変態呼ばわりされる朝
春の朝日が入る廊下を、イリスは踵を鳴らしながら急ぎ足に歩く。
三階は客室や、書庫、まだ使用用途が決まっていない部屋などがあって、大きな足音を出してもさしたる問題はない。
朝食の時間は前もって知らせてあるのに、知らせた相手が起きてこない。
十分そこそこの遅れなら、あの身なりなどから、身支度に時間がかかっているのだとまだ耐えられるが、すでに三十分だ。世の貴族の女性たちは身支度に一時間以上かけるらしいが、そんなものは待っていられない。
時間がかかるのならばその分、早く起きればいいだけのこと。
客人を招くにあたり、掃除ついでに置時計がちゃんと動くかどうかちゃんとチェックしたし、時間も合わせた。ベル付き最新機能付きの置き時計、市場じゃまだまだ高級品の域だというのに。
部屋に案内した時、その使い方を教えた。
時差でちゃんと朝に起きれるかわからないといったからだ。
親切で教えてあげたのに、全然役に立ってないんじゃないの?
目当ての客室の扉を容赦なく叩く。
「もしもし! ルビンさん、もうすでに朝食の準備ができているんですけど!」
そう言って、扉に耳をあてて中の様子を覗うが、準備をしているような物音がまるで聞こえない。
これはあれだ。
百パーセント寝ている。
「もう! 今日は工房のほうに行くって言ったじゃないですか! 予定があるんです! 失礼しますよ!」
扉には鍵がかかっておらず、捻っただけで簡単に開いた。
この館に住んでいるのは、住み込みの使用人以外は私と主であるアウグストだけ。
アウグストが女嫌いであることは始めにいってあるし、よほどの自意識過剰でなければ鍵はかけないと思っていたが、予想通りだった。
案の定、部屋の中は薄暗い。厚手のカーテンが閉め切られたままだ。
床には廊下と違って絨毯が敷かれていて、掃除は行き届いている。とはいえ、新品ではない。そこそこ古く、汚れているが、部屋の使用者は気にしていないのか、夜の暗さで気づかなかったのか、脱いだ服が床にそのままだ。
持ち込んだ大きな革トランクも、必要なものを取り出した状態で、開きっぱなし。
賢者の中には、研究ができれば生活も、生活する場所もどうでもいいという人が大多数と聞いたが、師であるアウグストは余計なものを貯め込まない主義。
自分もそれにならって、書籍も必要最低限しか持たず、手記なども綺麗に箱に入れて保管するほうなので、この汚さは我慢できない。
今すぐにでも整えたい欲求にかられるが、それは後回し。
起こさなければ、スケジュールが狂ってしまう。
「ルビンさん! 起きてください!」
「ぅん、……もう少し」
「もう八時です!」
勢い任せにカーテンを開く。
朝日が部屋の中を照らしだす。
置時計はベッド横のサイドテーブルに置かれたまま、ベルを止めた様子はあるが、起きていないのでは意味がない。
「今日は工房を見てもらうって言ったじゃないですか!」
「宗教上の理由で、午前中は起きちゃだめなんです」
ベッドの上の毛布にくるまった物体がわけのわからないことをいっている。
「どこの宗教よ!?」
「えーっと……」
返事が返ってこない。
このまま寝る可能性大。
「いい加減にしてください!」
思いっきり毛布をひっぺはがす。
毛布の中から裸体が現れる。
別に女同士だから構わない。
「イリスさん、強引すぎますって」
そう言いながら、眩しいのか、両手で目を覆い隠している。
そこで、はたと気づく。
金髪の上に横たわる白い肌。
慎ましくついた筋肉。
――胸のふくらみが見当たらない。
毛布で若干視野を狭めながら、徐々に目線を下腹部へと移動していく。
さすがに下着は付けていた。って――
イリスの顔が一気に潮紅する。
「へ、」
彼女にとっては、初めて見る生きた若い男の裸だった。
しかも生の。
「変態ぃいいい!!」
その叫び声で、ルビンはやっと覚醒した。
*
「僕、男だっていってなかったでしたっけ?」
いまだ寝ぼけ眼で、髪も櫛を通していないので寝癖がそのまんまだ。
すっかり冷めてしまったスクランブルエッグを食べながら、向かい側に座っているイリスに向かっていう。
イリスはイリスで、ルビンの顔を見ると裸を思い出してしまい、恥ずかしさで顔を両手で覆い隠している。だが、赤くなった耳までは隠せていない。
そのままの状態で、彼女は反論する。
「お、女の服着てて、わからなかったわよ! そ、それに髪だって長いし」
「髪の長い男性なんて珍しくないじゃないか」
「そ、そうだけど……、紛らわしい格好しないでよ!」
起き上がって早々、「男らしい格好しなさいよ!」といわれたので、昨日とは別に、厚手の緑のコットンのハーフパンツにガーゼのシャツ、その上に薄手の水色のセーターを着ている。
