エルフ族の隠れ里
あれよあれよと言う間に、噂が噂を産み、尾ひれに背びれまでついてしまい人々は口々にこう言った。
『ヘリアン様が結婚するらしい。もう子供もいるんだって!』
ヘリアンは、人の姿を取ったままの私に抱きついて離れない。彼女がけっして手を離さないせいで、私まで族長たちと商隊の隊長と、黒髪の青年、ヘリアンの話し合いの場に引きずり出される形になった。
緊急に張られた天幕の中は異様な雰囲気で、じんわりと汗ばむ温度も相まってみんななんだかカリカリしているようだった。
ヘリアンが、堪らず弁明する。
「なんっにもないから!!!放っておいてよぉ・・・」
朝から色んな人に聞かれ、問い詰められ、否定されても信じてもらえず、挙げ句公開処刑のような形の現状にへリアンはとうとう泣き出してしまった。
途端、天幕の中の空気がググッと冷え込む。泣きじゃくるヘリアン以外の全員が、それがアルセアの怒りによるものだと感じ取り、余計に押し黙ってしまった。
「ヘリアン。泣かないで、大丈夫よ。」
「だってぇ・・・みんな、話、きいてくれない゛ぃ゛・・・」
冷ややかな空気が天幕内に充満する。泣き止まないヘリアンを抱きしめたまま、アルセアはそこに集まった人々を一通り見た。
そこに集まった人々は理解する。あぁ、これはヤバいやつだ。
アルセアは低く鋭い声で、黒髪の青年に訊ねる。
「黒髪の、名は?」
「あ・・・は、い。ミドリと申しま、す。」
さすがに1度挨拶を交えているからか、商人の才能か、青年は震える声を律して、ミドリと名を名乗った。
アルセアの眼が、紫色の光をたたえる。
「ミドリ、我が名はアルセア・ロセア。
その名に誓い、誠をこたえよ。
ヘリアンと、通じたのか?」
冷ややかどこではない冷気が天幕を侵食する。青年の後ろの天幕からピキピキと天幕が凍っていく。それを肌で感じとり、青年は汗をかきながらもなんとか答える。
「我が名と、敬愛すべき竜の名に誓って、通じてなどおりません。
彼女と私めは、宴会の余韻のまま部屋で多くを語らいそのまま眠ってしまっただけです。」
途端彼の周りを、葵色の激しい炎が囲む。
彼は思わず強く目を瞑り、身を固くする。心臓が跳ねる音が耳の奥でうるさい。喉の奥が酸っぱく、怖くて吐きそうだった。
けれども、覚悟していたそれは彼を襲うことなく、そっと目を開くと温度を感じない葵色の炎が体の周りを円形に囲んでいた。
その炎越しに、人の姿をした竜と目が合う。喉奥でヒュッと空気の音がする。上手く息が吸えず、頭がぼーっとする。
次第にその葵色の炎は弱まり、最後にちりりっと音を残して消えた。
途端、青年は息を思い出し、激しい呼吸をする。前屈みに倒れ込みそうな身体を必死で支える。全身から汗が吹き出て、少しずつ脳に酸素が運ばれる。
(たすかった・・・?)
青年は、涙の滲んだ目でようよう、竜を見上げる。
いつの間に、眠っているヘリアンを横抱きに抱えたまま、竜は立ち上がる。どこにそんな力があるのか、華奢な体で軽々とヘリアンを抱えたままアルセアは、青年に向かって歩を進める。そして、立ち止まると、一瞥し告げる。
「この青年の語りし事が真実だ。目覚めるまでヘリアンは私の元へ置いておく。
それまでにこの不愉快な話を終わらせておいてくださいね。」
そう言うと、アルセアはスタスタと天幕から外へ出て、彼女を抱いたまま、丘の上森の中に佇む神殿へと向かった。
久しぶりの感情の高ぶりを彼女は、おさめきれずにいた。彼女が歩いた跡は、漏れ出た魔力で草木がすごい勢いで成長している。
しばらく歩き、神殿が見えた頃、彼女の高ぶりもだいぶ落ち着いていた。彼女は神殿の中へと入り、よく干された藁の上に愛おしい温もりをそっと載せる。
そうして、ヘリアンの髪を、頬を、唇を撫でながら思うのだ。
(いやだ)
彼女が他の誰かの物になることが、堪らなくいやだった。どうしてなのかはわからない。けれど、彼女が泣くのは嫌だし、彼女が傷つくのもいやだった。
竜は自分の中に生まれた感情をうまく理解出来ないでいた。
そうして、竜はその乙女に口付けを落とした。
竜は静かに神殿から出ると、自らの唇に残った感触を思い出し胸が焼けるほど熱くなるのを感じた。
それは、ダメだ。
声にならない竜の絶望が森に響いた。