プロローグ
あれから九年もの月日が経ったようだ。
家族を失ってから僕は以前のような活発な性格の子供ではなくなり、家族と暮らしていた家に一人で暮らしている。
あの家は山の中にあるのでいつも山から降りて人に会いに行っていたのだが、それももうしなくなっていった。それでも時々山から降りると僕を心配してくれた。その声を煩わしく思ったのはいったいいつからだっただろうか。
あの頃は港の方では騒ぎになっていたらしい。誰とも関わらないようになってたから知らなかったし、それが賊のせいでの騒ぎではないと知り驚きもした。何故賊のことを話している人がいないのかとも驚いた。
それで考えられるのは僕たち家族だけを狙って襲ってきたということだ。それになんの理由があったのか分からないし、分かりたくもない。
だが、これだけは言える。
僕が怒りをぶつけ、復讐を果たす相手はあの賊らだけなのだと。僕に残されたのは父に託された印神だけ。これがもしかしたら意味のあるものなのかもしれない。もしそうだとしても渡すわけにはいかない。それに、妹も取り返さなければならないのだ。あいつらに連れ去られていった僕のたった一人の妹を。
そのためにはもっと力をつける必要がある。だから今日も森で修行をするのだ。朝から木の棒を振り、弓の手入れをした。
さて、今日の狩りの時間だ。
狩るか狩られるか。それがこの森で生き抜くために必要なこと。僕が生きるために必要なことだ。
この山の中での食料は狩りをすることでしか得ることができないのだから。
野生の獣を狩ることは訓練にもつながる。
だからあえて獣が活発に動く時間を狙って狩りをすることにしている。それが今なのだ。狩りの道具を持って今日の獲物を探しに行く。
少し歩いたところで気が付いたのだが、獣がいない。こういうことは度々ある。大物が出た時だ。そういう時には気を引き締めなければならない。気を抜けばやられてしまう。
そう思っていた時、声が聞こえてきた。
「ぎゃー!くるなー!」
何かから逃げているような女性の声。この森で人の声を聞いたのはいつぶりだろうか。まあ、そんなことを考えている暇はなさそうだが。
声が聞こえ、急ぎ駆けつけたところで見た光景は……女性がクマに襲われそうになっているというものであった。
通りで獣を見かけないわけだ。幸い、僕の姿は見つかってはいない。
この距離からなら届くと、僕は弓を撃った。クマに命中し、もう一発撃つと倒れた。
安全を確認してクマへと近づく。
「今日の食材だな」
僕は動かなくなったクマを見て言う。
そんな様子を見て女性は驚いているようだ。
その様子を見て聞いてみることにした。
「何故、こんなところに?」
「わ、私は依頼のために来たのよ。この先に行って欲しい場所があるからって」
女性は戸惑いながらそう口にした。
しかし、僕の知る限りでは……
「この先に何か特別な場所はないはずだ」
「なっ、嘘でしょう?」
「いいや、あるにはあるが僕が暮らしている家ぐらいだ」
こんな辺鄙な場所にいたい人はいないだろう。先程のようにクマなどの危ないものも出るのだから。
僕は修行のためにと、思い出の場所をなくしたくないという思いからいるだけだ。
「ということは私、騙されたのね?へーそう……確かに後払いにさせろと要求してきたし、ヘラヘラしていたから変だとは思っていたのよ」
「それなのに何故引き受けたんだ?」
「依頼はなんであれ引き受けるわ。それが私の誇りであり契約のないようだからね」
女性はキリッとした目で言い切った。
誇り、か。僕にそんなものはない。
誇りを持ったらそれが離れていくかもしれない。あの時は家族が全てであり誇りだった。それを失った僕には復讐しかない。
だから……
——この女性が眩しくって仕方ない。
「そうか。契約って?」
「どんな依頼でもこなせるような力を渡してもらう代わりに、断ったら私の命はなくなるっていう契約よ。ちなみに、死ぬまでこの契約は消えないわ」
「自ら命をなくすようなことを?」
「仕方ないじゃない。私が生きていくには悪魔とでも契約するしかない。依頼を断らなければなんともないのだから楽よ。ところで、君はどうしてこんなところにいるわけ?」
仕方ないと言うけれど、女性の顔は悲しそうな顔でも辛そうな顔でもなかった。むしろ生きるために自分が利用しているのだと言うような顔。
それも、僕には決してないものだ。
「僕は強くなるためにここにいる。賊に襲われ家族を失ってからずっと」
「そうなんだね。ねえ、強くなって何がしたいの?」
「復讐」
「復讐、ね……」
「止めるの?」
何かを考えるように顎に手を添えた女性に僕は言った。ずっとしようと思っていたことを止められても変えることはできない。
「止めるつもりはないわ。だって私も嘘を教えてきた人に、誇りを汚されたことに、怒りしか湧かないもの。私が言いたいのは貴方が何故ここで留まっているのかということよ。復讐だというのなら、その賊を探しにでも行けばいいじゃない」
その言葉はただ思ったことだったのだろう。
しかし、核心をつかれた。
確かに探しに行けばいい。だが、それをしなかったのは怖いから。
返り討ちに遭いたくない。そんな臆病な僕の気持ちが邪魔をする。家族の仇を打ちたいというのに、どれだけ力をつけても足りないとしか思えない。
「僕は山から降りるのさえ怖くなってしまった。人とも上手に会話できるか……そんな状態で賊を探すことなど……」
「あら?私とは話せているじゃない。何を怖がっているの?それと、これは提案なのだけれど、私についてくる気はないかしら?」
「え?」
「ちょうど人手が欲しかったのよ。今回みたいに危ないことが会った時に任せられる人がね。だから、私と依頼を受けながら賊を探してみない?」
女性が僕の前に手を差し出した。
僕はこの手をとるべきなのだろうか。
けれど、このままでいていいわけがない。
「ついていかせてくれ」
女性の手をとる。
変わるためにはこの手をとるしかない。そう思った。
「よしっ、一緒に行動するなら名乗っておこう。私は風花、よろしく。君は?」
「名は捨てた」
「それじゃ、私が名前をつけよう。不便だからね。そうだなあ……君は今日からトウくんだ」
風花は僕を見てそう告げた。
名前なんて気にしてこなかった僕に名をつけた。
そして、何故だかしっくりきている僕自身が不思議でしかならない。
「わかった。君のことは風花と呼んでいいのだろうか?」
「年齢なんて私は気にしないわ。敬われるのもむず痒い。好きなように呼びなさい」
「なら風花で」
「ええ。さて、行くわよ。で、このクマは置いていくの?」
「いや、解体させてほしい」
熊肉は貴重だからできることなら持っていきたい。そのため、少々待ってもらった。
ある程度の荷物もまとめさせてもらった。
「もういいわね?」
「ああ、いつでも」
「これからどこに行くかは決まっていないわ。けれど依頼を受けつつ、私の探しもの、それとトウくんの復讐したい人探しね」
まず、一歩目。
ここから始まっていくんだ。
少しだけ少年時代のように心が踊った——