訪問介護が提供するサービスの一つ。
入浴・排泄・更衣・整容・移動時の付き添い・移乗動作の介助などなど。
生活援助とは違い、直接的に利用者の身体にかかわる介護。
★※4 福祉用具貸与
介護保険サービスの一つ。いわゆる福祉用具のレンタル。
細々したルールはあるものの、要するにベッドや車いす、歩行器、四点杖、手すりなどをレンタルできるサービス。
★※5 サービス担当者会議
利用者の自宅に各サービス担当者を集めて開催する、サービス利用前の最終調整や確認のようなやつ。
「担会」「担当者会議」「サ担会」なんて風に呼ばれることがあります。
サタン会……邪教の儀式か。
★※6 できないサービスの要望
ここでいうできないサービスというのは訪問介護でのこと。
ヘルパーは「日用品の買い物」はできるけど、「嗜好品の買い物」や「日常生活の範囲外となる贈答品の買い物」などはできないというルールがあります。
つまり、ジョンさんから「タバコと酒(嗜好品)を買ってきてくれ」と言われても、介護保険サービスのルール上、ヘルパーは応じることはできません。
ただ、「日用品の買い物」のついでに、こっそり買ってしまってる事業所もあったりなかったり……真偽不明。
★※7 利用者相手に日和ってしまう事業所
事業所に限らずケアマネも同じく。なんなら地域包括の職員や市の担当者すら、面倒くさい利用者の要望に屈してしまうこともあります。本当はダメなんですけどね。
ジョンさんの事例にある、きっぱりとサービス中止を決断した事業所のようなところの方が、実際には少ないかもです。
◆◆◆
【 ジョンさん事例の経過 】
ある日、ヘルパーのマリアさんがジョンさん宅を訪問すると、排泄物にまみれた状態のジョンさんが動けなくなっていました。
なんでもジョンさん曰く『昨日、部屋でこけた。痛くて動けなくなった』とのこと。
マリアさんは、とりあえず汚れた衣類を交換したり、排泄物の処理をしたのですが、その間もジョンさんは少し体を動かすたびに痛みを訴えていました。素人目にも骨折などの可能性が頭を過ぎります。
マリアさんはヘルパー事業所のサービス提供責任者(★※8)へ連絡し、指示を仰ぐことに。
そして、ヘルパー事業所のサービス提供責任者であるメグさんから、ウサマネさんへ連絡が来ました。
連絡を受けたウサマネさんは、その日は余裕があったため、そのままジョンさん宅へと向かいます。その道中でキーパーソンである姉ボニーさんへも連絡。
ウサマネさんがジョンさん宅へ到着した時、ボニーさんが先に来られており、すでに救急車の要請もしたとのこと。
ただ、その際、ジョンさんは『俺は病院には行かない!』と強い拒否の姿勢。
ウサマネさんもマリアさんもボニーさんも『まぁそう言いながらも、これだけ痛みがあって動けないのだから病院には行くだろう』と考えてました。
しかし、到着した救急隊に対してもジョンさんは激しく拒否。
ジョン:「俺はお前らなんか呼んでない! 触るな! こんなのは寝てたら治るッ! 帰れ!」
救急隊:「う~ん……これだけ拒否されてしまったら、こちらも無理矢理に搬送するわけにいきませんので……」
ボニー:「え!? こんなに痛がってるのに病院に運んでくれないんですか!?」
救急隊:「いえ、そうはいってもですね……本人が搬送を拒否した際、我々は何もできません」
ウサマネ&マリア:「「ええ!? そ、そんなぁ!」」
救急隊:「あ、すみませんが、ご家族の方はこれに署名を頂けますか?」
ボニー:「ふ、不搬送同意書(★※9)?」
救急隊:「はい。本人の拒否により不搬送となりましたという証明の書類になります」
ボニー:「えぇ……ちょ、ちょっとジョン! 救急隊の人は本当に帰っちゃうけどいいの!? 痛いんでしょ!?」
ジョン:「うるさい! 俺は大丈夫だ! 病院なんか行かない! お前らもさっさと帰れ!」
そのまま救急隊は撤収。
ジョンさんがあまりの剣幕で拒否をするため、ウサマネさんたちも渋々撤収することになりましたとさ。
ウサマネ:「……ということがあったんですよ。その後も、姉ボニーさんと病院受診の調整なんかもしていたんですが、ジョンさんの拒否が強くて頓挫してるんですよ。一応、ヘルパーさんについては受け入れてくれたんですけど……病院受診の話になると『行かない』の一点張りで……どうしたものかと……」
ダーティ:「なるほど。ジョンさん自身が明確に受診拒否の意思表示をしているということですね。そんな状態で救急搬送を要請しても、確かに救急隊の方々ではどうにもできないでしょう」
ウサマネ:「ダーティさん。オイラは知らなかったんですけど、救急車って搬送してくれないこともあるんですね……」
ダーティ:「いやいやウサマネさん。救急隊の人に『本人が何を言おうが無視して、力尽くで無理矢理にでも搬送してくれ!』と頼む方がおかしいですから。そんなのが許されるなら、ド直球の人権侵害が横行しますよ(笑)」
ウサマネ:「う゛……れ、冷静に考えるとそりゃそうですけど……痛がるジョンさんを放置して帰っちゃったからつい……」
ダーティ:「まぁ苦しんでいる・痛がっている人を目の当たりにすると、どうにかしてあげたいと思うのは当たり前だと思いますよ。ですがウサマネさん。この場合、搬送を拒んでるのは、他でもない当人ですから。綺麗事で言うなら、〝本人の自己決定を尊重した〟というところでしょう」
ウサマネ:「ええー? 今はそんな綺麗事言ってる場合じゃないんですけど……ダーティさん、こういう場合ってどーしたらいいんですか?」
ダーティ:「では、整理していきましょうか」
◆◆◆
★※ 用語について
★※8 サービス提供責任者
訪問介護事業所の役職の一つ。「サ責」「サー責」「提供責任者」などと呼ばれることがあります。
このサービス提供責任者は、事業所開設の際に必ず必要となる人員です。
現場においては、ケアマネとの調整役であったり、ヘルパーさんたちのまとめ役や直属の上司、主任的なポジションが多い。
「サービス提供責任者」になるための研修などはなく、登録できる人には以下の要件があります。
・介護福祉士
・実務者研修修了者
・(旧課程)ホームヘルパー1級課程修了者
★※9 不搬送同意書
救急搬送を拒否した際、救急隊からの説明を受けた上で、不搬送となる旨を承諾します的な内容に署名する書類です。
救急隊は何もせずに引き上げたわけじゃないよという証拠ですね。
◆◆◆