胸を砕け
広場まではすぐだった。広場の石畳の隙間にはところどころ夜光石が埋め込まれているようで、足元すらも青かった。水の中にいるような錯覚に陥るほど、夜の光に包まれていた。
「──サヤカ」
「なあに」
「時計塔、すごく綺麗だよ」
マコトがサヤカの隣で、ゆっくりと指先をそれに向けた。町を見守るように淡く光を放つ時計塔は、昼間サヤカが思った通りに青く光っている。夜光石が冬の風を染め上げていた。サヤカは、マコトの言葉にこくりと頷いてから、マコトに向き直った。
「ねえ、マコト」
「うん、どうしたの?」
「私ね、マコトは立派な騎士だと思う」
その言葉に、マコトは眉を潜めた。まだ、その話を持ち出すのかと言いたげだった。ただ、サヤカは今度は、わかったうえで続けた。
「シュリちゃんに協力したんでしょう」
「……話は、聞いてたよ」
「シュリちゃんを見逃して、シュリちゃんを守ったんでしょう」
「…………そうだね」
「それじゃあ駄目なの?」
マコトは、今度は声を荒げたりしなかった。サヤカがすべてわかったうえで聞いていたのもあったのかもしれないし、もしかしたら眠かったのかもしれない。それとも夜光石の幻想的な風景に呑み込まれていたのかもしれない。
「僕は、僕としてシュリさんに味方した。騎士として、このお方と決めた方に背いた。それで騎士としての未来は途絶えたんだ。騎士としての僕は、きっとあの晩死んだ。──ただ、シュリさんを助けたことの後悔はしてないよ」
「私のことは?」
「……サヤカのこと?」
「狼から守ってくれたことは?」
何を聞かれているのかわからない様子だった。サヤカ自身も、自分が何を言っているのかはよくわかっていなかった。ただ、伝えたいことがある。ひとからひとへ、何かを伝えるのには、結局言葉を使うのが一番楽なのだ。
「助けるのは当然のことだって言ってたけど、誰にとって? 騎士として?」
「……あのときは。……騎士、として」
「それじゃあ、マコトは騎士だよ」
マコトはさらに眉を潜めた。風が吹いて、サヤカの髪をふわりと揺らす。
「誰がなんて言ったって、私にとって、マコトは立派な騎士だよ。……昨日も言ったかな、これ」
サヤカが、にっこりと笑ってマコトに手を伸ばす。冷えた頬に、ぴたりとその手をつけた。マコトのほうが少しだけ暖かかくて、その冷たい手に熱を吸い取られる。また吹いた寒風に、サヤカのもう片方の手が少しだけ震えていた。夜光石のランプが揺れて、街が揺らいでいた。
マコトがそっと、サヤカを引き寄せる。ローブを大きく広げて、ふたりぼっちの天幕を作り上げていた。誰もいない広場の天幕の中で、囁く。
「国の認める騎士様には、もうなれないのかもしれない。私は、そういう細かいことはわからない」
「……うん」
「でも、私にとっては、会った時からマコトは騎士様だったよ。いつも守ってくれて、私の怪我も気にかけてくれて、凄く嬉しかった。マコトがいつか仕える主は幸せ者だなって思ってた」
「うん、ありがとう」
マコトの声がかすかに揺れた。目を伏せ、サヤカの手に頬を預けている。サヤカはもう一方の手も差し出した。ひやり、とマコトを閉じ込めるように両手を頬につけた。マコトはサヤカの背中に手をまわして、自分のローブの中に彼女を引き寄せていた。
明日の朝になったら、恥ずかしくて死んでしまいたくなるかもしれない、とサヤカは思った。
「シュリちゃんも守って、ほかの女の子も守って、私もあなたに守られてる」
「うん」
「…………国から与えられる称号がもらえなくなるのは、本当につらいことなのかもしれない。私にはわかんない、けど」
「サヤカ、」
「だけど、私にとってはすごく、すごく、」
「なんでサヤカが泣くの」
気がついたら、ぽろぽろと涙が流れ落ちていた。石畳にどんどん、サヤカの悲しみは吸い込まれていく。
「……マコトが悲しい思いしてるのが耐えられなかったんだよ。あんなに格好いい騎士様なのに、どうしてみとめられないのって」
「……主を守れなかったからだよ。主君を守れない剣はいらないんだ」
「だけど、マコトはみんな守ったんだよ。シュリちゃんも私も、みんな」
ずるずるとしゃがみこんで泣き始めたサヤカに、マコトが同じようにしゃがみこむ。自分のローブの中に閉じ込めたまま、その透明な雫を見つめていた。自分以上に、自分のことをこんなに見てくれているなんて。
「僕の代わりに泣いてるの?」
「わかんない」
「ありがとう」
「うん」
ただ、考えすぎて疲れてしまっただけだったのかもしれない。最近いろいろなことがありすぎて、疲れていただけなのかもしれない。それでも確かに、サヤカはマコトのために泣いていた。マコトが控えめにサヤカを抱き寄せる。星がちかちかと瞬いていた。
ただ、泣きたかっただけなのかもしれないな、とマコトは思った。自分が夢破れたことを認めたくなくて、ずっと逃げ回っていたけれど、ただ夢破れたことに泣いて、悲しんで、立ち止まればよかったのかもしれない。
でもそうしていたら、この感受性が豊かで、人のために丸一日考えて考えて、涙を流してくれるようなこの子とはきっと出会えなかったのだ。それなら、もういい気がした。
「これで良かったんだよ」
「……え?」
「サヤカと出会えたし、シュリさんは守れたし、全部これでよかったんだ。昨晩は怒鳴ってごめんね、サヤカ」
サヤカはふるふると首を振る。
「あれは、私がしつこかったのが、だめ」
「お互いさまってことでいいでしょ」
サヤカが、自分のネグリジェの袖で涙を拭う。小さくこくりと頷いた。
「──風邪ひくよ。戻ろう、サヤカ」
「…………うん」
マコトの大きな手が、サヤカの手を引く。来た道をゆっくりと戻るだけなのに、なんだかとても惜しい気がした。永遠のような一瞬だった。




