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ハルノオト  作者: 深瀬 空乃
二章 正義感
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正義感、その他

「あっ、ナツ!」

 桶の水を担ぎながら小屋へ戻ってきたナフェリアを出迎えたのは、手持ちであろうパンを木皿に並べるサヤカだった。暖炉の世話をしていたのはマコトで、木の燃える匂いが鼻腔をくすぐる。見る限り、小屋の外にふたりの足跡はなかったから、おおかたあの薪はサヤカの魔法だろう。彼女は自分の魔法を雑用にばかり扱っているな、とナフェリアはほろ苦く笑った。別にそれが良い悪いとは言わないが、魔法がうまく扱えないナフェリアからみればひょいひょいと魔法を扱う彼女はうらやましい。

 ごとりと元あった場所に桶を運んだナフェリアは、自分の荷物からも何か食材を出そうと鞄へ向かった。

 サヤカはまだ少し申し訳なさそうだったが、ナフェリアに対して特別委縮するなど、そういったことはみられない。ナフェリアとしては正直、あんな話ごときで気に病まれるほうが心苦しい。落ち着いたようでよかったと、他人事のように思った。

 じきに家に戻ってきたシュカを交えて、質素な朝餉が始まった。「僕の分は」と謙遜する彼を半ば無理やり卓につかせる。そんなナフェリアを見てふたりは多少驚いたようだったがナフェリアは一切気にしていなかった。

 吹雪はこの前と同じように、一晩で去ったようだった。少しは寒くなくなったな、とナフェリアは思う。

 リチアドは、季節の隙間はほとんど同じ温度だ。春から夏の間、夏から秋の間、すべて。季節を司る精霊に関係しているというのは聞いたことがあるが果たしてどうなのだろう。ゆるやかに消えゆく冬の気配が例年と同じであることだけ、ナフェリアは意識した。冷えたパンは固く、よく言えば噛み応えがあった。


 どう考えたっておかしいだろう、とナフェリアが昨日と同じ台詞を吐いた。

 マコトのもつ方位磁石が指し示す、サヤカたちが向かっている方向は紛れもない北西。要するに、ナフェリアの進む位置である。ここでの別れを想定していたであろうナフェリアは、何とも言えない表情を晒しながら顔を手で抑えていた。寒さに赤く染まった頬が、黒い手袋と対比する。

「私、ナツの手伝いがしたい」

「昨日のことを気に病んでるのかい? 本当に、ほんとに、気にしてないからね。そもそも気にしていないからね」

「違う。…………きっかけはそうなんだけど」

「理由を聞かせておくれ、細かくね」

 サヤカはナフェリアのその言葉に、こくりと頷いた。マコトがサヤカの後ろに控えていた。

「私ね、ナツは何でも一人でやりすぎだと思うんだよ」

「…………はあ」

「その理由がたぶん、昨日話してくれたことだと思う。だけど、今回は私たちが一緒なんだから、私たちを頼ってもいいと思う」

「そんな堅い喋り方じゃなくたって怒らないし、怒ってないって。……気持ちはわからなくはないがね、それであんたたちに得はないだろう」

「僕たちは……少なくとも僕は、損得で人間関係作るわけじゃないよ、ナツ」

「マコトとも話したの。ちょっとお節介すぎるかもしれないし、私は戦えないから何の役にも立てないかもしれないけど……連れてってほしい。……人手があって困ることはないでしょう?」

 サヤカは、話しながらひやひやとしていた。自分の中でも、意見はまとまりきっていない。これでは、正義感のはしくれだけを引っ張ってきて、周りにある感情をただただ投げつけているだけだ。流石に旅をするのに最低限必要な程度の身のこなしは身に着けているけれど、ただ魔法を振りかざすしか戦うすべを持ち合わせていない自分がその場にいたところで何もできないのも目に見えている。

 一晩、サヤカはナフェリアのことについて考えた。自分が場の空気を悪くしてしまったのも勿論だが、どうしてこうも飄々としていられるのか気になったのだ。自分が往生際悪く机上の空論を展開させている間に、ナフェリアはそれを軽く飛び越していく。その身軽さがうらやましくて、考えたのだ。

