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関わりたくないことこの上なく

 木造の大きな屋敷だった。


 隅々まで手入れが行き届いている。磨かれた木の手すりは蝋燭の光を反射して輝く。

 本家から分家して、すぐにここに屋敷を(もう)けたと聞いている。

 その時から建っている屋敷かどうかまではわからない。


 すべてがシンプル。


 調度品のたぐいはほとんど見られない。

 床も板張りのままで、カーペットは敷かれていない。

 部屋をあてがわれてすぐに、食事に呼ばれた。


 だが、十人以上で使うであろう食堂には僕一人。


 野菜関係は土壌汚染の問題から、クレモネスでは高級品だろうに。それらがふんだんに煮込まれた鶏ダシのポトフに、フルーツドレッシングのかかったローストビーフ。生のほうれん草にクルトンを添えたサラダに、焼き菓子のデザートまで。


 給仕の女性に「たくさんありますから」と、おかわりを勧められたが、一皿で十分である。


 だけど、今はお腹がいっぱいでも成長期も相まって、最近は夜中に腹の虫が控えめに空腹を訴えてくる。

 バゲットを半分だけいただき、ハンカチでくるんで部屋に持ち帰った。

 たぶん行儀の悪いことなんだろうけど、すっかり夜食の習慣がついてしまっているためしかたがない。

 あてがわれた部屋に戻り、トランクを開けて、すぐに必要そうなものをあらかじめ出しておく。そうこうしているうちにイリスに呼ばれ、部屋を出る。

 

 この屋敷の主であり、クレモネス・ホーエンハイム当主に会わせるという。


 正装として位を表すコートを羽織ったほうがいいのだろうかと、あたふたしていると、イリスに急かされ、杖だけ手にして部屋を飛び出した。


 陽はすでに落ち、長い廊下を蝋燭の光が等間隔に床を照らしている。


「ここって、地下に工房があるんですか? それとも隣に見える建物とか?」


 移動中、イリスに声をかけたのだが、彼女はだんまりを決め込んだまま。


 はっきり言って無視である。


 何か嫌われるようなことをしただろうか?

