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混乱の極み

 まさに借りてきた猫状態。


 というか、そのまんまなのだが、移動まで時間があるという間、イリスに部屋の整理をしてもらった――というか、させてあげたというか。


 滞在予定は約一か月ということで、備え付けのクローゼットに荷物は放り込んで置けばいいやと思っていたのだが、それらは綺麗にハンガーにかけられている。


 書類のたぐいは、彼女が個人的に使っているというカルトナージュの箱を貸してもらった。

 厚紙に布を張り付けただけのものなのだが、それだけでずいぶんと丈夫になるのだなと感心した。

 布は、大きくなって着られなくなった服の再利用だとか。


 こういう手仕事に強いのはやっぱり女性だなあと思う。


 アウグストの用意ができたと言うので、正装である黒のコートを羽織って玄関に降りる。


 コートの内ポケットには手帳と筆記用具。クレモネスの通貨の入った小銭入れ――中身は先生からもらったものだ。


 手にはアルケミー・ツール。


 イリスも黒のコートを羽織っている。あと、グレーのマフラー。

 暦の上では春だが、北国であるクレモネスの春は短いうえに寒い。


 イリスのコートの裏地は青。首からぶら下げたペンダントが彼女に与えられたアルケミー・ツールなのだろう。


 赤から紫にかけて、グラデーションかかった石が胸元に収まっている。


 ほどなくしてやってきたアウグストは、僕たちとは明らかに格が違う黒のコートを纏っていた。

 デザインもそうだし、布自体が違う。


 裏地は当然、最高ランクを表す紫色。


 コートにはフードがなく、縦襟で、縁には金の装飾が施されており、胸元に五芒星と片翼が縫い込まれている。


 昨日会った時に確認済みだが、アウグストのツールは指輪で、透明なガラスのクラックビーズのような石がはまっている。


 これも人工宝石だが、ひび割れのように見れるのは、いくつもの異なるダイヤモンドを一ミリ以下の隙間を残しつつ、つなぎ合わせた後で球体を形成している。


 近年、宝石のカッティング技術も目を見張るものがあるが、アウグストの手業も芸術と言っていいレベルである。


 ちなみに、アルケミー・ツールは、一門の当主、あるいは師が弟子に与えるものだ。当主の場合は、前の当主から受け継いだものだったり、新たに作り出す場合も少なくはない。


 一門の質が現れるということで生半可なものではいけない。


 それを造らなければならない当主も大変だ。


 こと、クレモネスのホーエンハイム一門は宝石加工に関しては一流だと聞いている。

 実際、緻密で繊細、それでいて魅力的だ。


 いっぽう、うちの先生はそういった繊細さには無縁で、整形は下手くそだ。弟子だけにハッキリいう。


 構成や分析、手術における手業は優れているというのに。

 なので、杖にはまっているエメラルドは、原石に近い状態で、なんの加工も施されていない。


 むしろ、施されているのは、台座となる金属パーツと杖部分の木材で、これはリーフレアの野良(のら)の錬金術師――と言っては悪いな――街で何でも屋を営む錬金術師の技だ。


 エメラルド自体は天然に近くていいものだと言われたけど、やっぱり二つの業物を間近で見ると自然と「いいなー」とない物ねだりが発生する。


 ツールの出来が術の精度を左右するというわけでもない。


 そもそもアルケミー・ツールは本格的な錬金術用の道具というわけでもない。

 免許のようなもので、重要度は低いが、普段身につけるとしたら、やはり見栄えがいいものがいいという本音である。


 三人で二頭立ての馬車に乗り込む。


 快晴で、昼食と一緒に渡された燃やした、子供の拳ほどの大きさの豆炭を入れたウォーマー――鉄の容器に燃やした豆炭を入れておくと、十時間くらい暖かさが持続し、特に冷え込む夜などは、これをクッションでくるみ、足元を温めたりする――もいらないくらいだ。


 アウグストの屋敷があるドリットパオムから一度、帝都エアストパオムへ。そこで、ローゼンクロイツとフラメルの馬車と合流し、くだんの工房があるツヴァイトパオムに向かう。


