見舞い・体温・逆行
(ランダムお題で出た3つを使って書いた短編です)
「おはよう、時宮。何しに来たの?」
病室のベッドで横になる少女が、不機嫌そうに身体を起こす。
「お見舞いに決まってるだろうが。ほら、お前の好きな、温めたオレンジジュース持ってきたぞ」
俺はまだ暖かい魔法瓶の蓋を開けて中身をコップに注ぎ、
湯気の立つコップを少女へと手渡す。
「・・・ちょっと温い。10秒温めるのが足りないんじゃない?」
コップに口を付けながら、少女が愚痴をこぼす。
「こないだは熱すぎって言ってだろ」
「そう? じゃあ持って来る間に冷めたんじゃないの?」
「かもな」
俺はベッドの横に置かれた椅子に腰を掛けて、
少しづつジュースを飲む少女の姿を眺める。
「何、人が飲み物を飲む姿凝視してるのよ。そういう特殊性癖か何か?」
「あ? なんだよ恥ずかしいのか? 髪の毛ボッサボサのくせに今さら視られてマズイ姿があんのかよ」
「見るな、ばーか」
罵倒の言葉を投げかけながら、少女は俺に向けて体温計の入ったケースを差し出す。
相変わらず、言動が一致しない奴だ。
「はいはい」
仕方なく、俺は体温計の入ったケースを受け取る。
彼女、芽映黒和は、原因不明の病気を患っている。
発症したのは2週間前。
突然、左腕が動かなくなったらしい。
なので、飲み物を注ぐのも、体温計で熱を測ってやるのも、誰かが手を貸してやらないといけないのだ。
「体温測るから、腕上げて腋を出せ」
「変態・・・」
「お前の腋はもう見慣れてるから諦めろ」
「ばか、ばか、変態」
黒和は嫌がりながらも、半袖のパジャマを捲り肩を露出させ、腋を開く。
「ねぇ、そういえば明日、転院するって聞いたんだけど」
「ああ、俺も医者から聞いた」
黒和の腋に、体温計を挟む。
「隣街の大きい病院に移るんだって。私ヤバイの? もしかして死ぬ?」
「多分死なないぞ。残念ながらな」
俺達は冗談っぽく笑いながら会話を交わすが、
正直に言えば状況はあまり良くない。
俺は医療の事は良く分からないが、突然片腕が動かなくなるなんて、相当ヤバイ病状だろう。
「そう。私、残念ながら死なないのね」
ピピッと体温計が鳴る。
「体温は・・・36度9分。ちょっと高くないか?」
黒和の腋から体温計を抜いて、表示される温度を読み上げる。
「温かいもの飲んだから体温上がったのよ。あと、時宮がジロジロこっち見るせい」
「なんだ、照れてんのか」
「・・・」
珍しく、黒和は悪態をつかずに黙り込んでしまった。
「どした? 何も言い返さないなんて珍しいな」
「え? いや、ちょっと考え事してたの。
・・・どうして、時宮はこんなに私の世話をしてくれるのかなって」
「友達だからに決まってるだろ」
俺と黒和は、別に恋人でも何でもない、ただの友達である。
少なくとも2週間前まではそうであった。
そして今も、恋人ではない。
「嘘。友達がこんなに付きっきりで看病してくれるわけ無いでしょ。
私に両親がいないから? 私が一人でいるのが寂しいと思ってる?」
「いいや。もし仮に、お前の両親が生きていたとしても、俺は毎日お見舞いに来てるよ」
「そっかぁ。つまり、私そんなに惚れられてるのかぁ。なんか恥ずかしいかも」
黒和はくすくすと、なんだか癪に障る笑みを浮かべる。
「自惚れるな」
「え、なに? 愛してるって?」
「おっと、ついに耳まで悪くなったみたいだな。ナースコールは何処だ? 早く知らせないと」
「うん、私、耳悪くなっちゃったみたい。もっと耳の近くで言って?」
「・・・聞こえてるだろ」
そんなに言うなら、耳元で大声出して鼓膜を突き破ってやろうか。
いや、息を吹きかけてやるもの良いかもしれない。
などと策略しつつ、椅子をベッドに寄せて黒和に近付く。
「ほら耳を出せ」
その時、
黒和の右手が俺の後頭部を捕らえる。
そして、逃げ場を失った俺に、黒和の顔が迫り。
「黒和っ・・・!?」
黒和に口を口で塞がれる。
「んぅ・・・ぷはぁ・・・」
唇と唇が擦れ合い、やがて名残惜しそうに離れていく。
「黒和、お前・・・」
こいつ、キスしやがった。
「・・・ねぇ、時宮?」
黒和は、照れた様な、満足した様な、なんとも言えない嬉しそうな表情を浮かべている。
俺がどう反応すればいいのか迷っていると。
「もう、良いよ。私の事を助けようとしてくれなくても」
そんな事を、言い出した。
「・・・俺はお前の為じゃなくて、自分がやりたいからこうしているだけだ」
「ばか。嫌い。私、時宮の事なんてきらーい」
「あ? そうか、じゃあもう帰るわ」
俺が立ち上がろうとすると、黒和に腕を掴まれる。
「待って。もっかいキスしよ?」
こいつ、バカだ。
「遂に頭まで病気でやられたか」
「ほんと嫌い。嫌い嫌い嫌いー」
嫌い嫌いと言いながら、黒和は俺に抱き着いてくる。
「・・・全く」
(もう、良いよ。私の事を助けようとしてくれなくても)
彼女がさっき口にした台詞が忘れられない。
それがどういう意味なのか、彼女はどこまで分かっているのか。
けれど、もし彼女が全部知っているとしても。
俺のやる事は変わらない。
***
それから5日後、黒和は息を引き取った。
本当に何の前触れも無く、唐突に亡くなった。
最後まで、原因は分からなかった。
俺は、ポケットから取り出した安い腕時計をじっと見つめる。
回る秒針をじっと睨み、時間の流れイメージしながら、その時間を待つ。
もうすぐ、その時間がやってくる。
俺は腕時計を床に置き、そして右手に金槌を握る。
神経を研ぎ澄ませ、「それ」が再使用出来るようになる時を待つ。
後、数秒だと身体で感じる。
「・・・悪いな、黒和」
そして、俺は金槌を振り上げ、腕時計を粉々に叩き潰した。
***
何度、時間を逆行させただろうか。
一体、何の為に時間を逆行させているのだろうか。
彼女を救う為なのか、それともただ彼女に会いたいだけなのだろうか。
もう、自分ではわからない。
俺の力では、たった一週間しか時間を逆行出来ない。
彼女を救うには、時間が足り無すぎる。
それでも、俺はこれを止めるつもりはない。
「おはよう、時宮。何しに来たの?」
病室のベッドで横になる少女が、不機嫌そうに身体を起こす。
「お見舞いに決まってるだろうが。ほら、お前の好きな、温めたオレンジジュース持ってきたぞ」
俺はまだ暖かい魔法瓶の蓋を開けて、中身をコップに注ぎ、
湯気の立つコップを少女へと手渡す。
「・・・熱い。やけどしちゃう」
そう言って、黒和はべーっと舌を出しながら笑うのであった。