王様の息抜き2
次に訓練場に来ると、木陰に新しいテーブルセットが用意されていた。
まさか、あの発言が本気だったなんて誰が思うだろう。
少しばかり固まったままテーブルセットを眺めていると、音も無く近寄ってきたリュミエールに後ろから抱きしめられた
「うわっ!」
――――『ぅひゃぉ!』
「今日はお早いですね、今日からはもう少しレディらしく教育しますから、そのつもりで」
耳元で囁かれると、ゾクゾクとした感覚が走って熱がぶわっと広がる。
ぐっと歯をくいしばって我慢しようとしたが、パブロフ効果発動中のミツコにはまったく持って効果が無かった。
頭に来たから、鳩尾あたりに一撃食らわせてやろうと肘を後ろに振ってみたが、身体を引いてかわされた。
「お前、最近距離が近いんだよ!」
「この方が手っ取り早いですし」
「一発殴らせろ!」
「かわされないように勝手に当ててください」
チっと舌打ちして顔を逸らす。
リュミエールへの反撃は、最初の一発目だけは入ることが多い。
だが、警戒されると次からは確実にかわされてしまうようになる。
同じ攻撃は2度通じない。それがコイツだ。
「今日からは先に着替えておいたほうがいいのではないですか?」
そう言うと着替えの入ったバッグを差し出してくる。
思いっきりひったくって投げつけたかったが、父が来たら面倒なので大人しく着替えておいた。
「ドレス姿は始めて見ます。可愛らしいですね。」
「――…。」
いくら女になっているとはいえ、可愛いと言われて喜ぶ男は居ない。
「――魔法から?」
「そうですね、いつも通り進めましょう」
ぶすくれながら、訓練用の的の方に移動する。
魔法の訓練用に用意された特殊な的は、魔石がはめ込まれている魔道具の一種だ。
ぶつかった瞬間は魔法の効果が出るが、直後に無効化されるので周囲に被害が出ることは無い。
家に置いたら訓練に来なくてもいいんじゃないかと尋ねてみたら、これ1つで大きめの馬車が3台は買えると言われてあきらめた。
今日も今日とて、魔力が尽きるまで順番に下級魔法を撃つ。
火→水→風→土…火→水→風…
そこで僕はピタリと手を止めた。
「――? どうしました?」
足元がスースーする。
魔法を撃って起こる風で、スカートがひらひらして足元がスースーする。
普段は感じない太ももへの風は、下半身を丸出しにしているかのような不安定さを感じさせる。
「あのさ、これ下にズボン履いちゃだめかな?」
「ああ、なるほど。――ええ、ダメですね」
「ええー、なんで」
家でダンスの時に着せられるドレスは下になんか色々入れるからあまりスースーはしない。
だが今日のようなシンプルなワンピース風のドレスは、スカートの下が下着だけなのでなんともスカスカして気持ち悪い。
「それも含めてレッスンというものではないのですか?」
「でも、こんなカッコで魔法を撃つなんて必要ないでしょ」
「必要が出るかもしれません」
「何で!!」
「シーラには申し訳ありませんが、それも踏まえて先日指示されましたので」
今日も笑顔の悪魔に愕然とする。
「もちろん、口調やなんやも指導するように言われておりますので、今日からは別の訓練も取り入れましょう。そろそろ私も、シーラをもう少し知りたいので丁度いいんですよ」
「かんべんしてよ…」
顔に手を当てて空を仰ぐ。
「あなたがシーラでいる間は常にレディ扱いをしますので、心してくださいね」
「はは…まじか…」
あ、駄目だコレ本気で逃げないと…。
目の前の悪魔に後ずさりしたところで、訓練場の扉が開いた。
「やあ、調子はどうだい」
ひょっこりと顔を出したのは、父を伴った国王だ。
陛下…先日の言葉は冗談じゃなかったんですねー…。
「少々駄々をこねられていたところですよ」
そんな言葉に軽くリュミエールを睨みつけてみたが、陛下と父が近づいてくるのをみて慌ててカテーシーを取る。
多分今は、普通の挨拶よりもこちらのほうが正しい対応だろう。
「ご足労頂きありがとうございます。陛下」
「綺麗なカテーシーだ。顔を上げてかまわないよ」
顔を上げてそう口にすると、陛下の後ろに立つ父がうんうんと満足そうにしているのが見えた。
これで文句は無いだろう。
父の長ったらしいお説教はこりごりだ。
「キミの指導は、フローラがしているのか?」
「はい、母上――母に指導を受けております」
「はぁ、―――まだまだだな、シリル」
ちょっとしたミスでも父は煩い。
兄上はいつも父に直接指導を受けていたのかと思うと、本気で尊敬する。
「街で流行の茶菓子と同じものを作らせたんだ、お茶にしないか」
「――え?」
おだやかな顔の陛下の発言が、いまいち理解できなかった。
だが、訓練なんて誰もやりたいものじゃない、僕は目を輝かせる。
「いいだろう?リュミエール。それとも、何か特別な訓練でもしていたか?」
「いえ――今日は別段…ドレスの下にズボンを履きたいというので、もう暫くいつも通りの訓練をして慣れさせようとは思ってましたが」
「では、先に茶にしよう。クロウリー用意してくれ」
「かしこまりました。ですが、少しだけですよ」
「わかっているさ」
父は訓練場に付いている一室に行ったかと思ったら、お茶の用意のされたワゴンを押してきた。
いつの間にこんなのが用意されていたのか…あっという間にティーセットと菓子が机に並べられた。
「さ、遠慮せずに食べなさい」
「はい、頂きます」
「あ、美味しいですねこれ」
リュミエールは紅茶が用意される前に菓子に手を伸ばしていた。
丁寧な言葉遣いで接してくる割に、上下関係やマナーに関してはかなり雑だ。
いったいどうしてこんな人物が出来上がったのやら。
そう思いながら茶菓子に手を伸ばす。
クッキーの間に赤いものが挟まっている。
口に含むと、甘酸っぱい味がクッキーとあいまってなんとも美味しい。
「美味しい」
「そうか、よかった。もっと食べてくれ」
陛下はにこにことこちらを見つめている。
あまりにも見つめられ続けるので、どうにも困ってしまう。
紅茶と甘いお菓子、小鳥の鳴き声と木々のざわめき。
城から少しばかり離れたこの訓練場は、魔法の音が響かないとこんなにも静かだったのか。
ほうっと紅茶を飲むと、蕩けるように優しい瞳でみつめる陛下と目が合った。
「あの、陛下…」
「アルベルトと呼んでくれ。そんなに畏まらなくていい」
え、なんで?陛下呼び嫌いなの?そんなもんなのかな?
不敬にならないか不安になって父に目をやると、席に着いた父は眉間に深い皺を刻んでいる。
これは、言われたとおりにしたほうがいいのだろうか?
「なに、君は息子の友でクロウリーの子だ、あまりよそよそしくし無くていい」
「…はい、…あの、アルベルト様」
「なんだい、シリル」
名前を呼ぶと、なんとも嬉しそうに陛下が頷く。
子供としての扱いとはなにか違う、自愛というか、熱というかを感じるんだが…
何打この空気…。
「僕のこの訓練は、いつまで続くんでしょうか」
先日から気になっていたことを思い切って聞いてみる。
「――シリル」
「おや、シーラ。訓練に不満でも?」
父に咎めるように名を呼ばれ、びくりとする。
すみません、レディですね。はい、わかってます。
背筋をすっと伸ばして笑顔を作ると、まだまだ未熟な自分の中の淑女スイッチをオンにした。