 おおよそ、五時間の旅である。


 今日の夜はエアストパオムにあるフラメルの屋敷に一泊する予定である。


 広い国土の移動手段として、蒸気エネルギーの利用の話が持ち上がっているのだが、それをスマートな大きさにするのが現時点での課題だ。


 それについては馬車の中で三人であれこれ論議をした。


 僕とイリスが揺れる車内で必死にメモを取る中、アウグストは平然と話を進める。

 アウグストは「そんな方法もあるか」とたまに頷いたりもするが、メモは取らない。すべて頭の中に記録されているのだろう。


 うちの先生もそうだ。


 余談だが、イリスの手帳はすごくきれいだった。


 いっぽう、僕の手帳は汚くて少し笑われた。そこは馬車の揺れのせいだと思って見逃して欲しかったのに。


「そう笑ってやるな、イリス。ノートにもカオスとコスモスがあるというだけだ」


 アウグストはそう言いながら、懐から昨日の太い葉巻とは違い、細いシガリロを取り出して、鼻に当てて匂いを吸う。


「吸いたければどうぞ、僕は気にしませんよ」

「そう言ってくれるのはありがたいんだがね」

「だめですよ、アウグスト様。研究を続けたかったら煙草は控えたほうがいいです」

「とね、イリスが怒るからな」


 アウグストは名残惜しそうにシガリロを口に(くわ)えて肩を落とす。「今日日、女は健康にうるさい」


「女性だけじゃないですよ。それに、そういうのなんて言うか知ってます? 医者の不養生ってやつですよ」

「これくらいいいだろう。大気汚染で肺がやられるか、煙草でやられるかの違いだ」

「空気の場合は先に気管のほうがやられます。煙草の場合は肺がダイレクトでやられますからね。鏡見ながら真っ黒になったご自分の肺を切除しますか?」

「それも面白そうだな」

「馬鹿言わないでくださいよ」


 そう言って、イリスはポットからお茶を注ぐとアウグストに差し出す。「これで少し我慢してください。エアストパオムに着いたら吸ってもいいですよ」

「いいか、ルビン。研究における最大の障害は女性だ」


 イリスから受け取ったお茶は冷めていたが、アウグストの手の中で一瞬で沸騰する。

 水の分子運動を活発化させたため、一気にぬるま湯が湯に転じたのだ。


「あれこれと、理由をつけては研究を妨害してくる」

「今は研究の話じゃないですよ」

「では言い換えよう。日常生活にも口出ししてくる」

「そんなこといってると、私実家に帰りますから。私がいなくなったら、書類の整理とか手紙の発送とか、その他諸々全部ご自身でやることになりますからね」

「まっとうに身の回りのことまで自分でやるのはクリストスくらいだろ」


 クリストス――フラメルの現当主の名前だ。


「ベルンだって自分のことなんて何一つしないだろ?」


 イリスから「誰?」と聞かれたので「僕の先生」と答えた。「自分のことどころか、最近はろくに研究もしてないですよ」


「まったく、強制はしないが余分なリソースがあるのならばこちらに分けてもらいたいくらいだ」

「先生は興味がないと本当に動きませんから。簡単な研究も僕……よりは兄のほうが実践して、研究結果を先生に渡してますよ」

「クレモネスに顔を出せと言ったところで返事も寄越さない。これは一度、こちらから出向く必要があるな」


 それを聞き、ルビンは苦笑いを浮かべる。


 アウグストの屋敷に比べたら、先生と兄と三人で暮らす家は小屋といっても過言ではない。


 しかもすこぶる汚い。


 これはいけない。家に戻ってすぐに大掃除しなければならない。というか何日かかるんだ? 今の家をそのままに、新しく家を建てたほうがいいんじゃないだろうか?

 そもそも、先生が現時点であの家にいるかどうかさえ危うい。


「あの」


 イリスが口を挟む。


 頼むから「是非ともお供したいです」なんて言わないでくれ。


「ルビンの師に関する資料、昨日少し探したんですけど、どこにもなくて。今はしてなくても、本家当主ということはそれなりの実績があるということですよね?」


 あー、それはそれで聞かれると困るかもしれない。

 横目でアウグストを見ると、彼も発言するには少し思うところがあるらしく、目が合った。


「あれは、医学と鉱物に明るい。その点はクリストスと一緒だが、クリストスの治療はベルンの研究結果を元にしたものが多い」


 どうやら、話しをはぐらかしてくれるらしい。


「フラメル卿よりも優れているってことは、皇帝はルビンの師を王宮に呼びたいんじゃないんですか?」


 昨日、アウグストから聞いた話を思い出す。意志を持たない皇太子。

 うーん、いかにも高そうな手紙を暖炉で燃やしていたような記憶が。


「私のほうからもヤツを招集しろと再三言われているが、私は知っての通り、鉱物関係や分子構造が専門であって、同じホーエンハイムでもアレとは研究上では繋がりはない」

「あれ? じゃあ、先生とはどういう繋がりなんですか?」


 本家と分家というだけ、といっても別れたのは何百年も前の話だ。


「もう何年も前からの話だが、突然屋敷に来たと思ったら、早々『女を抱きに行こう』だと、馬鹿かアレは。……懲りずにクレモネスに来るたびに部屋を貸せ、酒を飲みに行くぞ、だ」

「す、すみません」

「いや、弟子のお前は何も悪くない」

「待ってください。ルビンの師も女性嫌いなんじゃ?」

「女性嫌いですよ。女性嫌いなんですけど……」


 恥ずかしさで顔を上げていられない。「欲望っていうか、か、下半身にとても正直な方なんです……」


「馬車を止めろ、外で煙草を吸う」


 アウグストの言葉にイリスが声を上げる。


「勝手に止めないでください! ど、どういうこと!? 女が嫌いって性的なことが嫌だとか、同性が好きだとかそういうことじゃないの!?」

「イリス、お前は私のことをそういう目で見ていたのか?」

「なんか混乱の極みなんですけど! 一言でいえば、あの人は穴があれば十分っていうかんじで、相手には何も――いや、見た目は求めてるらしいんですけど、ノンアガペー・エロスオンリーで相手から求められるのは嫌だから、求めてくる女は嫌だって、それをクレモネスでけっこう有名な人にやっちゃったらしくって、それで女嫌いで有名になったとかかんとか!」


 顎に指をあてながら、アウグストがボソリと呟く。「求められるのが嫌っていうのは、私も同意なんだが」


 そうこうしているうちに、馬車はエアストパオムの待ち合わせ場所へと到着する。


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