美女の饗宴
中華風のプチざまあ、プチ悪役令嬢、魂入れ替わりの中華風話です。
継子が冷遇されるのはいつの時代にもある。まして憎い妾の子、しかも夫の愛情を独り占めしているならなおさらで、正妻の李瑛連は李家の長女、麗凛をことあるごとに苛め抜いていた。父の李庸明は司法を担う刑部の長官を務め、ほとんど屋敷を空けているので、李家は正妻の李瑛連の天下だった。
李瑛連は実子の庸暦、美凛を大層可愛がり、叱るということを一切しなかった。代わりに不都合を麗凛のせいにして「お前が悪いから弟が何々をした」だの「お前の不徳ゆえに美凛が何々をした」と、常に責任転嫁をした。小さいころからそれが当たり前の生活だったので、本人たちも悪意なく麗凛のせいにしたし、また使用人も粗相を擦り付けた。
しかし、麗凛は大人しく、控えめな性格のため、言いたいこともなかなか口にはできない。違うと反論しても怒鳴られると頭が真っ白になり、声が出なくなってしまう。
「お嬢様。泣くだけだったら赤子でもできますよ。張り手の一発くらいお見舞いしたらどうです?」
「無理よ瑠々、そんな恐ろしいことできないわ…。それにそんなことをしたらますますいじめられてしまう……」
麗凛は奴婢の娘の前でさめざめと泣き始めた。奴婢の瑠々は下働きとして買い入れられた娘だ。麗凛の部屋付きになると李瑛連に睨まれるので誰もなり手が居らず、この瑠々が手の空いたときに食事を持っていったり、衣服を届けたりしていた。
「ならずっと舐められっぱなしですね。さてと、食事がいらないなら私は行きます」
瑠々はまったく手が付けられていない膳を取ると、瑠々はすくっと立ち上がった。麗凛は縋るように瑠々の衣服を掴んだ。味方のいないこの屋敷では彼女だけが麗凛のよりどころなのだ。
「ま、待って」
「私は忙しいんです。厨房で魚の下ごしらえをしなきゃいけないんですよ」
「お願いよ……一生のお願い」
麗凛は歩き出そうとする瑠々を止めようと立ち上がった。だが、立つときに己の裾を足にもつれさせ、瑠々に覆いかぶさる形で倒れこんだ。
頭をうち、痛がる二人。
「何するんですか!私は忙しいって言ったでしょう!」
「ご、ごめんなさい瑠々……!」
瑠々と麗凛は互いに目が飛びでそうなほど驚愕した。厳しい口調が麗凛の口元から、気弱な言葉が瑠々の口から出た。だが、二人の顔つきは先ほどとは打って変わり、麗凛の瞳は力強さが宿っている。対して瑠々の顔は迷子のような脅えがあった。
まるで二人が入れ替わったかのように。
「ど、どうしよう……瑠々。どうしてこうなったのかしら……」
「天のいたずらか何かでしょうけど、ぶつけたら元に戻るかもしれませんよ。さあ、いきますよ」
麗凛の姿をした瑠々は勢いよく瑠々の姿を麗凛にぶつかりにいったが、痛いだけで何も変わらなかった。
額を抑えながら二人は蹲る。
「麗凛!はやく来なさい!」
廊下の方から李瑛連の怒鳴り声が響き、瑠々の姿をした麗凛は震えあがる。
「ど、どうしよう……。こんなすがたではいけないわ」
体を抱えてびくびくと怯える瑠々(れいりん)を見て、瑠々(るる)はため息を一つつくと、さっそうと肩で風を切って声の主の元へと向かった。
麗凛が広間に現れると李瑛連は目を吊り上げて睨みつけた。しかし、そんな義母を麗凛はうっとうしそうな、冷めた眼差しを送る。これには李瑛連はもとより、部屋付きの海春や義妹の美凛など居並ぶものがそろって口を大きく開けた。目を真ん丸にして口をぱくぱくする様子はまるで池の鯉のようだった。
「まったく怒鳴らなくても聞こえてるわ。一体何の用よ」
「な……なんていう口を聞くの!私はお前の義母なのよ!」
「義母だというならそれらしい振る舞いをしたらどう?そしたら私もあんたを敬うわ」
嘲笑いながら麗凛が言うと、李瑛連は今度こそ声が出なくなった。
麗凛は生まれてこのかた李瑛連に逆らったことなどない。どんなにいたぶっても泣いて怯え、李瑛連に許しを乞うてくる。それなのになんていう変わりようだろう。李瑛連は麗凛の態度に何と言っていいかわからなかった。
とまどって声を発しない李瑛連に代わり、義妹の美凛が声を張り上げた。ちゃっかり母の衣を握っているあたり、動揺は隠せていない。
「わ、私の首飾りが壊れていたのよ!あんたの仕業でしょう!」
「なぜわたしがあんたの首飾りを壊すのよ。おんぼろ離れに追いやられた私が、使用人が行き交う母屋に忍びこみ、あんたの部屋を荒らすなんてできっこないでしょうに」
「……ひ、人にやらせたんだわ」
「私の言うことを聞く使用人がこの世界のどこにいるっていうの。私が一人なのはあんたたちが一番知っているでしょう。そう仕向けたんだから」
「……だ、だって。お気に入りだったのよ。お気に入りの首飾りが壊れたんだもの。私のせいじゃないもの」
泣きそうになりながら、つっかえつっかえ言う美凛の肩に李瑛連が手を置き、可哀そうにと言わんばかりに寄り添う。その表情は子を思う母の姿に外ならない。
