初対面で嫌われる
「ところでよ」
馬車が動き出す。
「なんです?」
「なんでエメラルドなんだ?」
アルケミー・ツールにはまったエメラルドを指差しながらリヒャルトは聞いてくる。「目の色だって、エメラルドだ。なのに名前はルビー」
「名前は先生の気まぐれです」
見世物小屋にいた僕らをたまたま見つけて買い取ったのも、すべては気まぐれ。
「ところで、男性物の服が安く手に入るお店とかありませんか?」
「なんで? っと、煙草吸ってもいいか?」
「いいですよ。――正直なところ、服とか、先生に買い与えられたものを、女物だと知らずに着てたんですよ。そのせいで検問所で引っかかったり、髪も切っちゃおうかなあ」
適当に鋏をいれたりもしていたけど。
作業中とか、一本に縛ったりすると気が引き締まるけど、やっぱりこれも女性らしく見える要因になっている気がしてならない。
「別に……、いーや、ダメだ。ダメダメ」
今着けたばかりの煙草の煙をかき消すように大きく手を振る。
「なんでですか?」
「むさ苦しい工房に紅一点は大事だって」
そう言って何を想像しているのか、楽しそうに頷くリヒャルトの煙草の火に少し酸素を足してやった。
音を立てて、煙草の先から小さな火が噴き上がる。
ドリットパオムに入ってから馬車に揺られること約二時間。
気が緩んだのか、車内でウトウトしていたので目的の屋敷まであっというまだった。
このクレモネスでは、賢者であることは貴族である証明であり、ホーエンハイムの馬車のシートはクッションが効いていてとても座り心地が良かった。
普段、机に突っ伏して寝たりしているので、ふかふかの椅子でも十分眠れる。
まだ成長期なのだから、夜は夜更かしせず、ちゃんとベッドで眠るようにいわれているのだが、数式に向かい始めるとどうしても途中で区切ることができない。
いっぽう、兄の方は夕ご飯を食べ終わるととっとと寝てしまう。その代り、朝早く起きて、僕が挑戦していた数式に挑み、目を覚ますときにはすべて解き終わっているあれは嫌がらせなのだろうか?
一度大ゲンカをしたことがあったが、「そこに数式があったから」の一言で喧嘩は終わった。
言い返せなかった。激しく同意だったからだ。
そこに数式がある。
答えのない問題がある。それだけで気持ちが高まってくる。普通の人に話したら変態扱いだろうなあ。
馬車の外に目を向ける。
ドリットパオムは灰色の街だ。
木々が少ない。石造りの建物が多い。
レンガ造りの建物が少ないのは、レンガを生成するための木材が不足しているためだ。
木材はレンガ造りの仕上げ、最後の過熱に使われれる。
だが、製鉄においても木材は重要な資源で、クレモネスの西の山に、今こそ豊富に生えているが、一昔前は禿山に近かったらしい。
その際、リーフレア側の大連峰から木材を輸入し、なんとか食いつなげたそうだ。
それからは木材は国の管理下に置かれ、使用の際は国に申請しなければならない。
何をするにも申請、申請、申請……。
なんでも国で管理し、それを円滑におこなえているのだから大した管理能力だと思う。
すごいとは思うけれども、やっぱり自由がいい。
リミットのある仕事ほどやる気は倍以上増すけど、競争心が空回りしているだけだ。先生の仕事っぷりをみていてつくづく感じた。
先生は締切どうこう、誰かから頼まれる前に、その問題をすでに解決しているのだ。
常に先を見て行動に移す。
次にどのような問題が浮上するのか、解が出たら、メリットとデメリットを思いつく限り書き出し、デメリットの解決に励む。
時代が、世間が何を問題としているのか、次にどんな問題が発生するのか、常に先を行く。
問題が発生してから解決するのでは遅い。
本当に頭がいいのならば先を見通し、問題が問題と認知される前に解決する。
僕はそこまでにいたれない。
たぶん、外の世界をよく知らないからだ。
工房の中で完結する世界。
外の世界なんてなんら興味もない。たまに先生に連れられて街を見て歩くだけでいい。それも、あまり気を引かれるようなものはないんだけど。
馬車が鉄の門の前で止まる。
敷地はそれほど広大というわけではないが、屋敷の入り口まで、手入れされた庭がある。まだ雪が溶けたばかりで、土の色のほうが多く見受けられるが、少し粘り気のありそうな赤土に腐葉土が混じっている。ここらへんの土ではない。
この庭を作った人は、わざわざ山から土を掘ってきたのだろう。
先にリヒャルトが馬車を下り、門の中を覗っている。
やがて、庭師のような服に身を包んだ男ともう一人、その後ろを女性が歩いてくる。
鉄門に飾られた紋章からクレモネス・ホーエンハイムの屋敷だとわかる。
庭師風の男が門を開ける。
リヒャルトに手招きされ、馬車を下りる。
「大丈夫ですよ」
差し出された手を断る。
そういうことは女性に対してしてください。
石畳の上に降り立つ。
踵が鳴る。
スカートの裾を整え、顔を上げる。
目の前に自分より少し背の低い黒髪の女性が立っていた。
歳は自分とそんなに変わらないだろう。
顎のラインにあわせてカットされたショートヘア。ターコイズの大きな瞳。
裾の長めのベロア地のジャケットに詰襟のシャツ。
乗馬用のようなピッチリとしたパンツにひざ丈のブーツ。
これで鞭でも持っていたら本当に乗馬ルックだ。
到着時間が遅れてしまったためだろうか、彼女は口をへの字に曲げている。
つまり、少々機嫌が悪い。
僕の姿をつま先から頭のてっぺんまで見ると、これ見よがしなため息をつき、片手を腰に当てる。
「本家からの嫌がらせと受け取っていいのかな?」
男の子みたいな口調。
「おいおい、始めから喧嘩はなしだぜ。こちらは――」
「自己紹介くらい自分で出来るわよ」
黒髪の彼女はそう言って、リヒャルトを脇に押しやる。
「私は、イリス・シュトゥルム・ホーエンハイム・ヴォルフェーデル。ホーエンハイムの者として、あなたの世話を任されてる」
「僕はルビン・フォルモント・ホーエンハイム・ノイモンタイト。よろしく」
そう言って手を差し出したが彼女はつかもうとしなかった。
「……女のくせに、天体クラスもらえるなんていいわね」
名前のことだろうか?
家名もやはり、能力に応じて命名の決まりがある。
位の低い者は地に近いもの、あるいは地中にあるもの、またはそれを表す名を与えられる。そして、位が高まるにつれ、天に近くなり、その最上位が天体だ。自然物であることも重要だ。
動物とか、鉱物とか、一門当主によって様々だが、天体名だけは当主の一存で付けられるものではない。
シュトゥルム――嵐なんて天災名をもらってる時点で彼女も相当な位だと思うのだが。
リヒャルトが耳打ちしてくる。
「クレモネスだと、錬金の世界は男性優位で女性は立場は低いんだ」
「だとしたら、イリスさんはすごいってことですね」
「私よりすごいあなたに言われたくないわ」
華麗にそっぽ向かれる。
「まあまあ、二人とも同じ年頃どうしなんだから、仲良くしよう。な?」
僕は仲良くしたいんだけど。
イリスは背を向け、屋敷の方へ歩き出す。
「それじゃ、また明日」
トランクを渡しながら、リヒャルトが言う。
明日はくだんの工房と装置を見に行く予定だ。リヒャルトの他にローゼンクロイツ当主も来るのだろうか?
「今日はありがとうございました」
しっかりお辞儀をしてトランクを受けとり、イリスの背を追いかける。