刀
僕たちは依頼主のところに戻り報告をしてからすぐにまた別の場所へと向かった。
どこにいくかも決まっていないのだが。
とにかく『全知全能』と書かれた印鑑を探すこと。それが僕たちの目的。彼らに印鑑をどこで手に入れたのか聞いていなかったな。
きっと、どこかで偶然手に入れたのだろう。
そう考えると印鑑を持っている者がいくらでもいそうで怖いのだが。
そう思っていると来てしまうというのがよくあることで。後ろから小さな音がした。
僕は咄嗟に
「避けろ!」
と、声を出す。
音だけではなく殺気も感じたからだ。
「これを避けたか……よし、今日は君に決めた」
着物を着て腰に刀を差した男が立っている。
その男は僕を指差している。
零と風花に見向きもしない。
その男は刀を構えて僕と戦いたがっているのだ。
「何故僕なんだ?彼らだって避けただろう?」
「君が一番最初に殺気に気づき避けろと言った。それ以外に理由などない。分かれば早く構えてくれないか。ないのであれば俺が貸してやろう」
僕と戦いたい。
そう言って、ずいっと僕に刀を差し出した。
自分の提げていた刀を。
戦わなければならないようだ。
僕は差し出された刀をとり構えた。
少し前まで一人で修行していた時の勘を取り戻して頑張るとしよう。
「では、いくぞ!」
刀を構えた男は僕に向かってきた。
僕はそれを刀で止める。
今まで太い木の棒でしか修行してこなかった僕にとって、初めて感じるものだった。
刀で受け止める時にくる反動。刀の音。相手がいるからこそ、感じるもの。
一人でしか修行してこなかったから、相手がいたこともない。戦いを挑まれ、その戦いの最中だというのに、僕は少し高揚している。僕はこうして誰かと向き合い戦ってみたかったのかもしれない。
そしてこれが、僕が強くなるために必要なことかもしれない。
「嬉しそうだね。そんなに余裕なのかい?」
「ただ人と刀を合わせるのが初めてだから高揚しているだけだ」
「そう。初めての相手が俺で光栄だよ。そうだ、まだ名を聞いていなかったね。俺は和樹だ。強いやつを探して日々戦いを挑んで回っているんだ」
「僕はトウ。本当の名ではないが、トウと呼んでもらいたい。それと、僕はそれほど強くはないので期待はしないでほしい。一つだけ言うが、そこにいる少年と女性に手出しはするな」
僕のせいで風花と零に危害が加えられるのは避けたいから。一人だった僕に初めてできた仲間のような存在なのだから、傷つけたくない。
「もちろんだ。それに、俺一対一の勝負を望む。俺に明らかに敵わない相手に危害を加えることはしないよ。トウのその気迫はいいものだとは思うけれどな。さて、そろそろ勝負を再開しようか。終わりはどちらかが倒れるまで。殺しは無しだ。血生臭いものは嫌いでね。血が自分に跳ねるのも嫌なんだ」
嘘ではないかと思った。
着物に血が滲んだような跡がある。
見間違いかもしれないが、そのような跡があるのだ。返り血でない可能性だってあるのでそれは言わないけれど。
この戦いで殺しは無しだと言っているので、どちらかが戦いが不能だとなるまで終わらない。
今度は僕から向かっていく。
僕は静かに近づくことで存在感を消して気づかれないようにする。それが僕にできることだと思った。そして男に刀を振る。
だが、止められた。
「トウ、君は本当に面白い子だね。こうして一対一で戦った経験がないのに、経験があるような振る舞いだ。本当に静かで、どこにいるのか分からなかったよ。でもね、最後に殺気を出した。それは気をつけないといけないんだ。俺が最初に殺気を出したのは気づく者がいるか確かめるためだった。君はそうじゃないだろう?なら、しっかりと気配を消さないと、俺には敵わないよ。今日の相手を君にした俺の判断が間違いだったと思わせないでくれよ」
殺気……確かに出てしまっていたかもしれない。それが出れば男は僕に気づく。何度も戦いをして、死線をくぐっているのなら気づかないわけがない。
それなら、今この瞬間僕は僕の想いを全て消す。何かをしたいとか思っていてはそれが全て形になって出てしまう。
それではだめだ。だから……
僕は気配を消して景色と同化する。
「ふむ…やはり面白い。完全に見えなくさせることができる人間はなかなかいない。なぜなら、少なからず想いを持っているからね。それら全てを捨てて景色と一体となる。難しいことだ。それができるトウに俺も本気で答えるとしよう」
雰囲気が変わった。
それが一瞬で分かった。見えないようにしたまま僕は驚いている。
男が印鑑を持っていたから。印鑑を握り唱えたから。
「『一騎当千』」
急に速くなった。砂埃をたてて僕を見つけようとしている。
見つかりたくない。だってもう負けが決まってしまうようなものだから。まだ息を潜めておく。
「そこだな!やぁっ!」
男は刀を振るった。
僕はそれを刀で受け止めようとした……だが、その一撃は先程のよりずっと重く受け止めきれなかった。というより、刀が先に壊れてしまったのだ。
驚き。戸惑い。それらの感情が出てしまった。景色との同化は終わってしまった。
しかし、諦めない。僕は、負けず嫌いなようだ。負けたくない。
