騎士の矜持
足音と気配を殺して、ゆったりと岩場に近づいた。一番最初に出入り口らしきものがあるかを確認したのはナフェリアで、岩場の横で縮こまっていた二人ににやりと笑って見せた。目にも止まらないような素早さで二人のところに飛んで帰ると、「お手柄だよ、サヤカ」と囁いた。
「大当たりだ。人の気配もする、もしかしたら入り込めるかもしれない。ただの旅人かもしれないけどね」
まあそれはないだろう、とナフェリアが軽い口調で言った。気配を隠しているそれこそが疚しいことがある証拠だ。幾度となくこういった仕事をこなしてきたナフェリアにはよくわかっていた。
「とりあえずあたしが様子を見てくるから、ふたりはもしものために、地図でシュカの家までの最短経路を探しておいてくれ。あたしの追ってる悪党だとして、うまくいけばそのまま子供を奪還するし、無理そうなら偵察だけで帰ってくるさ」
「あれ、町には戻らないの?」
「ああ。子供たちの体力も、時間も不利だ。偵察だけするから、勿論絶対に見つからないようにするけど……万に一度発見されたら次はないし正面突破の奪還に切り替える。もしいけそうなら、なんとか奪還しちまうよ。そんときゃ騒ぎになるから、身を隠すか一緒に逃げるかだ」
「ひとりで平気? 僕も行こうか、子供は何人」
「ふたり。アルジュとマナだ。実はね、面識があるんだ。ふたりともあたしに懐いてるし、二人とも抱きかかえたって逃げちまえば勝ちだ。足には自信があるんでね。マコトはこっちでサヤカの護衛を頼んだよ、ここは悪党の根城の近くだ。子供を攫った奴らじゃなくたって、危ないことには変わりない」
「……了解、わかった」
「まって、足跡は? 私たちがここにいるってわかるよ」
「だから危ないって言ってるんだろう。シュカが今晩は雪が降るって言ってたけど……いまが一番危険だ。運が悪きゃそのまま遭遇する。子供たちの奪還後はいい、いざとなればあたしの水で攪乱するさ。雪ごとね」
辺りはすでに薄暗くなっていた。サヤカとマコトの質問を軽く受け流し、詳細を説明したナフェリアは、にっこりと笑った。心配そうなサヤカが、緊張した面持ちで彼女を見返す。夕暮れの残滓がナフェリアの黒髪を照らした。
「最悪、今晩に合流できなかったら。三日後の朝にアルトンの飯屋で会おう」
それだけ最後に囁いて、ナフェリアは身を翻す。彼女の去った後には、足跡ひとつ残っていなかった。
マコトが、シュカの家までの最短経路を導き出すのには数分もかからなかった。森の状況的に、暗くさえなれば何とかなるだろうと判断する。ナフェリアはシュカの家に向かうことをはっきり明言していたので、彼と何か話をしたのかもしれない。
ナフェリアの話では、一番大きな岩と岩の間に、なにやら地下に潜る洞窟があるようだった。地形を見ただけでわかるのかと感嘆したサヤカらはいま、一番大きな岩のほかにもごろごろとしている大岩の影に座り込んで息を潜めている。森の夜は静かだ、星が瞬く音が聞こえるくらい。だから、それにいち早く気が付いたのはマコトだった。
とっくに地図を仕舞いこみ、いつでも剣が抜けるようにと待機はしていた。ざくりざくりと足音が響いて、マコトはぴしりと体を硬直させる。その緊張感に続いて一拍遅れて、サヤカも息を止めたようだった。頼む、只の旅人であってほしい。ここにマコトたちがいることに気が付かず、洞窟の存在にも気が付かず、ただただ去っていってほしい。ナフェリアに強く言われたせいもあり、二人とも緊張感が絶頂に達していた。お互いの息遣いが気に障るほどに、音を殺した。
サヤカの鞄についていた方位磁石が風に揺れ、運悪くにマコトの腰の剣にコツリ、と触れた。普通ならば聞き逃してしまうようなそんな小さな音にも、近付いて来ていた旅人は反応した。
「……誰かいるのか?」
怒気を孕んだようなその声に、サヤカが身を竦める。
気配は、明らかに敵意を注いできていた。どうするべきか、とマコトが思案しているうちに足音は進路を変えたようだった。悪党の一味か、それとも旅の賊か。わからないが、どちらにしたって良いものではないのは確かだ。
(──サヤカを守るって言ったのは、僕じゃないか)
視界の隅、近くにいる彼女は、かすかに月明かりに照らされている。気丈な顔をしているが、自身の襟巻の裾を握りしめている手が震えていた。正義感にあふれて、お人好しが具現化したような彼女は、戦いに慣れているわけではないのだろう。直接的な身の危険は、きっと知らない。そしてきっと、ひとりじゃないからこそ下手に動けないのだ。正義感のまま走り始めてしまう癖はあるようだけれど、サヤカはそのままでいい。僕がいる限り、僕が守ろう。……森でした約束は、そういうことじゃないのか。
たとえ、見習いでしかなかろうと。そして永久に、見習いのままであろうと。騎士の道に足を踏み入れたものとして彼女を守らないなど論外だ。
「……動かないで、ここにいて」
囁かれたその声に、サヤカは目を見開いた。




