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ハルノオト  作者: 深瀬 空乃
六章 それぞれの春の日
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儀式の先

「…………マコト、」

「どうしたの、ふたりとも」

 困り顔にふたりを見つめるマコトに、縋るようにして言葉をぶつけた。

「初めて会ったときに私に歌ってくれた『子守歌』、それと対になる『目覚め歌』────マコトなら、歌える?」

 マコトが目を見開いた。シュカがサヤカの問いに顔を上げ、期待するようにマコトを見つめる。

 永遠に思えるような一瞬が過ぎて、マコトが小さく頷く。シュカがほっとしたように強張ったからだの力を抜いた。冷たい風が髪を揺らし、未だ少し困惑しているマコトの視線をサヤカへ届けた。

「メイ様が来るまで待ってたら間に合わないの」

「……さっきの歌は、儀式ってこと?」

「うん。お願い、続きを教えて」

「……そんなに上手くないよ」

 本当はあんなに上手なくせに、とサヤカは思った。冷え切った洞窟で、サヤカにだけ聞かせるために紡がれたそれを思い出す。透明な歌声が、小さくサヤカの横で響き始めた。

 マコトの歌声を聞くのはこれが二度目だ。どちらも眠気を誘う曲だ、と言っていた目覚め歌は確かにやわらかく、やさしく響く。追いかけっこのように真似をして、旋律を紡ぎ出すサヤカにつられることなく、マコトはただゆっくりとその歌を紡いでいた。

 自分の中身が魔力で満たされていく感覚があった。いままで寒いと思っていた吹雪の中なのに、どこか体はぽかぽかと暖かい。分厚い雲の裏にはきっと月がいるのに、まるで木漏れ日の中で散歩しているような感覚ですらあった。音が跳ねて、歩いて、踊る。そのたびにゆっくりと、春が訪れる。漠然としたそんな印象があった。

 マコトの声が、だんだんと大きくなっていた。そうされて初めて、マコトの声をかき消してしまいそうなほどに歌に夢中になっていたことに気が付いた。シュカはただ黙って、その歌を聞いていた。

 マコトの声を追いかけているせいで少し拍子がずれているのにもかかわらず、目覚め歌はその美しさを保っていた。吹雪に、炎がはじける音に混ざり、サヤカの歌声は国中へと広がっていった。

 やがて歌は終幕へと向かう。和音を紡ぐようにマコトの声を追いかけて、存在しない楽団の楽器を思い浮かべて、サヤカは目を閉じた。シュカも、サヤカに教えるために歌っているマコトも、その声に聞き惚れていた。

 空気をめいっぱい揺らして、サヤカはまるで自分がなにかの楽器であるかのような澄んだ音を響かせた。シュカの手の中で眠っていた精霊がふわりと身を起こした。

 中に何もなかったはずのマントは、中の空洞にたしかな生命力をたたえながらふわりと浮かび上がる。マコトではなく、確かにサヤカの紡ぐ旋律にあわせてくるりくるりと身を翻した。目を瞑っているサヤカは、それに気が付いているのかいないのか、ただ歌っている。

 最後の音を、澄み切った声が歌い上げた。

 同時に、どこかの景色が流れ込んできた気がした。桃色に色づく大樹、聞こえてくる誰かの声、乗り越えてきた不安や絶望の残り香、繋いだ手のぬくもり────それは果てしない向こう側の、誰かの記憶。朧げなその景色に、思わずぱちりと目を開いた。

 吹雪は収まっていた。

 くるりくるりと楽し気に舞う春の精に、三人はそれぞれ見惚れていた。背後の階段から聞こえる足音さえどこか遠く、春の香りに溶けて消える。まるで踊るように、言祝ぐようにサヤカに近づいて、春の精が微かにサヤカに触れた。春のぬくもりがやけにはっきりと頬に残った。

 次の瞬間、風と呼ぶには強すぎるエネルギーがサヤカたちを吹き飛ばした。暖かで柔らかな力のくせに、春の精はマコトの点けた炎もなにもかも掻き消して、その莫大な力を解放する。柵も手すりもない、強いて言うならば柱と燭台だけが薄っぺらな屋根を支えているようなその場所から、サヤカの身は無情にも投げ出される。

 何が起こったかも全く分からないような一瞬のことだった。

 サヤカの腕が強く引かれ、さっきまで遥か遠くの地面に吸い込まれそうになっていた体はあるべき塔の床へと収まった。歌っている時の熱はどこへやら、一気にさっと血の気が引いたサヤカを、不確かな春のぬくもりじゃない、確かなぬくもりが包んだ。微かに視界に移るシュカはどうやら鐘を鳴らすための台座ににたたきつけられたようで、咳き込みながらも無事なようだった。突然の出来事に安堵の息をつく間も、なんなら驚く間さえなかった。

 サヤカの腕をひいたそのひとが、絞り出すようにサヤカの名を呼んでいた。

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