僕は短くなってしまった刀を持ち、男の首元に近づけた。
動いたらすぐに血が噴き出る距離だ。
「ここまで、かな。うん、今回は君の勝ちだ。どちらかが倒れるまでと言ったからてっきり斬りかかってくるものだと思っていたけど、トウは優しいんだね」
「僕だって、誰かの血は見たくない。それだけだ。和樹……さんだって斬りかかってはこなかっただろう」
「さんはいらない。斬ろうとしなかったのは……うん、上手く説明はできないがこれから先も君と一緒にいたら面白いことが体験できそうな気がしたんだ。だからここで斬りかかって万が一のことがあったら惜しい。そう思ったんだよ」
刀を鞘にしまいながら彼はそう言った。
僕を斬ろうとしなかったことにそんな理由があっただなんて思いもしなかった。
面白いことが体験できる。何をもってそう思ったのかもさっぱりだ。
「……そう思ったのなら、ついてこないか?僕たちはあてのない旅をしている。依頼があれば無論そちらを優先する。僕は風花についていっているだけだからな。それでもいいのなら、和樹もついてくるといい」
「いいのかい?先程まで君と戦っていた相手だよ俺は」
「ああ。風花と零はどうだ?」
僕は彼女たちに聞いた。
二人とも呆れたような顔をしている。
「さっきまで刀交えてた相手によくそんなこと言えるよな。ほんとにこのおっさん信頼してもいいのかよ?」
「私はトウくんがいいって言うのならいいけれど、本当に大丈夫なのよね?」
呆れた顔から、心配する顔に変わる。
零は呆れた顔のままだけれど。
だが、僕は思ったのだ。僕に手を差し伸べてくれた風花のように、僕も誰かに手を差し伸べてみたいと。和樹がそれを望んでいるかは分からないけれど。
「僕は、和樹と一緒に旅がしてみたいと思った。ただそれだけの理由ではだめだろうか?」
「…そう。トウくんもやっと一つ何かを見つけられたといったところかしらね」
風花は笑った。
そして和樹に握手を求める。
「よろしく。私は風花よ。依頼人を探して旅をしているだけの者よ。最初は一人だったんだけど、まさか三人も増えるだなんてね。トウくんがやっとみつけた自分のしたいこと、裏切ったら許さないからね」
「怖い嬢ちゃんだな。裏切ることなんかしないから安心してほしい。俺だってトウと旅すんの楽しそうだと思ったからついてくだけだ」
和樹が風花と握手を交わして言う。
すると、零が
「こんなおっさんがついてきてほんとにいいのかよ。役に立たねえんじゃねえの?」
と言った。
彼はまだ少し大人に対して厳しい目を向けてしまうところがある。
大人に攫われるということもあったのだから当然といえば当然なのだが。
「チビよりは役に立つからな?」
「誰がチビだと?人が気にしてることを言いやがって!このおっさん!」
「チビはチビだろう?俺もおっさんと言われる筋合いはないのだけどね」
零と和樹が言い争っている。
一見仲が悪そうに見えてしまうが、これは逆に仲がいいと言えるのではないかと思う。
それに、零の少し沈んでいた心が元気になったようにも思える。
「そうだ、あてのない旅って言ったけれど私は『全知全能』と書かれた印鑑を探しているのよ。あなたが持っているそれと同じ形状のものをね。あなたはそれをどこで手に入れたのかしら?」
「これか?これは戦って勝った奴からだな。戦ってる時に相手が使ってて使い方は知ってたから、使ってみたんだ。なんかそっちの方がいい気がしてな」
和樹が印鑑を持って言う。
そっちの方がいい、とか。この男は感覚で動く人間なのだろう。感覚で動いた結果でどうにかなっているのならそれでもいいとは思うのだが。
「それでもトウくんには負けているじゃない。あなたにとってそれはいいことだったの?」
「俺にとって真正面からぶつかって、刀が折れても諦めない人間との出会いってのは大事なことだった。今日の相手をトウにして良かったって思ったよ」
和樹は笑った。
僕と出会えて良かった、か。僕だってそうだ。
初めてだったんだ。一緒に高め合える相手ができたのは。一人きりでの修行の日々。
仇を打つために強くなろうと必死で修行した日々。その成果を示せるのは野生生物を仕留めるときだけ。他には何も使い道がなかった。
仇を打ちたいとか言っておきながら、あの場所から出ようともしていなかった。出ようと思えば出ることができたのに。
それをしなかったのは臆病だったから。
強くなりたいと願っておきながら、行動しておきながら、臆病だったから。家族を、村の人間を全て失った風花は自分自身で決めて動いていたというのに。僕は何もできなかったから。
彼女が手を引いてくれた。そして前へ進めたのだ。
こうして、自分の成果を出す相手にも出会えた。
それがどんなに嬉しいことで、どんなに信じられないことか。
そんなことを考えていたら、和樹が口を開いた。
「ところでさ、気になってたんだけどあれ、君らの仲間か何かかい?」
彼は親指で茂みの方を指差した。
ガサっと音がする。
「いや、いつ言おうかと悩んでたんだが、気になって仕方がなかったんだよ」
僕たちがそこを見ると、ゆっくりと人が現れた。