 行きついたのがどうしてこの結論なのか、サヤカに理論の道筋はわからない。猪突猛進に走り抜けた先にあった結果だ。マコトに相談こそしたが、マコトは頷くばかりだった。

シュカの家を出た後すぐに、歩む方向に違和感を感じたらしくふたりを呼び止めたナフェリアはやはり鋭い。唇をゆがめて話を聞いていた彼女は続けた。

「確かに、人手があって困ることはないけど……いや、隠密行動では困るか」

「うっ」

「今回あたしは、潜入して子供だけ助けてこようと思うよ。サヤカ、あたしの邪魔せずについてこれるかい? 一昨日風呂で見たけどさ、あんた手首ひねったか、折ったかしてるだろ。それに、あんたは暴徒相手に戦えるのかい」

「……魔法でなら」

「…………まあ、魔法を使ってるとこは見てたけどねえ。足手まといにはならない、か」

 ナフェリアは一瞬鋭い目をした後に、挑戦的でいてやわらかな微笑みでそう言った。森の静けさを恨めしく感じるほど、答えに詰まったサヤカとナフェリアの会話の空白は目立つ。ナフェリアの物言いは的確で、容赦がなかった。

「そのマコトもさ。騎士見習いって言ってるけど、音を殺して動けるかい? あたしはこれでも仕事には真摯なんだよ」

 そのほかのことにだって真摯でしょう、とは言えなかった。言葉に詰まったように眉をひそめ、金色の瞳を伏せたマコト。左の二の腕を右手で握りしめ、何かに耐えるようにふるわせている。一瞬そっちに意識が吸い込まれ、サヤカは会話を忘れた。

 透明な空気でさえ冬化粧を施したような錯覚に包まれる。挑戦的なナフェリアの表情は逆光でよく見えなくて、余計に雰囲気を増していた。

 神妙な空気を壊したのは、ほかでもないナフェリアだった。サヤカよりも低い声を保っていた彼女が、こらえきれなくなったように笑い出す。木々の間をすり抜けてどこまでも広がっていくような笑い声に、サヤカとマコトは驚いて目を見開いた。

 ナフェリアの、青空を閉じ込めたような瞳が輝き、艶やかな黒髪が面白そうに揺れた。勢いよく湧き出す噴水のような一瞬の笑いに、置いて行かれる。

「冗談だよ、じょうだん」

 彼女は眉を下げたまま、にっこりと笑って見せた。まじろぐサヤカに、ぴたりと冷えた指を突き付けた。

「ありがとう。ここはあんたらに甘えて、手伝ってもらうとしよう」

「……! ほんと⁉」

「ああ、もちろん。……正直言ってねえ、薪集めが必要ないのはありがたいんだよ」

「えっ」

「なんてね。サヤカは騙されやすいみたいだねえ、マコトが気を付けててあげなくちゃ」

「ナツ、さては悪戯好きでしょ……」

「まあね」

 揶揄われ、ぷくと頬を膨らませたサヤカ。柔らかそうな肌が空気を孕んで膨らむさまが気になったのか、隣からマコトの指が伸びてきてそっと触れた。サヤカは、柔らかに沈む指の感覚にため込んでいた息をゆっくりと吐く。唇の間から漏れた息が森に白く溶けて、マコトが少し笑った。

 その様子も、まるでふたりの兄妹を見守る母親かのように眺めていたナフェリアが、落ち着いた口調で言った。

「まあ、報酬は払えないしただで働かせることになる。そのうえ身の危険も伴うけれど、本当にいいのかい? お人好しからくる口先だけの御託なら、今身を引いておくれ」

「マコトとも話したし、私はナツと行きたい」

「僕も同意見だったし、かまわないよ。攫われた子供を助けるのに正義感以外の理由はいらないだろ?」

「たいへん格好いい台詞だねえ、マコト」

 ナフェリアは、マコトをそう揶揄った。

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