第3話 すれ違い
「はぁ~……」
このところ頻繁に溜め息が出てしまう。
仕事にも、あまり集中出来ていない。
理由は、何となく分かる。
一緒に映画を観に行ったあの日から、気が付くとカズの姿を探してしまっていた。
そのくせ、目が合うと、咄嗟に逸らしてしまうんだけど……。
さっきも、昼休みに居なくなったなぁ、って思ってたら、女の人――まぁ、うちの主任なんだけど――と仲良さそうに、2人で事務所に帰ってきたのを見て、何故かすっごく嫌な気持ちになってしまった。
別にカズが誰と一緒に居ようが、私には関係無いはずなのに……。
それもこれも、あの時、あんなプロポーズ紛いのセリフを吐いたカズが全部悪い!
そのカズは、部長や主任と一緒にミーティングルームに入って行ったから、たぶん、次の仕事の打ち合わせとかだと思う。
「(次の仕事、主任とカズがペア組むのかな……)」
そんな考えがよぎって、また自己嫌悪に陥ってしまいそうになった私は、頭を軽く振ってから、隣の席の同僚に御手洗いに行くと伝えて席を立った。
「遠山さん、大丈夫? 何か顔色悪いよ?」
「……あぁ、うん……大丈夫。 ついでに、ちょっと外の空気も吸ってくる」
「オッケー。 部長達に聞かれたら、休憩行ったって言っとくよ」
心配そうな同僚に礼を言って、事務所を後にする。
とりあえず、コーヒーでも買って、屋上でちょっと頭冷やそうか……
しばらく休憩させて貰ってから事務所に戻ると、何となく、雰囲気が浮わついてるように感じた。
何かあったのか、隣の子に聞こうと思ったタイミングで、部長からミーティングルームに呼び出されてしまう。
「失礼します」
「おぅ、すまんな。 さっき業務連絡したんだが、お前、休憩行ってて聞いてなかったろ?」
そう言って、部長が語った内容に、頭が真っ白になりかけた。
だって……
『次の俺達の仕事だが、クライアントは“身内”だ。 だからって手は抜くなよ』
『アイツも主任って立場になって、しばらく経つが、今回やっと発表する事になってな』
『って事で、新婦が主任の栂咲、新郎役が近江だ』
それでも、何とか“仕事”だから、と自分に言い聞かせる。
「あの……二人って、付き合ってたんですね」
「ん? あぁ、結構前からになるな……まぁ、アイツもあんな性格だから、尻に敷かれっぱなしだな」
どうりで、さっきも仲良さそうだったわけだ。
発表するから、隠す必要なくなったってことか。
そう思うと、自然と涙が出てきてしまった。
「あ……あれ? ……す、すみません……なんで……止まらな――」
そんな私の様子を見て、ため息混じりに近くまで来た部長に、少し乱暴に頭を撫でられる。
それが、まるで、お父さんにして貰ってるみたいで、少しだけ、気持ちが落ち着いてきた。
「……すみません。 ありがとうございます」
「……アイツから軽く聞いてはいたが……なぁ遠山、お前、近江の事、好きか?」
落ち着いてきた所に、問い掛けられたせいで、内容がすんなり頭に入ってきてしまい、慌てて部長を見る。
視線の先には、予想していたからかう様なニヤケ顔ではなく、真剣な顔の部長がいた。
「……わかり、ません。 カ……近江君は、頼りない所もありますけど、いつも、私が困ってる時は助けてくれて……だから、いざと言う時に頼れる人で……大切な――」
「あ~、うん、わかった。 すまんな、余計な事聞いて。 涙止まるまでは、ココ居ていいぞ」
そう言って、少し気まずそうに部屋を出ていく部長。
その姿を見送ってから、近くのイスに座り込む。
部長に言われて、気付いた。
ずっと、仲の良い同期で、なんだかんだ頼りになる相棒……そんな風にしか、カズの事を見ないようにしていたのかもしれない。
今の、言いたい事言い合える関係を、壊したくないから、変にギクシャクするのが嫌だから――
――そう思ってた。
それがこの間の、一緒に出掛けた、あの日。
朝からずっと一緒にいて、カズの優しさや思いやりに、
こんな生活も楽しいかなって、思ってしまった。
あの日にカズに話したように、仕事柄、“恋愛”に臆病になっていた私に、「心配いらない」って言ってくれた時……とても嬉しくて、この人なら信じられるかもって、思ったのに――
「こんなの、ひどいよ……」
結局、その後も、しばらくの間、涙が止まることはなかった……。
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「はぁ~~……」
昼休み。
会社の屋上で、転落防止用の柵に体を預けながら、ぼんやり景色を眺めていると、自分でも驚く程に、深いため息が出てしまう。
