愛おしい日々 2
里には、大陸の中で一番最初に秋が訪れる。
吹く風に彩られる様に、木々が紅くその葉の色を変え、来る冬そしてその先の春に向けて実を落とす時期。
へリアンは5歳になっていた。彼女は家の手伝いや勉強もそこそこに、何冊かの本を持って里から、森をぬけ、小高い丘を上る。
赤い絨毯は踏むとこぎみ良い音がして、少し寄り道をしながら少女はその白い神殿へと辿り着く。
彼女のお目当てである葵色の竜は、湖で水浴びをしているところだった。少女は万が一にも、大切な本を濡らさないように神殿の入口の階段へとその本を置いて、竜の方へ向き直る。
そうして、湖のギリギリまで駆けていき、大きな声でその竜を呼ぶ。
「りゅーーーーうさあーーーーーん!!あっそぼうーー!!!」
(うるさい・・・)
その声に竜は振り返ると、尻尾でその小さなエルフに水を掛けてやった。ちょっとした意地悪のつもりが、彼女は水遊びだと喜んではしゃぎ回る。あての外れた竜は、大きなため息を吐きながら、その小さなエルフに頭を寄せる。
「ヘリアン、ここへ来ては行けないと何度言えばわかるんだい?」
「それをまもるかどうかは、またべつなの!」
フフンと得意気な顔で生意気を言う少女が鬱陶しく、もう一度水を被せる。けれど、彼女にそれは効かない。
少女は仔犬のようにブンブンと頭を振って、水を落としたあと、水分を含んだままの三つ編みにした髪の毛を両手でぎゅっとしぼる。ぱたぱたと足元に水が落ちるのを眺めながら、少女は静かに訊ねる。
「どうして、あたしはここへきちゃいけないの?」
「お前が、族長の娘だからだよ。」
「わかんない。」
「・・・ここは、精霊の守護する森だ。たしかに外の多くの場所に比べて、安全だ。けれども、私がお前を殺そうとしたら、ここにいる誰もそれを止められはしない。」
「りゅうさんは、あたしをころしたいの?」
「・・・そういうことではない。」
竜は苦いものを噛み潰したかのような顔で、少女を見下ろす。
まだ健気に水を絞っている姿を見つめて、小さくため息をついた後、少女を鼻先で小突く。すると、柔らかな白紫色の光がすうっと少女を包み込み、直ぐに消えた。
「わぁ!すごい!すぐにかわいたよ!!」
ただでさえまん丸い目を、そのガラス玉のような瞳がこぼれ落ちるんじゃないかという程開いて、彼女は嬉しそうに言う。そうして、クルクルと回って全身が乾いていることを確認すると、こちらを見て満面の笑みを零す。
「さあ、もうお戻り。」
「やだ。」
「・・・。」
どうしたものかと、考えあぐねる竜は、少女がここへ来てすぐに神殿に置いていった本のことを思い出す。それで合点がいった。
「本を読んでほしいの?」
「・・・うん。」
「・・・・・・・・・1冊だけだよ。
残りはまた明日ね。」
結局、私が彼女に教えたいエルフと竜の境界線など、この少女の前には無意味なのだ。この拗ねた顔まで愛らしい少女の、喜ぶ顔がそこそこ好きな私は、結局甘やかしてしまう。
私はこの少女の魔力に惹かれてこの地に降り立った。そうして、少女の誕生に立ち会い、名を授けた。
<ヘリアントゥス>古き言葉で、ひまわり。
その髪色と咲き乱れていたひまわり、何より私の大好きな花だ。
「あしたもきていいのっ?!」
「いいよ。その代わり、一日に1冊だけ。
お勉強もお手伝いもきちんとすること。
守れるよね?」
「まかせといて!らくしょーだよ!!」
にぃっと笑うと少女は、右手でピースを作って突き出して見せた。一体そのポーズになんの意味があるのかと少し笑った。
そうして、神殿まで走った少女が持ってきたのは、植物図鑑だった。
「あのね、ここみて!ここ!!」
「待って、そのままだと、濡れるから。」
本を抱えたまま湖に飛び込みそうな勢いで駆けてくるヘリアンをどうにか押し留めると、神殿の入口の階段に腰掛けて待つように伝えた。そうして、水から上がると少し考えたあとでそうすることに決めた。
初めてだけれど、ほかの竜がやっているのは何度か見たことがある。まあ、できるだろう。
少し意識をして、魔力を集める。里の大人達を思い出して大きさを調整する。
竜の周りを灰色がかった紫色の魔力が覆う。少し時間をかけて、それは小さくなりちょうど大人のエルフや人と同じくらいの大きさになった。
灰色がかった紫色の髪の毛は腰まであり、赤紫色の瞳は竜の時と変わらない。服装は、里の女たちがよく着ていたものを参考にした。白と青の伝統的な服装。
1歩足を踏み出して、それが意外とバランスを取りづらいことを知る。ようようのことで、前進むと、ヘリアンが駆け寄ってきて、私の顔をのぞき込んだ。
「・・・りゅうさん??」
「そうだよ。」
「すっごおおおい!!!人にもなれるの?!?!」
「まあ、姿を真似るだけならね。それに、人と言うよりはエルフだよ。」
髪をかきあげて耳を見せると、少女は嬉しそうに腕に抱きついてくる。
「おそろいだね!!」
「あぁ、そうだね。」
「でも、おっぱいはぺったんこなの」
「・・・必要かな?」
「ん?んん??なくてもこまらない??」
少し難しい問題だったようで、へリアンは小首を傾げる。傾いた頭が首から落ちそうで、そんなわけはないのにヒヤヒヤする。
ヘリアンは、私の手を握るとグイグイ引っ張って階段へと腰掛けさせる。
そうして、私の前に仁王立ちで立つと、例のページを開いてみせた。
「ここ!このおはな!なんていうの??」
彼女の指さす先にあったのは、よく見る花。
絵の下に、花の名前が書いてある。
「アルセア・ロセア。」
「アルセア・ロセア?」
「そう、少し明るい紫色の花を咲かせる植物だね。」
「これね、りゅうさんにとってもにてるとおもうの。」
へリアンは興奮した面持ちで言う。すると、いい事を思いついた!と、私の両肩を掴むとこう言った。
「ね!りゅうさんのなまえ!!アルセア・ロセアにしよう!!!」
ふと、目が覚めると、夜も深い時間だった。
懐かしい夢を見たなと、夜空を見上げる。相変わらずの星空で、私は静かに笑いをこぼす。
そう、私に名前を与えたのは彼女だった。本来それは主従の契約で、無条件に働こうとする加護の矛先を、この神殿に変えるのには相当苦労した。今となっては笑い話だが、そこそこ辛かった。
さあ、もう1度眠ろう。いまならまた夢の中で彼女と一時を過ごせる予感がする。