短編 書斎/ショート
どういう書き方が出来るのかの練習。
私は小さな頃から本が好きだった。母は腹の中に居る私に絵本を読み聞かせてくれた。毎年の誕生日には図鑑や画集など文字が読めなくても楽しめる本を贈ってくれたし、小学校に上がる頃には自分だけの本棚を買ってもらった。読書感想文を書くためだと数十冊を取り寄せ、クリスマスプレゼントにはサンタクロースが嫌がるほどの量をお願いした。
初めてのバイト代は、有名な小説家の傑作集全巻。受験勉強のためだと参考書の費用を出してもらい、大学合格祝いと称して学問書の初版を無理に買わせた。
初任給を受け取った頃、自室の床が抜けた。私は四方の本棚ごと階下へと落ちたが、なんとか無事だった。しかし下の部屋に居た母と本は無事では無かった。血が付いてしまった本は買い換える事になってしまったが、これで本をおける部屋が増えた。この一連の騒動で父は私と口を利かなくなったが、大した問題ではない。課長・部長と昇進する事で、自由に使える金も本棚も増えていった。
私は家を建てた。風呂もトイレも寝室も無い家だ。空気清浄機と加湿器、そして本たちの憩いの場となるものは全て詰め込んだ。玄関から各部屋の廊下までびっしりと、隙間なく並んだ本棚を見て興奮したのを覚えている。専務からの提案でお見合いをし、一人の女性と結婚をしたが……いつの間にか離婚していたらしい。歳を重ねるごとに維持費も嵩んでいったが、他に使うあてもない。私は二軒目の……住居を含めれば三軒目となる家のドアに鍵を掛けた。
本に囲まれていない時間は、孤独だった。取締役室には本棚を置くことが出来なかった。水槽が設置されていたからだ。なぜこのようなものを備え付けたのか、今考えれば嫌がらせの一種だったのかも知れない。特に興味のない書類に最後のサインを済ませ、車を飛ばさせた。
ここまでくると本を積み上げて家に出来そうだ、と一人笑っている時に、その男は窓から侵入してきた。一番高い物を出せ、さもなくば火を放つぞとオイルライターに指をかけている。人生で初めての事に戸惑っていると、火の着いたライターを今にも放り投げようとしていた。私は咄嗟に近くにあった一番大きい脚立を手に取ると、男の頭頂めがけて迷いなく振り下ろした。幸い、周囲の本に別状は無かった。四軒目の建設予定地にあった穴に男であったものを蹴り落とすと、コンクリートを流し込んだ。
敷地はどんどん広がっていく。蔵書はもう数える事が出来ない程となっていた。父の遺産で建てた保管所の出来は素晴らしく、私の人生と本たちに適度な潤いを与えてくれる。周辺のテレビ局や雑誌の編集者が取材の申し込みをしに来たが、撮影にライトを使うのだと聞いて丁重にお断りした。
最初は本を読むのが好きだった。そしていつからか、読むスピードと手に入れるスピードが釣り合わなくなり、買ってもすぐに本棚へと収めるようになっていった。しかし、私はそれでも幸せだった。
誕生日を目前に控えていたが、地震が起きてしまった。こんな事なら地震の影響が無い場所に、空や宇宙に移動しておくべきだった。
寝室で目を覚ました私は、すぐ横の監視カメラを確認した。相当大きな揺れにも耐えるはずの書架が揺らめくのを見て、直感的にまずいなと思い、駆け出した。限りなく83歳に近い私はある一つの本棚の前に立っていた。床の動きが激しさを増す。一冊の本の背に指をかけると、下から突き上げるような強い揺れへと変わった。こちらへと倒れかかる本棚を必死に押し返そうとしたが、手首から薪の爆ぜるような音がして、本と一緒に床へと転げ込んだ。
もう動かない腕とは反対の、まだ動く手で一冊の本を胸元まで手繰り寄せる。
最初の一冊。
血が付いてしまっているが、今ではもう気にならない。倒れたまま、下半身に覆いかぶさる本棚の重みが痛みに変わるのを味わいながら。誰に聞かせる訳でもなく、本に囲まれて本当に幸せだったと呟いた。
特にありません。