エルフ族の隠れ里
最初はその異様とも言える歓迎ムードに、商隊の人々の方が引き気味だった。けれども、言われるがままに席に座り、陽気な踊りや、美味しい食事と、珍しい酒が入れば自然と警戒心は薄れた。
いまでは、歓迎会というよりただのどんちゃん騒ぎだ。
けれども、ここにはそれを気にするものなどいない。
この土地に人が多く訪れる様になったのは、ここ50年ほどの話だ。人間たちの王の遣いが、族長の子の誕生を祝いに来た時、私はヘリアンのお守りのためにその場に同席した。どうやらそれが、王都で広まり、噂が噂を呼んで人が訪れるようになったのだった。
なかなか竜を間近で見る機会は少ないという。
(さて・・・)
私がわざわざ、里までおりてきたのは何もここでご馳走を食べるためではないのだ。やはり作り立ては美味しいけれど、そうも言っていられない。目を凝らし、気配の元を探ると、それがどの人間から発せられているのかはすぐわかった。
遠目で見ても目立つその髪は、墨のように黒い色をしていた。
年の頃にして20そこそこであろう青年からは、たしかに古き魔獣の気配を感じる。
そうして小首を傾げる。どうやら彼自身からと言うよりも、彼の身に付けているものに、それは引っ付いているようだった。
そうして、じっと目を凝らすとその少年が首から下げている何かに、それはついているようだ。
少し考えたあと、竜は静かにその場をあとにした。
そうして、寝床である神殿へと戻ると、神殿付きの娘たちが今日の供物を持ったまま待っていた。何も言わずに神殿を出た為、ちょうどすれ違いになったのだろう。申し訳ないことをした。
「アルセア様、お待ちしておりました!」
見慣れた少女が、淑やかにお辞儀をするのに合わせて、後ろへ並んだ他の少女たちも形式的なお辞儀をする。
「ありがとう。置いておいてください。」
「はい。本日は、王都よりいらした商隊の方々がお見えになるかと思います。」
「えぇ、わかっているわ。」
「では、失礼致します。」
そうして、娘たちはいそいそと帰り支度をすすめ、里へと続く道を歩み始めた。
娘たちが丘をおり見えなくなるまで見届けたあと、竜は近くの森に向かって話し掛ける。
「もう、出てきても構わないわよ。」
すると、ガサガサと音を立てて黒髪の青年が森からでてきた。
里から森の中をまっすぐ抜けてきたのだろう、あちらこちらに葉っぱがついている。
青年は、足元を気にしながら、最後の草むらを抜け、竜の前へと足を進めた。
すると、少したどたどしく、跪いて挨拶をしてきた。
「葵色の竜<アルセア・ロセア様>のお目にかかります。」
「楽にして良い。話をしましょう。」
「・・・はい。ありがとうございます。」
跪いていた少年は顔を上げて、竜を見上げると、そこに座り直した。
そうして、首に下げていたモノを首元から引っ張り出すと、両手で竜へと見せた。
「笛?の欠片ですか・・・?」
「はい。とある民族に伝わる楽器の1部にございます。」
竜によく見えるよう差し出していた手を自らの胸の前へと戻すと、青年は竜へと許しを乞う。
「彼を呼び出しても、よろしいでしょうか。彼自身も、一度挨拶をしたいと申しております。」
「構わない。」
「ありがとうございます。
・・・おいで、フォーン。」
青年の声に応えるように、小さな風が吹き、それは次第に青年を包む様に円を描く。深緑の魔力の渦が次第に消え、中から現れたのはフォーンと呼ばれる精霊だった。
美しく精悍な青年の顔立ちには獣のような耳があり、鍛えられた胴を支えるのは陽の光にキラキラと光る、艶やかな光沢の立派な鹿の足腰。
それは、右脚を引いて低く身を屈め、礼をする。その姿は魔獣と呼ぶには不釣り合いな気品に溢れていた。
「我らが王たる、古き竜に敬愛を。」
「豊穣の精霊フォーン・・・珍しいわね。
いまはあまり見なくなったと思っていたのに、人に親愛を置くものに出会えるとは。」
「私めも、未だ自らが珍しいです。」
「ふふっ。あなた方ならば、この里においても問題はないでしょう。
ゆっくりと滞在を楽しんでください。」
「ありがとうございます。それでは、私は依り代へと還ります。」
「ありがとうございます。お心の広い判断に感謝申し上げます。」
「構わない。あれは、無害な豊穣の精霊。
商人ならば、あなたの良き隣人にもなるでしょう。
縁を大切になさってください。」
「はい。では、失礼致します。
また、商隊の者達も参ることになるかと思います。
よろしくお願いします。」
「わかっているわ。里まで気をつけて戻るのよ。」
青年は相も変わらず、里までの直通コースを突っ切っていった。そんな後ろ姿を見守ったあと、竜は静かにため息をつく。
(無害な精霊で良かった・・・)
と、ひとり安堵する。最悪の場合、争いになっても勝算があったから里まで迎え入れたのだけれど、何も無く過ごせるならそれが一番いい。
それにしても、フォーンとは・・・あれは、古き神性の産みし精霊で、けっして数は多くない。無害な分、大人しく人前に出ることなど滅多にない。何事もなければ良いが・・・。
そんな竜の心配はよそに、里では飲めや食えやの大宴会の真っ最中だった。誰が始めたのか、一気飲み大会は白熱していた。
(この様子じゃ、挨拶回りは明日からね。)
早々に見切りをつけた竜は眠るべく、ベストな体勢を求めて身じろぐ。
まだ、空には太陽が燦々と輝いている。時刻はちょうど昼頃といったところか、里の喧騒を感じながら、竜はそっと眠りについた。