「あんたのそれって、自分の趣味? それともそっち当主の趣味なの?」
給仕の女性が淹れてくれた紅茶を一口すするなり、イリスが質問してきた。
「まさかそういう国ってわけじゃないでしょ?」
「うん、先生の趣味じゃないかな? うちの当主様も女性が嫌いなんだってさ」
そう言って、ルビンはミニトマトを頬張る。
「女が嫌いなのに、女装は許せるの?」
「先生は、女性というカタチは嫌いじゃないって。そういう君も女性が嫌いなんじゃないの?」
「え、私が? なんで?」
ルビンは皿を下げてくれた給仕の女性に頭を下げる。
「だって、昨日機嫌が悪かったのって、僕が女だと思ったからだろ?」
「あれは、」
イリスの視線がせわしなく動く。「アウグスト様も女性嫌いっていうか、錬金の世界に女性を入れたくないってかんじで。この国全体がそんなかんじなんだけどね。なのに、あなたみたいな美人なら簡単に工房に招いちゃうのかなって」
その言葉に、ルビンは軽く噴き出す。
「な、何がおかしいのよ!?」
「ごめんごめん、先生なんかは、女の嫉妬は世界三大悪の一つだなんていうけどさ、君の純粋な嫉妬はかわいいなあと思ってさ」
ルビンに笑顔を向けられ、イリスは顔を赤らめる。
「ば、馬鹿にしてんの? 自分は美人だからって」
「僕は生まれてこの方、自分を美人だなんて思ったことはないよ。イリスの嫉妬は正しいと思うよ。美醜がどうであれ、才能や努力が認められてこその賢者だから。そこに見た目の優劣は入ってはいけない。先生も周りを試す意味で僕らにこんな格好させてるのかな?」
「僕ら?」
「うん、双子なんだ。兄さんの方は前にアウグストさんと会ってる」
「私が他の一派で研修してる時かな?」
「兄さんがどこでアウグストさんと会ったかまでは聞いてないけどね」
「でも本当、なんで女装なんてさせるの? それになんでそれに大人しく従ってるの?」
イリスが首をかしげながら聞いてくる。
「それは、たぶんこれ以上僕らが男らしくなれないからっていうのもあるんじゃないかな?」
「どういうこと?」
ルビンは己を指差す。
「何歳くらいに見える?」
「え、怒らない?」
「女性じゃないんだし、歳なんて気にしないよ」
「わ、私だって歳なんて気にしないわよ!」
そう言ってから、イリスは腕を組みながら真剣に考える。
「うーん、難しいなあ。……十五歳くらい?」
「はずれ、十七歳だよ」
「十七って、変声期とかもう終わってる時期じゃないの? ――あ、」
自分でいって、気づいたのだろう。
これ以上男らしくなれない。
もう、なれないのだと。
「いまどき、奇形児なんて珍しくないだろ。しかも僕ら双子は捨て子で、ろくな食事も与えられず、発育不良だったのもあるけど、本来外に出ていなければならない睾丸が外じゃなく、胎内に留まった状態だった。その状態で正常に精子を作り出せるかわからないし、もう一つの睾丸だってほとんど機能してなかったって、兄さんと二人そろって。僕らは運が良かったんだ。先生にちゃんと手術してもらって、そのまま弟子として住む家も暖かい食事も与えられた。胎内に賢者として炉心を持っていたってことが一番大きいと思うけど」
「成長期前に去勢すると変声期は訪れず、高い声のまま。男性ホルモンは生成されないけど、成長ホルモンは生成されるから体力的な面では一般男性と変わりない」
「そういうこと」
ルビンはほどよい暖かさになった紅茶をすする。
「……あなたの論文、いくつか読んだけど、除染技術に関することが多かったのって、そういうこと?」
「行く先々で聞かれるけどそんなことはないよ。僕は女性じゃないから産んだ子供が奇形だった時のショックなんて想像でしか知ることができない。でも、リーフレアの医学は、奇形児の発生によって進歩したといっても過言ではない。一長一短なんだ。でも一般人である母親に『あなたの子供が奇形だったおかげでこの国の医学は進歩しました』っていったところで理解されるとは思えない」
そう言って、ルビンは肩をすくめ、席を立つ。
「ごちそうさま。昨日の夕食もだけど、すごくおいしかった」
「それはどうも。私が作ったわけじゃないけど、厨房のほうに伝えておく」
「えーと、これから工房のほうに移動するんだっけ?」
「そう、でもまだ少し時間があるから――」
「だったらもう少し寝かせて」
「あなたの部屋を徹底的に整理させてもらうから」
「え?」
「あー、その前に髪をなんとかしないと。どんな寝相してるのよ」
イリスに手を引かれて食堂を後にする。
これは、仲良くなれたって思っていいのかな?
でも部屋の掃除とか、僕はごちゃごちゃしてる部屋の方が好きなんだけどなあ……。
ルビンは観念して、大人しくイリスに引かれるまま廊下を歩く。