 やっぱり女装のせいかなあ。工房で動き回るとなるとスカートだと邪魔だもんなあ。一応、作業着用のパンツなんかは持ってきてはいるものの。


 そんなことを考えていると、突然、イリスが立ち止まり、危うくぶつかるところだった。


「いい?」


 両手を脇に当てながら、目を覗き込んでくる。


「ご当主様は大の女性嫌いだから、いくら綺麗にめかしこんでも無駄なんだからね!」

「う、うん」


 それはうちの先生も同じだけど。


 別にめかしこんでるつもりはないんだけどなあ。今日の服だってただの外出用だし。


「アウグスト様、イリスです。ホーエンハイム本家の者を連れてまいりました」


 木の扉をノックした後、イリスは部屋の中に声をかける。

 その扉は一際豪華だった。


 アカンサスの葉やバラの花の彫刻が施され、いたるところに金箔がちりばめられている。

 よく見れば、文字が書かれている。


 今より古い時代の文字、哲学の一文が掘られている。


 読み取ろうとするよりも先に、イリスが扉を開ける。


「中に入って」

「君は?」

「アウグスト様の時間を無駄にしないで」


 なかば強引に背を押されて部屋の中へ入る。


 同時に、扉が静かに閉まる。


 それはたぶん、部屋の主に対する配慮だろう。

 目の前に大きな図面が、額縁に納められた状態で飾られていた。

 ミクロコスモスとマクロコスモスの説明図として本でよく目にするものだが、それよりも緻密な描きこみが施されている。


 意外だったことは、部屋の中に本がなかったことだ。先生の部屋もそうだ。


 逆に、僕や兄さんの部屋は本や書き散らした紙で床が見えないほどだ。


 代わりにコの字を描くように机が配置されている。


 この部屋には窓がない。

 正面の机に座る男は、顔も上げず、ペンを走らせている。


 姿勢をただし、黙ってそのペンの羽が揺れるのを見ていた。


 やがて、彼が口を開く。


「さすが、ベルンシュタインの弟子だ」


 ペン先を浮かせ、ペン立てに立てる。


 アクアマリンの瞳が僕を見据える。


 切れ長の細い目。蝋燭の光を反射して輝く。まるで月のように。

 先生よろしく、若くは見えるが実年齢は読み取れない。


 前髪は目にかかるほど長いが、後ろは綺麗に刈り上げられている。纏う服は黒一色。

 これが、現在において唯一星の名をいただく賢者。


 僕も月の名前をもらっているけれど、それよりももっと遠くで輝く星の名。


「許しがあるまで口を開かない。まずは合格だ」


 まるでクレモネスの冬を表すような冷たい声。表情も微動だにしない。

 彼は引き出しを開け、葉巻を取り出すと、懐から出したナイフで先端を切る。


「あの男の噂は全く聞こえてこない。どうしている?」

「いつも通りです。日々遊んで、気まぐれで研究を始めたり、何日も帰ってこなかったり」

「大いなる御業(グレート・ワーク)に対する興味が尽きたか」


 葉巻用の長いマッチで火をつけると、スーっと、長く細い息を吐く。


「お前の名は聞いているから名乗らなくてもいい。私の名前は、まあ、今更名乗る必要もないか」

「アウグスト・ゲシュペンストシャーフ・ホーエンハイム・トアポラールシュテルン、どのようにお呼びすればいいのでしょうか?」

「敬語はやめろ、アウグストと呼べばいい」

「ですが」


 先生はいくらすごくても、敬語を使うに値しない身内。その先生よりすごい人に対してタメ語? いやいやいや、アウグストは良くても僕個人的にダメだ。


「お前の弟か兄か知らんが、あれはそんなこと気にしなかったぞ」


 そう言えば、兄さんはすでにアウグストに会ったことがあるって――


「兄がとんだ無礼を」

「兄か、あれくらい非常識でちょうどいい。もう一人には会えなかったが、何か法則でもあるのか?」


 もう一人というのは一番上の兄のことだろう。


「あの人は……、僕らでも良くわからないんです。それこそ、先生に似てしまって」

「あの男がもう一人か、それはそれで胸糞が悪いな」

「そうですよね」

「まあ、適当に座れ」


 そう言って、葉巻を持つ手で目の前のソファを指す。


 言葉に甘え、腰を下ろす。

 どうも長い話になりそうだと思ったから。


「なにか、飲み物を持ってこさせよう」

「いえ、お気遣いなく」


 という言葉を無視して、アウグストはベルを鳴らす。


 執事だろうか? スリーピースの燕尾服に身を包んだ中年の男がすぐさまやって来て、用件を聞いていく。


 クレモネスの賢者は貴族の位を与えられると聞いていたが、それは本当のことらしい。国が賢者の存在を認め、優遇しているというのだから、研究費も一定の成果が認められれば国から支払われるのだろう。


 いっぽう、リーフレアの場合は己自身で財を成す、というかんじで。


 まあ、身の丈に合わない贅沢を求めているわけではないから、大きい屋敷も、給仕さんもいらないのだけれど。


 戻ってきた執事が持ち込んだ食器類は、いかにも高級品で、欠けたらどうしようなどと、簡単に触れることができなかった。

 アウグストは戸棚に保管しておいたであろう蒸留酒をグラスに注いで勝手に飲んでいる。

 どうやら、同じ席につくつもりはないようだ。


 唐突に、その口が開く。


「送った文の中に、今回の計画の概要は書いたつもりだが、ベルンシュタインはそれも読んでいないということはないのだろう?」

「さすがに今回の手紙は……」

(おおむ)ね、無視したかったが無視しても面倒くさいことになりそうだからとお前をこちらに送ったのだろうな」

「まったくその通りです」


 洗うのが大変そうなティーカップを手に取る。


 一口くちにするだけで、「おいしい」と思わず言ってしまいそうになった。


「お前の論文のおかげで、クレモネスの水もだいぶマシになった。だが、同時に理解できん」


 アウグストは己の杯を揺らしながら問うてくる。「史上最年少とは言わぬが、十五歳でアデプト、天体の家名をもらい、錬金レベルは藍。それなのに発表する論文も、成果物も平凡」

