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ハルノオト  作者: 深瀬 空乃
三章 迷い路
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夜景を背に

 真っ暗闇の世界で、ぱちりと目を覚ました。

 燭台の炎は消えていた。魔法としての力が尽きたのか、蝋が尽きたのかはわからないけれど、とにかく部屋は真っ暗だった。サヤカは覚醒していない頭のままに、寝台からゆっくりと這い出る。そして靴を履いた。毛布から飛び出していたらしい手先は冷え切って、もう片方の手との温度差が激しかった。

 かつり、かつりとささいな足音が立つ。レースのカーテンの向こう側には、小さな嵌め殺しの窓がついていた。シュリを起こしてしまわないよう静かに、カーテンを開ける。ちょうど大きな月が出ていて、窓から月の光が差し込んでいた。ただその景色を見ていたサヤカは、何を思い立ったのかくるりと踵を返す。

 降ろされたその長い髪が、サヤカが歩くのに合わせてゆったりと靡いていた。なんとなく来ていたネグリジェも、ふわりとした部分がサヤカの残像のように空間を切り裂いていく。サヤカはやがて、部屋の扉へとたどり着いた。

 錆びた銀色のドアノブをゆっくりと回す。それから、鍵代わりにつっかい棒がなされていたことを思い出して、それをゆっくりと外した。シュリが身じろぎするたびに動作を止めて、彼女が起きていないかを確認する。

 サヤカは何度かそれを繰り返して、ようやく廊下に立っていた。襟巻だけでも持ってくるべきだったかな、と肌寒さに後悔する。目の前にある木の階段を一段一段降りながら、サヤカは出口へと向かう一番短い道のりを考えていた。途中でふと思い立ち、マコトとミコトのいる部屋の近くで立ち止まる。

 起こそうなんて気はなかった。ただ、一応念のためと聞いていた部屋の前を通るだけ、通るだけだ。出口に向かうには、角の部屋であるマコトの部屋は遠いけれど、少し気が向いただけだ。そんな言い訳を自分にしながら、少しだけ期待を胸にサヤカは足を進めた。燭台もランプもない真っ暗闇を、記憶と月明かりを頼りに歩いた。

 彼らの部屋の近くまで来た時に、少しだけ声が聞こえた気がした。けして大騒ぎしているわけでもなんでもなく、ただひそひそと話しているだけの声。扉の隙間から揺れる光が漏れているそここそが、マコトとミコト二人が泊まっている部屋である。

 サヤカは魔が指したように、吸い込まれるように、その扉をノックした。

 扉が、音を立てないようにゆっくりと開く。燭台を片手に中から出てきたのはミコトだった。炎と、赤い瞳が同じに見える。ミコトが、揶揄うように言った。

「なあんだ、夜這いかと思った」

「ごめんね、シュリちゃんじゃなくて」

 少しだけ眠そうなミコトの瞳が、後ろに控えていたらしいマコトを視線で呼ぶ。シャツにズボンだけと、大分適当な格好で出てきたマコトが、燭台を交代で持たされていた。

 金色が宵闇に映え、黒色は熔けていた。対して夜に映えるサヤカは、月明かりに背後から照らされている。

「どうしたの、こんな遅くに」

「……目が覚めちゃって。散歩でもしようかなって」

「僕も行くよ」

 話を聞いていたらしいミコトが、部屋の奥からひょっこりと現れた。燭台を片手で回収した後に、マコトのローブを手渡す。それから、「おやすみ、サヤカ」と言って去っていった。サヤカはぼんやりと笑って、手を振り返した。

 立て付けの悪い扉をゆっくりと閉めた。廊下を照らすのは燭台ではなく、マコトが首にかけていた方位磁石の夜光石である。かつり、かつりと静やかに鳴る足音はふたつに増えた。

 宿の夜警が、ふたりに気が付いて小声で要件を問う。眠れなくて散歩に、と言えば快く扉を開けてくれた。ふたりは一歩、冬の夜に踏み出した。

 昼間、民家の間に吊るされたランプだと思っていたものは、炎ではなく夜光石の嵌めこまれたランプだった。淡く光る青色で、メルバルの町は満たされている。夕暮れよりも激しく、朝焼けよりは優しく、世界は光に包まれていた。

 あんなに賑わっていた通りも、こんな夜遅くに出歩いている人はいなかった。遠くに見える門は閉まっていて、町が世界から遮断されていた。マコトは眠いのか、それとも夜光石に見惚れているのか、サヤカが歩くのに黙って着いて来ていた。

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