レイちゃんと映画に行った日から、すでに数日が経ったが、あれ以来、気が緩むとすぐにあの日の事を思い出してしまい、事務所でレイちゃんと顔を合わせるのが気恥ずかしくて、何だかギクシャクしてしまっていた。
レイちゃんの方も、目が合った時に逸らされたり、用件だけ手短に話してすぐ離れて行ったり、心なしか俺を避けてるような気がして、それも地味にダメージが来る。
あの日は、あの後2人で少し買い物したりと、個人的には良い雰囲気だったと思ってたんだけど……まさか、何かやらかして、嫌われたなんて事は……
「……はぁ~~」
「どうした~、若人? ずいぶん深いため息ねぇ」
「――っ!?」
急に声をかけられて、ビクッと振り向いた先には、タバコを咥えた栂咲 耀子主任が、ニィっと笑ながら立っていた。
栂咲主任は、部長の補佐であると同時に、我が部が誇るエースの一人でもあり、“悪役令嬢の遠山”、“悪女の栂咲”等と呼ばれて、レイちゃんと双璧を成している。
仕事の時は、別人なんじゃないかと思う程、完璧に“悪女”を演じる凄い人で、四十路超えてるハズなのに、30代前半にしか見えない容姿と、時に部長すら従わせる女傑ぶりから、他の部署では“魔女”と恐れられていたりする。
普段はどちらかと言えば、ノリの軽い近所のオバ――お姉さんって感じで、結構面倒見がいい人だ。
「栂咲主任でしたか――」
「悪かったわねぇ、遠山じゃなくて。 ……あの子と、なんかあった?」
ニヤニヤと笑ながら、俺の横まで来て、柵に背中を預けるようにもたれ掛かかったかと思うと、フッとタバコの煙を吐き出した後、静かに尋ねてきた。
「あ……えっと――」
「……話したくなかったら別に良いけどサ、誰かに話すだけでも、頭ん中整理できるかもよ?」
それだけ言った主任は、グーっと伸びをすると、社内に戻るための扉の方へ歩いていく。
「アンタも、あの子もさ、アタシにとって大事な後輩だから、悩みがあったらいつでも言ってきな。 さっ、そろそろ戻るかねぇ――」
「あのっ、主任! ――やっぱり相談、乗って貰えませんか?」
俺の言葉を聞いて、すでに扉の取っ手に手を掛けていた主任は、ゆっくりと振り返り、小さく頷いてくれた。
「なるほどねぇ……それでこの間から様子が変だったわけか」
「……すみません、仕事に支障が出ないように、とは思ってても、どうしても意識しちゃって」
俺の言葉に、小さくため息をつく主任。
「まぁ、支障って言える程の影響出てないし、問題ないんだけど……ねぇ、近江」
「あ、はい」
「あんた、結局どうしたいの?」
そう聞かれて、一瞬だけ返事に詰まった。
どうしたいのか。
考えようとして、ふと気付く――
「……俺、レイちゃんの事、前からずっと見てました。 最初は、同期で入った子だから、負けたくない!って……」
「でも、一緒に仕事するようになって、ホントに些細な事にも真剣で、今の“役”も、自分がどんなにしんどい思いをしていても、最後にクライアントの幸せそうな顔を見るのが好きだって言えるレイちゃんを尊敬もしてて」
「そんな彼女だから、支えになりたいって思うし、絶対に見捨てない、味方で居てあげたい」
――俺の気持ちは、ずっと前から決まってたんだ――
辛いって弱音を吐きたくなっても、クライアントのために全力で仕事に取り組む“強さ”も。
この間、俺の前で見せてくれたような“弱さ”も。
可愛いもの好きな所も。
料理の練習頑張ってる所も。
ちょっとの失敗で落ち込んじゃう所も。
俺の失敗をニヤニヤしながらからかって来る所も。
――彼女の、全部が好きなんだ、って……
「だから、もし叶うなら……同僚じゃなくて、彼氏として、レイちゃんを支えてあげたい、です」
つっかえながらも、何とか言いきった俺を、主任は真剣な眼差しで真っ直ぐに見つめてくる。
まるで時間が止まったかのように、とても長い間そうしているような錯覚に陥ったが、不意に溜め息が聴こえて我に返った。
「――青春だねぇ。 よしっ、それじゃあお姉さんがちょっと背中を押してあげようか」
「……え? あの、主任?」
「アタシも、いつまでも待たせっぱなしには出来ないし、ね。 近江、いくよ」
そう言いながら、屋上から社内に戻っていく。
慌てて後ろを追って行くと、そのまま部長に声をかけてミーティングルームに入って行った。
「おい、近江、何があった?」
「いや、俺にもさっぱりで……」
部長と顔を見合わせる事数瞬。
とりあえず、と部屋に入ると――
「次の依頼まで少し期間あるし、ずっと見送ってた私達の入籍と結婚式、やりましょ。 “ウチのスタイル”で、仕掛人は、“遠山以外”全員で、ね?」
――主任はとんでもない事を言いはなった。