李瑛連はどこにでもいる平凡な女だ。もし、彼女が平民に生まれていたら笑いの絶えない暖かな家庭を築いていただろう。だが、彼女は不幸にも名家に生まれてしまった。親の言うことをよく聞き、用意された縁談を受けて李庸明と結婚した。しかし、李庸明はすでに麗凛の母である麗藍に夢中だった。都一の妓女だった彼女は美貌と才知に恵まれ、屋敷の使用人も李瑛連ではなく麗藍を主と崇めたし、華やかな酒宴では話題を彼女がすべてかっさらう。誰も李瑛連を見てはいなかった。夫にも使用人にも見向きされない李瑛連はいつも一人ぼっちで泣いていた。麗藍が病死してから三年後にようやく一男、一女を設けた。この子らは李瑛連の希望であり全てだった。自由に好きなことをさせてやろう、嫌なことがあれば全力で守ろう。李瑛連の甘やかしは彼女なりの愛情だった。
抱き合う母子を麗凛は嘲笑した。
「なるほどね。自分の大事な首飾りを壊してしまって、それがすごく悲しくて腹が立って八つ当たりを私にぶつけたってわけね」
「麗凛!美凛が可哀そうだと思わないの?少しくらい罪をかぶってもいいでしょう!」
「可哀そうなのは善悪を教えてもらってないそのオツムよ。首飾りを割ったのはあんた。それを悲しむなとは言わないけど私の責任にするなんて論外よ」
ばしん。と強烈な張り手が美凛の頬を襲った。
「ひっ」
と近くに居た使用人が怯えた声を出した。
「なんてことをするの!」
血相を変えた李瑛連が美凛を隠すように前に出た。
「あんたの娘は叩かれるようなことをしたのよ。罪を擦り付けられていたら今頃私が棒で叩かれてたわ。父上に訴えたいなら好きにすればいい。でも、私がことあるごとに棒で叩かれたことも言うわ」
冷たい麗凛の眼差しに李瑛連は震えあがった。美凛は泣きながらごめんなさいと伏して謝った。
麗凛が広間から廊下に出ると興奮した様子の瑠々(れいりん)が嬉しさをにじませていた。
「すごいわ!すごいわ瑠々!あんなに堂々とやり込めるなんて私には到底できなかったわ」
「言い返すだけでいいんですよ。李瑛連は根は臆病ですからこちらが噛みつくとわからせれば大人しくなります」
「そう。でも、すごいわ!私、生れてはじめて胸がすっきりしたの」
「私としてはいらいらしっぱなしでしたけどね」
興奮しっぱなしの瑠々(麗凛)とは対照的に麗凛は仏頂面で廊下を進んでいく。すると若い下男が声をあげた。
「瑠々。魚の下ごしらえがまだ終わってないぞ」
瑠々(れいりん)は困惑した表情で助けを求めるように麗凛を見上げた。麗凛は深いため息をついて
「瑠々を私の部屋付きにするわ。用事は言いつけないで」
そう宣言すると下男はびっくりした顔つきになり、慌てた声で「わ、わかりました」と答えた。
その日から、李家は一変した。
なぜか美凛は麗凛に懐くようになり、頻繁に離れに赴いた。李瑛連もよそよそしくではあるが、何かと気を遣って調度品や衣、蝋燭なども上等のものを用意するようになった。
夜、麗凛と瑠々は二人で主寝室を使う。寝巻に着替えて寝床に入ると、麗凛は思い出したように、
「部屋付きと下働きとでは仕事量が違うんですね。私は朝から晩までずーっと働きづめでした」
と言った。
「そんなわけじゃないわよ。部屋付きでもお道具の手入れとかで夜中までかかることもあるし」
「でも、お嬢様はこうして寝床につけてるじゃないですか」
「ああ、それは親切な方がやってくれてるの」
「親切な人?」
「ええ。皆とても優しくて困っていると手伝ってくれるの。大勢でやれば早く終わるわ」
瑠々(れいりん)の言葉に麗凛は目を見開いた。
誰かに頼るなんて瑠々の生き方に今までなかった。全部一人でやって来たし、そうするものだと思っていた。それに瑠々のような醜女は誰にも相手にされない筈だ。しかし、ふと隣に眠る瑠々(麗凛)の顔を覗き込むとそこにはきれいな顔の娘がいた。眉間に皺はなくてきつい筈の目元は柔らかくまるで笑っているようだった。
「わたし、こんな顔だったんだ……」
瑠々は泣きそうになった。そのとき、ふっと体が軽くなり、気が付くと元の体に戻っていた。鏡で顔を見てみると、奇麗な顔がそこにはある。瑠々は生まれて初めて笑った。鏡の中の自分はとても美しく微笑んでいた。
美華国、健王帝の時代は美女が多いことで名高い。特筆すべきは名家である李家が、あるときを境に薬の商いをはじめ、化粧品や美容に良い食べ物、鍼や按摩を広めはじめた。なにしろ李家の姉妹は美女で名高い李皇后と李貴妃であるし、何より商いを切り盛りする李夫人自身も天女のような美しさなのだから、売れないわけがない。
李夫人はいつもにこにこと笑顔を振りまき、優しくて街の人気者だ。
李貴妃は姉の李皇后を常に立て、控えめで思いやりに溢れると女官や宦官に慕われている。
李皇后は美しいだけでなく才知に溢れて何事にも動じず、また批判や叱責を恐れず帝に忠言し、妃嬪たちをまとめ上げる。そんな果敢で気高い皇后に妃嬪たちは恐れ敬い、そして憧れるのだ。