契約者
そうして零は止まった。近くには城のようなものが見える。
「あれがオレのいたところだ」
城を指差して零が言う。他と比べれば小さいが城から抜け出し、僕たちのところにやって来た。
ずっと同じ場所にいた僕よりずっと強い。けれど、強くても一人ではどうにもできないことがあるのだ。心が強くたって、力の強さとしては足りない。少年だからというわけではない。
零はろくに食事をとらせてもらえていないということが目に見えて分かる。それに、痩せ細っていて筋肉というものもあまりないようなのだ。
願いだって、飯をたらふく食べることだと言っていたしな。
小さな子にろくに食事を与えず、ただ労働させて、挙げ句の果てには人を巻き込む。冗談だと思いたいが、冗談ではないだろう。
僕は知らなかったが、最近では無関係の人を巻き込んで迷惑なことをする連中が出てきているようだから。
零がいたところもそれに便乗したということだな。便乗なんてするものではない。しかし、下々は上の者に強く出れない。だから調子に乗るのだ。
虫唾が走る。
我慢しなければならない者がいる。苦しんでいる者がいる。それなのに、それに気づかないだなんて。零だって苦しんできた。ならば、すべきことは既に決まっている。
「さて、どうやって入ろうか」
僕はそう発した。
正面突破はできないのだ。見張りもいるようだし、見つかってはいけない。見つからずに入る方法はないものかと頭を悩ませるが、思いつかない。
「どうすっかなー」
零が頭をガシガシと掻き考える素振りを見せる。
てっきり何か策があるのかと思っていたが何も考えていなかったようだ。
どうしようかと思っていると風花が
「私の力を使うわ。あとは頼むわね」
と言った。
力を使うと言ったのにあとを頼むとはどういうことなのだろう。
「契約:花鳥風月。我の呼び声に応えよ」
風花が目を瞑りながら告げると、彼女の雰囲気が変わった。彼女の手には先程までなかったはずの花と月の印が浮かび上がっている。
——いったい、何が起こったんだ?
「久しぶりに呼び出したと思えば、知らない男と一緒にいるんだねぇ」
風花の姿をした何かが僕の顎を掴む。
零にも目をやると
「おや、童もいるのかい。あの子も変わったね」
片手で零の頭を撫でた。
行動が明らかに違う。違和感しかない。
風花ではない。だが、姿は彼女で……僕の頭では理解できない。
「お前は誰なんだ?」
「ん?お前とは失礼だね、鳥月風花さ。しかし、君が聞きたいのはそうじゃない。大丈夫、睨まなくても分かっているとも。簡単に言えば私は悪魔。あの子と契約をして縛りを得た悪魔さね。あの時のあの子の表情はとても愉快だったよ。村を滅ぼされ、全てを無くし何も縋るものがないといった感じでね。私はそこにつけ込んだのさ。弱っている人間は脆いから言えば聞くと思ったんだ。案の定、あの子は私の契約に乗ってきた。しかし、あの子……風花は私のことを利用するために契約したんだ。私の力を得るためにね。驚いたよ、当時のあの子はまだ小さな童で全てを無くしたばかりだったのに。時代が変わるごとに女というのは強かになっていくのかね。まあ、そんな感じで私と風花は契約を結んだのさ。悪魔は契約する者がいなければ勝手に消えてしまうから、私にとってあの子との出会いはいいものだった。気に入って契約期間もあの子が死ぬまでにしたのだから。そうだ、私の名は花鳥風月。覚えておきなさいな」
僕らの周りをゆっくりと歩いたり、手を動かしたりして語る花鳥風月。やはり風花ではなかったらしい。
姿に変化が見られないと分かりづらいものだな。せいぜい印が浮かぶぐらいか。
しかし、悪魔か。聞いたことはない。けれど、目の前で話しているのがそういった存在なのだ。
契約する者がいなければ消えてしまう。そんな存在、人間ではない。当たり前だ、悪魔だと自分で言っている。一つだけ気になったことがあったので聞くとしよう。
「縛りを得た、とは?」
「あぁ、私は風花の呼び出しがないと表に出てこれないんだよ。厄介だけど、これもあの子が決めたことだからねぇ。ちなみに記憶もあの子が共有してきたものしか知らないから、何が起きていたか私にはちっとも分からないよ。安心しな、君と風花が変なことをしていたって私にはきっと見ることができないからね」
ニヤニヤと不気味な笑いを僕に向けてくる。
変なこととは何か、なんてどうでもいいか。
風花の呼び出しがなければ出てこれない。思っていたより、風花の意思に忠実なようだ。おそらく害はない。
「そうか、なら手伝ってもらえないか?僕たちはあの城を壊したいんだ」
「おう!オレはあんなとこに巻き込まれて死ぬなんてごめんだからな!!」
僕たちの言葉に花鳥風月は頷き、笑って言う。
「今回の依頼はそれだったんだね。あの子が引き受けたなら報酬もきちんとあるはず。もらわなければ殺すと伝えてあるから……よし、手伝おうじゃないか。あの子が私を使わなければならないと判断したのだからね」
一瞬不穏な空気が流れた。風花を気に入り、契約期間を彼女が亡くなるまでにしたと言ったのに報酬をもらっていなければ、殺す……そう言ったのだ。
害がないという僕の判断は間違っていたのだろうか。確かに、風花は報酬をもらうまでが契約で決まっていることだと話していた。
しかし、そうしないと殺されるだなんて僕は聞いたことがなかった。きっと、話す気がなかった。
それが彼女の判断なら僕に咎める資格はない。
それに、その契約で彼女はこれまで生きてきたのなら何も言う権利はない。
——今は零の依頼をどうにかすることが最前であると分かっているんだ。花鳥風月を利用させてもらうよ風花。
今は中身が違う彼女。風花の意識が今どうなっているかは分からないけれど、彼女の力なので一応心の中でそう思っておく。
「報酬はオレ自身だ。分かったら早く手伝え花鳥風月!」
「ずいぶん粋がるね、ただの童のくせにさ。まあ気にしないであげよう。私は心優しい悪魔だからね。さてと、じゃあ久しぶりに動くとしようか」
そう言うと、花鳥風月は唱える。
『月の光に照らされる花のように、風に後押しされる鳥のように舞う我の名は花鳥風月なり。
呪印発動:月花の咆哮』
すると、彼女の身体は鳥の姿になり城の塀を飛び越えて入っていった。
その数秒後、見張りの者が唸り出す。
何があったのか困惑していると、彼女が……正確に言えば鳥の姿をした彼女が戻ってきた。
花鳥風月は風花の姿に戻る。
「これでどうかな?城には入れるようになっただろう?」
「あ、ああ……色々と聞きたいことはあるが、今ではないな」
「そうだね。君たちがあの場所を壊したいと思うなら、早くした方がいいよ。見てきた時に随分物騒なものが置いてあったからさ」
僕は戸惑いながらも頷く。
早くしないとなのは分かっている。
時間はない。
もう見張りはいない。
今度は、僕の番だ。