身近な人間の顔がパグに見えた時
「おはようございます」
翌日、目が覚めるといつもの自分に戻っていたので、自ら食堂へと赴き母とレイルに挨拶をした。
紳士淑女にあるべく、ぽかんと口を開けたままこちらを見つめる二人にニヤリと笑いながら、「ぼっちゃんもう大丈夫ですか」と心配してくれる使用人たちにも挨拶を返す。
「おはようシリル。もう身体は大丈夫ですか?」
「はい、ご心配をお掛けいたしました」
我に返った母が淑女らしい物言いで尋ねてくる。
何故だか腑に落ちない顔をしているように見えるのは気にしないことにしよう。
こちらも伯爵令息らしく返事を返すと、小さく手招きしていたレイルの隣に座る。
「おい、戻ってるじゃないか」
そう、目が覚めたらしっかりと男に戻っていたから、僕は今当たり前のように部屋を出てきたのだ。
もちろん、鏡をみてガッツポーズをとってしまったのは言うまでもない。
頭の中のアイツはなにやら文句を言っていたが、とりあえず黙らせておいた。
「おはようございます、ぼっちゃま。お食事は軽めのものがよろしいでしょうか?」
「おはよう爺、普通に食べられそうだからレイルと同じでいいよ」
執事長である爺に軽く返事をし、レイルの方へ向き直った瞬間――僕はぶふぉっと噴出した。
「は?!なに、キタナっ、ちょ…シリル何してるんだ?」
「ご、ごめん」
突然のことにふるふると肩を震わせながら俯きつつ、大丈夫と手で合図する。
――――『ぶふっ!パグ!パグだ、パグがおる!!うっふっふぁっはっは、執事長がの顔がパグ!パグって、っくっひひ…ひひひ……。』
なんて言葉が突然聞こえたら、そりゃ吹き出すってもんでしょう。
昨夜から現れたこの過去の人格は、僕の五感から様々な情報を見聞きしているようだ。
確かにウチの執事長のことは、以前からキョロっとした目がやたらと離れていて愉快な顔をしているとは思っていたが、パグという犬の存在を当てはめられては、納得してしまう造型をしている。
人の身体にパグの頭を乗せてカツラをかぶせて並べたら、一瞬わからないのではないだろうか…。
声のせいで失礼極まりないことを考えていたら、自分の食事が運ばれてきた。
また吹き出したらたまったもんじゃないので、机を見つめたまま黙って食事をすませた。
*****
午前中に医師の許可が下りたので、レイルと一緒に神殿まで足を運ぶことにした。
落馬でできた頭の傷は、魔法治療でほぼ完治した。
最初はコブになっている場所が数センチ切れていたらしいが、意識を失っている間にしっかりと直してくれたらしく傷らしい傷は何も残っていなかった。
優秀な魔法医には本当に感謝だ。
「で、お前の【ギフト】ってアレで終了なわけ?」
神殿に向かう馬車の中でレイルが口を開いた。
少し長めの前髪が目にかかるのを息で吹き飛ばし、唇を尖らせる。
2卵生双生児である僕らは、父と母の遺伝子を見事に分けて生まれて来たようで、あまり似ていない。
紅茶色の髪に童顔女顔な僕と、ダークブルーの髪に大人びた顔つきのレイル。
瞳の色だけは同じ緑色をしているものの、ぱっと見て双子だといわれたことは1度もない。
「終了じゃないと思うけど、どうだろうね」
「なんだよ、嬉しそうだな」
「…ん?まぁ、そりゃあね」
「女は嫌だって?」
「そりゃそうでしょ」
「まーなぁ、俺だって今更お前が女になったら困るけど。でもなぁ……」
「なんだよ」
「ん、まぁ、可愛かったよ。母さまそっくりだった。今朝の母さまなんて肩落としてたぜ?あれは絶対にドレスを着せる気でいたと見た」
「………はは」
はっきりと言い切るが、「母さま」呼びになっているあたり、こいつマザコンだったのかと遠い目になる。
―――『レイルくんはマザコン設定で、裏有りのチャラ男でしてよ』
息子を溺愛してやまない母は、未だに美しい。
前世でいうところの美魔女というやつらしい。
若い頃もそれはもう可愛らしく、現在の国王と父、そして何人かで母の心を奪い合ったという話は貴族の間では有名な話だ。
たまに連れて行かれる茶会では僕の顔を見ると母のことを尋ねてくる大人がにいるため、愛情の9割を母に注ぎ込む父は必要最低限の社交場にしか母を連れ出さない。
「レイは…【ギフト】まだなんだろ?」
「ああ。うちは父上も母上も【ギフト持ち】だし、兄上も開花してるから出るとは思ってるけどな」
何かを考えているのか、レイルはいつの間にか窓の外をずっと眺めていた。
レイルの【ギフト】…もしかしたら、勝手に喋る頭の中の声に聞けば簡単に教えてくれるのかもしれない。