「目についた問題を解決していたら自然とそういう結果になってしまっただけです」

「献身のつもりか? 我々は賢者であるかぎり聖人君主にはなれんぞ」


 その言葉に対し、アウグストを見つめながら言い返す。「だとしても、この力は人のために使うべきだと、僕は思います」

「知徳合一か?」


 アウグストはグラスを机の上に置くと、こちらに視線を移す。

 睥睨(へいげい)と言ってもいいような冷たい視線。


「それが、お前にとっての賢者のアテレーか?」

「賢者の数だけアテレーは存在すると思います。だから」

「己一人くらいは善行をと?」

「善だって受け取り手にとって、いかようにも変化すると思います。先生は僕たちに施したことは身勝手な実験だと言っていますが、それによって僕たちは生きながらえることができました」

「まあいい、だが、トリスメギストスの連中にはそんな話は通用しないぞ」


 トリスメギストス、一人の完全なヒトを造るために、役立たずな百人を殺して材料にしたところでそれは悪ではない、と言った人物。その一派。

 歴代当主もそれにならっているのか、それともそういう人物が選定されるのかわからないが、変わり者が多いと聞く。


 表面上だけさらえば、それは正しいのかもしれない。


 だけど僕はそんなことできない。


「もしかして、今回の計画というのは、そういった……」

「私はトリスメギストスではない。言葉使いなどどうでもいい」


 うん、この人とは話しにくい。「その、非人道的なことなんでしょうか?」


「だとしたら、ベルンシュタインはなぜお前のような真人間をこの計画に参加させようとしたのか、気になるところだな」


 確かに、彼の言うとおりだ。

 兄さんならいざ知らず、先生は僕の潔癖症を知っている。

 見極めろとか? 一度は外道に落ちろとでも?


「実のところ、どのような結果になるかは私でもわからない計画だ」

「そうなんですか?」

「解が多すぎるのだ。数多(あまた)の解のうち、どれを選ぶかは皇帝任せだ」

「国策、なんでしたっけ? そのIO計画というのは」

「成功した場合な。インテリジェンス・オブジェクト計画。本来、賢者の体内にある錬成炉心を外付けオブジェクトとして生み出し、賢者としての素質がない者でも錬成をおこなえるようにする計画だ」

「そんなに賢者の出生は、クレモネスにとって大事なことなんですか?」

「今はフィルラデウス三世の治世だが、一世は御三家にホーエンハイムを加えた、四つの血筋を継いだ全能の賢帝と呼ばれたが、その全能を目にした者はいない」


 冷笑を浮かべながら、アウグストは再び杯を傾ける。「クレモネス皇帝は賢者の王でなくてはならない。それが隣接する他国に対するけん制にもなると信じている。だが、今の三世は素質はあれど、錬成をおこなえない木偶(でく)だ」

 

さらっと国家反逆罪的なこと言いましたよこの人。「では、皇太子に賢者の素質は?」


 質問に対し、アウグストは目を細める。


「素質はある。炉心もある」

「だったら、IO計画というのは、次世代用ということですか?」

「いや、もしものための案だ」

「もしも?」

「ルビン、と言ったな」


 碧い瞳が、まるで獲物を見るように鈍く光る。


「人間の定義とはなんだ?」

「人間の定義、ですか?」

「原子論だとか、そういう難しい話でなくていい。子供向けの説明でも構わない」

「子供向け、ですか。だとしたら、人としての身体と魂があることでしょうか?」

「そのどちらかが欠けているとしたら、それは人と呼べるか?」


 どちらかが欠けている、魂――いや、心が欠けているのはホムンクルスか。となれば、人は、肉体と魂と心を持つ者か。


「どちらかが欠けている場合、例えば肉体が欠けている場合はそれはヒトとして認知することができない、ゴーストという超常現象的な存在になってしまいます。逆に、魂が欠けている場合は、肉体はただのマシン、ゴーレム的な存在だと思います」

「実際、そんな存在がいるとしたら、君はそれになんと名付ける?」

「え?」

「さっき聞いただろう? 皇太子に賢者としての素質はあるのかと」

「はい」


 暖かいお茶を飲んでいるはずなのに、徐々に背筋が寒くなってくる。


「国家機密だが、相談を受けた御三家と、我々ホーエンハイムは知らされている。皇太子は見る限り、たぐい(まれ)な炉心を抱えている。それが原因かどうかは知らないが、ヒトではないんだよ」

「ヒトじゃない?」

「意志がない。魂がないから心もない。ホムンクルス製造用の『意志なき母体』そのものだ」


 ヒトの形をしただけの、錬成用炉心。



 果たしてヒト――それ以前にヒトとして生きていると言っていいのだろうか?


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