その価値
口調とかは時代に全く関係ありません
「まず、二人が持っているものについてね。それは、印鑑と呼ばれるものよ。それに書いてある言葉に合わせた力が使える。けれど、私も全てのことが分かるわけではないから、知っているのはそれぐらいね」
「ほーん?こいつになんか力があんのか。つーか、その力が分かんねえって使えねえじゃねえか!」
少年が印鑑と呼ばれるそれをいじりながら言う。
昔から僕の側にあった、父に託されたこのお守りになにか力があるだなんて知らなかった。
父は知っていたのだろうか。今となっては調べようもないのだが。
「風花が探しているというのはどのようなものなんだ?印鑑というのとは違うのか?形状が同じだけのものなのだろうか?」
「そうね、同じものだと思うわ。確か……『全知全能』と書かれているのよ。そして、それを手にしたものはなんでも一つ願いを叶えることができる。私が欲しいのはそれよ」
「なんでも一つの願いを……」
それが本当なのだとしたらすごいことだ。すごいとかいう言葉では足りない。
世の理に反している。しかし、彼女が嘘をついているようには思えない。
「願いごとって本当になんでもいいのか⁈」
風花の言ったことを聞き、少年の目が輝いている。
僕がすぐには信じられなかったことを、少年はすぐに信じたようだ。叶えたい願いでもあるのだろうか。
僕には願うことなどない。
復讐を遂げたあとどうするかなんて考えていない。ずっとそのことだけを考えて生きてきたのだから。もしかしたら、僕の願いはそれなのかもしれない。復讐を遂げること、か。やはり、そんなものは願うことではない。それに、そんな願いならもっとしっかりした願いを持つ人が『全知全能』という印鑑を手にすべきだと思う。
「ええ、なんでもいいらしいわよ。私も叶えたい願いがあるの」
「そんなんオレもあるっての!」
風花は凛とした声で言った。
彼女だけではない。少年も願いがある。
それがどんなものであれ、僕にはないものを持っている。
——少し、羨ましいな。
「トウくんは何か叶えたいことはないの?」
風花が僕に問う。
話をふられるとは思っていなかったので驚いた。
だが、ここは正直に答えるとしよう。
「何もないよ」
「はあ⁈まじでなんもないのか?まっ、いいかもな。そっちの方がオレがその印鑑ってのを手にできる可能性が増えるし!」
少年は狙う人は少ない方がいいと嬉しそうにしている。競争相手が少ないことを嬉しく感じるというのは一般的な反応だと思う。
——そう思うのに、君の反応は分からないよ風花。なぜそんな顔をするんだ?君は喜ばないのか。
今にも泣きそうな苦しい顔。
僕が何もないと言った瞬間の彼女の顔はそう言ったものだった。
まるで、してはならないことをしてしまったような、言ってはならないことを言ってしまった時のような表情。彼女は何も悪いことなどしていないのに。
そう思考しているとようやく風花が口を開いた。
「トウくん、私の願いごとを背負ってくれる気はないかしら?」
先程一瞬浮かべた表情とは違い、真っ直ぐ僕を見ている。もしかしたらそれを考えていたのだろうか。僕が叶えたいものがないと言ったから。自分が聞いたことで、何もないと言わせてしまったから。
そして、何もなければ生きるのをやめてしまうかもしれないとまで考えを発展させてしまった。だから、自分の願いを背負わせることを決めた。
別に叶えたいものがなくたって生きていける。
何もなくたって生きてはいける。
それでも、風花はそう考えたのだろう。
きっと、ここに来るまでの道のりで沢山の人と出会い、沢山のことを経験してきたからだ。
僕には想像のつかないこともあったはずで、依頼主の人生に介入してきたのは間違いないと思う。
そんな彼女はまた介入しようとしている。今度は僕の人生に。
それが不思議と、嫌ではない。
家族を失った僕に初めて何かを与えてくれた存在。それなら、僕も返せるものは返したい。
「背負わせてほしい」
「やった。よろしくね、トウくん」
「えーそれってずるじゃねぇの?」
僕が風花の願いを叶える手伝いをするというのは、ずるなのだろうか。僕が『全知全能』というものを手にした場合でも風花に願いを叶える権利を渡すというのが、ずるいと感じたのかもしれない。
「ずるいと思うなら、君の願いも背負うよ。何を叶えたいんだ?」
「まじで⁈オレはご飯をたらふく食べて暮らしたい!」
「分かった。それも背負おう」
年相応の願い。というより、苦労してきたのが窺える。少年は噂を聞いて風花を見つけ、自分の依頼を受けてもらうことに成功した。だが、それは依頼をしなければならないほどに苦しい状況になってしまったということ。
僕よりも小さな子が苦労しているというのなら、その願いだって背負いたくなる。
「なんだかトウくんって最終的に沢山の人の願いを背負いそうね……」
「いいんだよ。僕には何もないんだから」
「そう言うけれど、いつか君にも叶えたいものができるかもしれないわよ。だから、これだけは約束して。自分の叶えたいものができたら、それを優先しなさい。その時には私は私でなんとかするわ」
いつかできるかもしれない自分の叶えたいこと。それはずっと先かもしれないし、近いかもしれない。分からないが、できたらそれを優先しろと風花は言う。できるかも分からない、不確定なものだというのに。
けれど……
「ああ。そうするよ」
僕はそう答えた。
自分でも、何か叶えたいものができたらいいと思ったからだ。
「ええ。さてと、そろそろ依頼された場所に近づいてきたかしら?少年くん」
歩きながら説明してくれていたので随分進んできていた。正確な場所は分からないため、少年が案内するしかない。
「少年くんってやめろよな。オレは零っていうんだからよ!」
「あら、ごめんなさいね。じゃあ零、貴方が連れて行きたい場所は近いのかしら?」
「おう!もうちょいだぜ!つっても正面突破はできねえけどな!」
零はそう言って僕たちの前を歩いていく。
自然と零、風花、僕と縦に並んで歩いていくことになったのだった。