いや、逆に放っておいてもベラベラとしゃべりそうだ。
「神殿にいくついでに調べてみたらどうだ?」
「――――いや、まだいいかな」
「なんでよ?」
チラリ、と僕の顔を見て、また外に視線を戻す。
「お前みたいな面倒なのじゃなきゃいい」
「……………まーね」
軽く話を逸らされたような気がしたが、タイミングよく馬車が止まり目的地に着いたことを御者が伝えてきた。
馬車を降りると、白を基調に作られた神殿へと向かう。
神殿の入り口には、龍と向かい合うようにたたずむ乙女のレリーフが飾られていてとても美しい。
龍族の末裔とされているシルバーバーグ王国では、古来より龍と乙女をシンボルとして祭っている。
神殿は、神をあがめる信仰というよりも、龍の啓示を受ける場所や、龍の怒りを治める場所として存在するためだ。
そのため、龍の血筋から授かるといわれている【ギフト】もまた、神殿が情報を管理している。
「マクドール家が次男、レイル・マクドール。【ギフト】の知識を閲覧したく参りました」
「マクドール家が三男、シリル・マクドール。同じく、【ギフト】の知識を閲覧したく参りました」
神官に跪き、基本に沿った挨拶をする。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ気楽になさってください」
神殿に入っての第一礼を済ませて神官の言葉を受け取ると、二人は立ち上がって肩の力を抜いた。
「【ギフト】の知識ということは、今回はお二人とも【ギフト】を得たということでよろしいですか?」
「あ、今回は僕だけです」
「そうですか、おめでとうございます。では、【乙女の儀】はどうされます?」
――――『乙女のぎって何ー?』
【乙女の儀】というのは、鑑識のできる神官によって【ギフト】の内容を教えて貰うことだ。
基本的には、能力持ちの神官によって行われるが、王国一大きいとされているこの神殿では水晶のような魔道具を使って同じことをできるらしい。
「どうする?」
「俺はいいって、さっき言っただろ?」
やはりレイルは調べないらしい。
【乙女の儀】は15歳の誕生日を迎える前にやることが多い。
思春期の感情に左右されて開花する【ギフト】は、あまり早い時期に能力名を明かしてしまうと、若さゆえの思い込みで能力内容が制限されたり、変な方向に能力が伸びてしまうことがあると言われているからだ。
「僕も、今回はいいです。知識だけ得たいので、過去の資料を見せてください」
「そうですか。気が変わったらいつでも言ってくださいね。では、資料室の方に案内しましょう」
神殿でギフトを調べると、そのまま神殿の資料として記録を残されてしまう。
【乙女の儀】は、学園入学前に【ギフト】を持っているかを調べるものとされているが、それらの情報を神殿で管理する目的も兼ねている。
学園には【ギフト持ち】の能力を生かすための授業カリキュラムが用意されている。
そのため、15歳前に【乙女の儀】を受けることが一般的にはなっているが、僕のように知られたくない能力を持ってしまった場合、無理して神殿で調べる必要もないらしい。
まあ、ここらへんは父の受け売りでしかないのだが…。
今回神殿に来るに当たって、儀式はするなと言われたので理由を尋ねたところ、そう説明されたに過ぎない。
そんなことを考えながら長い廊下を突き当りまで進むと、神官は蒼い宝石のついた美しい鍵で扉を開けた。
書庫というから図書館のような場所を想像していたが、そこにはバインダー形式のファイルがずらりと並んでいた。
紙の束たちに目をやると、背表紙には大まかな能力名が書かれていた。
攻撃、癒しの力、テイム、魔眼、変身……、カテゴリーごとに纏められており、1つ1つの資料は膨大だ。
「一応、重要資料なので私は入り口の傍におります。大まかな情報は頭に入っていますから、知りたいものがあれば聞いてくださればお手伝いできるかもしれません」
そう言うと、神官は静かに入り口横のソファに腰掛けた。
情報が頭に入っているということは、若く見えてもそれなりの歳なのだろうか。
「けっこうな量だな…」
一冊のバインダーを手に取りながらレイルが呟く。
たしかに、二人がかりでも欲しい情報を得るまでには時間がかかりそうだ。
「多分…ここだ、「変身」だよな。他と比べると少なそうだ」
「シリル左からな、俺は逆からいく」
お互いにスタート地点を決めると「変身・変化」と書かれた棚から分厚いファイルを手に取った。